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人のコミュニケーションは「話すために聞く」

 人は話すのが好きなので、聞く時は話すために聞いている。人は自分に話しかける時でさえ、何かに興味を惹かれるようにそうする。だから、常に人のコミュニケーションとは、ある目的のために興味をそそらせようとすることが頭にあって、それは話をしているときも聞いている時も同じだということである。

 それはもっと広く「伝える」ということに関してもそうだ。コミュニケーションの手段はたくさんある。その全てが、自分の方へ他人を引っ張っていこうとする努力である。そしてもし、誰かがその通りに引っ張っていかれるのだとしたら、その人はもちろん、引っ張り返すためにそうするのだ。
 これはコミュニケーションの話だからである。
 そうやって、引っ張り合うことはまさにコミュニケーションだ。
 しかしそうではなく、興味を惹かれた相手に人がいない(録音とか、録画とか、記録とか)場合は、引っ張り返そうとする努力は無駄に終わる。無機物は変わらないことを人はよく知っている。そうする努力も虚しいものだと。

 だけど人はめげない。自分が興味を惹かれたものの相手に人がおらずコミュニケーションが取れないのなら、後からそうすれば良いと考えるのだ。つまりその場では、その興味関心という心の動きを記憶して、後で誰か人とのコミュニケーションのためのタネにする。これが話題作りである。

 どちらにせよ、人の持つ興味というのは人とのコミュニケーションのためにある。だから「伝える」側も「伝わる」側も、双方とも相手を自らの興味関心へと引き込むために、いつも感性を研ぎ澄ませている。
 興味を持つとは、そして持たれるようにするとは、そういうことに他ならない。

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