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愛が分からなくて、愛という言葉が使えない

今日のインプットしたこと

愛されるためにしていたことを辞めてみる

これは最近よくみている人達のインスタライブで言ってたこと。インスタライブ中に、思い当たることがありすぎて、感情が揺さぶられる。

愛されるためにする行動。というのは、その行動をしたことによってもたらされたという、要因を作るということ。結果があると、それが起きた要因を認識したくなるらしい。

例えば、子供の頃から親に愛されるため、認められるために、お手伝いをよくする。言う事を聞く。とかね。これは身に覚えがありすぎて、グサッときた。そして子供達に対しても、「○○してくれたから大好き」とか言ってないだろうかと、思い出してみたりしたけど、「してくれたから」ではなく、「助かった」という表現にしてるからセーフなんじゃないだろうか。


愛されるために笑う

愛されるために面倒だけどやる

愛されるために、我慢する


そうしているうちに、しなきゃ愛されない、したから愛されるのだ。と思ってしまうんだって。

なるほど。と思いつつ、まだ自分のことで、これを分解できないでいる。


実は「愛」という言葉自体に、あまりしっくりきていない。人に対しての感情を表現する言葉だと思うのだけど、それを愛と呼んで片付けてしまうには、そういうんじゃない感がある。

謎に。

「愛だねぇ」とかよく聞くけど、それって何?と思う。好かれてるねぇとか想われているねぇの方がよっぽど、よっぽどしっくりくる言葉ではないだろうか。愛には意味が込められすぎていて、理解できない。

理解しようとするなんて、きっと無理なのだろう。理解できないくらい複雑だから、誰かが「じゃ、愛って感じにしとく?」と、「愛」いう言葉を作ったのかもしれない。

不思議な言葉だ。

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