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異世界探索記14

旧ser.14(2021年3月11日公開)より抜粋

はじめに


 今回は、新たなる体験に加えて、過去の体験の振り返り(未記載)が多くなっています。意味不明だったことがまだまだたくさんありましたが、だんだんと解明され始め、さらに点と点がつながりを見せ始めているように感じています。
 私が書いた記事と先生が各所で発表された記事に、シンクロニシティーが多くなってきています。私はまぁまぁ時間が経ってからアップしますので、あたかも先生の記事を受けての体験をしたり解釈をしていたりするように見えると思うのですが、実はそうでもなく、同時的なもの多いです。
 私はここに、ジオセントリックとヘリオセントリックの違いを見ることができると思います。ああでもない、こうでもない、いや、こうかもしれないと悩んでいるうちに、その共時性の出来事を、個体が受け止めたり表現したりするための時間にズレが発生します。共時的な現象が起こったことは間違いない(ヘリオセントリック)のですが、それを受けての地上的視点での行動や表現にしようとしたとき(ジオセントリック)、自信の無さや反芻が原因となり、実現されるまでに時間がかかるのです。

① 2021年2月26日早朝 「ベテルギウス」


 繁忙期中の繁忙期が終わり、夜中にかなり無茶なくらいにエネルギーをぶち込んだ。やりすぎたかな?」と思えるくらい、エネルギーに満たされ、頭がグルグルしていた。
 変成意識に入ると、実家2F中央の部屋にて、夜だが電気がついており、異様に視界の彩度が高く、色が濃く見え、存在感がすごい。エアコンの上に巨大な深緑色した蟹がいて不気味だった。さらに床にはエビかザリガニが1匹跳ねており、勢いが良すぎて、尻尾の端っこがちょん切れて、そこから体液がブシュっと飛び出した。なかなか迫力のある光景だった。そこで目が覚めて、改めて入眠した。
 変成意識に入ると、同じく実家2Fの中央の部屋にいて、今度は暗い部屋になっていた。私は階段を降り、玄関を出て、家の前の小道に出た。空を見ると雲は無く、星々が白く、瞬いていた。私は両腕を天に向けて、なんとなく予定していた「ベテルギウス」を呼んだ。
 私は「来る!」と思ったとたん、体がいつもより高速にうつ伏せに倒れていった。そしてそのまま地中に潜り込み、暗い中を沈んでいった。すると両脇の前方と両胸の脇付近に、ギュワーっという快感が走り始めた。キューンでもキュワーでもなく、ギュワーという感じが特徴的だった。すると、体が沈みながら自動的に両脚の膝が「く」の字に曲がっていき、さらに次は俯せだった状態がさらに頭が前方に降りていき、頭が下、脚が上の状態になって、沈んでいった。
 視界がフェイドアウトして一瞬気を失い、目が覚めると現在地上で眠っている部屋の風景で、私は地上世界だと思い込んだ。私は今の体験を記載しようと紙を取り出し、ペンで記載しようとしたところで、さらに気を失い、今度は肉体的に目を覚ました。

