人は意味ではなく、表現でもって生きるしかない
意味のない表現はない。
表現には全て意味があり、そして私たちは各々が行う「表現」によって、それぞれの持つ「意味」を共有しながら生きている。重要なのは、この場合における「意味」とは抽象的なものであり、「表現」とは具体的なものであるということだ。
つまり、この世において目に見えるのは表現であり、意味はそうではないのである。私たちはこの、目に見える表現をたよりにして、意味を理解しようと動く。意味は目に見えないから共有できない。代わりに、目に見える表現を用いて、伝えたいことを共有する。
重要なのは、常に、分かち合えない想いが私たちには存在するということである。共有できるのは表現だけだ。意味ではない。だからいくら表現を伝えあったとしても、その互いの真意はほとんどわからない。あくまで間接的に、表現によって浮き彫りになった「伝えたいこと」がわかるだけだ。
私たちは不完全な意味の伝え合いの中に生きている。なぜなら表現が完全ではないからだ。しかし意味のない表現はないし、表現するからこそ、少なくともなんらかの意味を伝えることができるのだ。
意味は抽象的で、表現は具体的である。私たちに扱えるのは具体的なものだけで、それをもって、伝えるべきことを伝えるしかない。
そこに完全や完璧はないのだと了承できなければ、表現もろとも、まったく虚しいものとなってしまう。
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