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人は老いる。でも準備はしない

 誰でも老いる。老いない人はいない。でも、老いに対して準備ができている人は驚くほど少ない。
 確定的に起きることなのに、どうして準備をしないのだろうか。生物にとって死はいつか訪れる。でもその予兆としての老いを、私たちはなかなかに想像しない。
 1つ言えるのは、それが直視したくないことだからだ。老いとはマイナスであり、死の前日譚である。だから、そんなもの想像したくないのだ。できるだけ考えないようにすれば、まるでないもののように扱えるから。
 老いは遠くにおいておきたいし、ある年齢までは、実際にそうである。ならばわざわざ、それを近くに寄せる必要などないだろう。

 しかし繰り返しになるが、もちろん、人とは確実に老い、そして死ぬものだ。生き物としてこれほどまでにわかりやすい事実に対して、いつまでも何もしないでいられるはずがない。
 あなたは、自分の老いた姿をどれくらい想像できるだろうか。その生活を。その感覚を。その時の生活や周囲の状況、自分以外の人々のことを。

 それらが具体的に想像できればできるほどに、老いへの準備はできていく。想像だけでいい。少なくともほとんどの人がそれすらできないのだから。一度でも老いに対する「画」が浮かべば、老いはそんなに嫌なものでもなくなる。事実であることはとうにわかっているのだから。
 必要なのは受け止めるタイミングと、準備体操なのである。そのためにもまずは、私たちは例外なく老いに直面し、しかも老いている人は自分の周りにいくらでもいるのだと自覚すること。
 本当にまずは、それだけである。

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