③ 2021年3月1日① 脇や胸部への快感


 脇や胸部への快感が、少しずつ積み重なってきています。それを思い出せるものを、ここで振り返ってみます。記載漏れは、多分あると思います。
1 アケルナル(2018年?)
 初めての生々しい構成接触です。スワジスターナ下方に一点を刺す快感が走り、エネルギーが脊椎を上がっていき、ハートの背中側のチャクラが開き、多幸感・深い安らぎを覚えました。これに匹敵する多幸感は、これ以外には体験していません。まだ来ないの?と、恋焦がれます(笑)
2 ファシーズ
 松村先生のfacebookでの学習会の時に、快感ではありませんが、エネルギーが頭頂から入ってきて、胸部まで降りてくる体験をしました。この時期によくしていた体験として、F10などで念じた恒星のエネルギーが頭頂から入り、体のある部分まで達するということがありました。快感はありません。面白い現象としては、その降りてくる着地の場所が、「三次元占星術」で恒星の位置とチャクラとの対応(グループ②~⑥)がされていますが、その位置にまで降りてくるというものでした。例えば、ファシーズは胸部、カプルスは首(後側)、ラスアルハゲは左肩(だったと思う)、他にもあったと思いますが、忘れてしまいました。思い出したら、また記録します。
 これらの体験は、どう考えていいのかよく分かりませんが、腰まで降りることができなかったという側面はあると思います。アケルナルは腰まで降りることができたので、一体感となり、快感が走ったのでしょう。降りられない場合は、まずの停留所として、チャクラ対応の位置にまで来るということではないでしょうか。
3 アンタレス(2019年?)
 アンタレスの2回目(多分2回目)の生々しい体験は、体脱状態で実家近くの小道で呼んだ時です。1回目と同じように、点に向かって、高く高く飛翔していきました。そして制止し、私は十字架にかけられたような体勢になり、さらに顔が上に向きました。すると急速に下降し始め、口からその反動で、大量のゲロのようなものが噴出しました。見ようによっては、この吐き出されたものの勢いによって下降しているようにも見えます。恒星との一体感を進めるために、振動の低いものを吐き出したのでしょう。
 ここで思い出したのは、1回目のアンタレスの快感(会陰中央)の時、その快感を持ちこたえた後、とても清々しい気持ちになりました。これは報告書に記載しておきべき特徴でしたが、書き忘れていたので、ここで記録しておきます。
4 カペラ(2020年)
 先生のNOTEサークルの時期のもの。体脱状態で、実家前の小道でカペラを呼んだ時です。これは報告書に記載しています。下腹部・鼠径部がエネルギー的に広がり、形を失いました。そして胸骨柄に、一点を刺す強い快感を覚えました。
5 アルニラム(2021年2月、)
 異世界探索記Ⅱに記載した、つい先日の体験。両脇と胸の下方にかけて、キュワーという快感を覚えました。
6 ベテルギウス
 本書の最初に記載。
・コメント
 最初のアケルナルが、一つの模範例のように見えて、それ以下は、進化している感じに見えます。私は最近気づいてきたのですが、恒星との接触の過程は、まずは自分が上昇する、その上昇の距離が短くなる、地面スレスレになる、横移動もする、地下に潜る、という流れが、大雑把にはあるのでは、と感じます。一体化するためにまずは自分から天に近づきます。馴染むと、迎えに行く必要がなくなります。一体化すると、次は下降して出向きます(創造の光線の下降)。このような流れです。
 この胸部への快感を見てみても、最初のアケルナルを除いて考えてみると、ファシーズは少し接触、アンタレスはかなり上昇、カペラは少し上昇、アルニラムは少し浮遊、ベテルギウスは下降という流れです。
 しかしハートにおける接触というものは、快感がメインではなく、感動のはずで、アケルナルで感じた多幸感・深い安らぎのほうが近いはずです。胸部においては、快感→多幸感・深い安らぎ→感動、という進化があると見ていいのでは、と想像します。
 ここで、私が変成意識の中で体験した感動体験H12を、振り返ってみたいと思います。これら3つの体験は、1つが恒星接触、2つは特定の恒星接触によって得られたのではなく、恒星を呼ばない状態での夢や明晰夢での体験です。

④ 2021年3月1日② 「王妃の墓」(2018年?)


 夢の中で私はトレジャーハンターになっていた。相棒がいて、ノームのように背が低いキャラクターだ。目指すのは、渓谷にある城に住む王の最も大切にしている宝物であった。
 渓谷には城下町が広がり、中央に川が流れていた。おそらく城に向かって右側のコースを、見つからないように侵入していった。城に入ると、たくさんのギミックがあったが、「こんなの簡単だぜ」という感じで、難なく攻略していった。そしてついに、宝の在処を示すことになっている装置のところにやってきて、私はそれを作動した。何か歯車が2つあり、片方を使ったような気がするが、詳細は忘れた。
 この仕掛けが発動すると、町にある建物すべてが作動し始めた。ダイナミックな仕掛けだ。この仕掛けは、各建物から鏡を出現させた。今宵は満月であり、満月の光を恐らく最初に城の鏡が反射し、その反射した光を、町中に出現させたすべての鏡に反射させ、いくらかのコースの光に分岐し、最終的にそれらの光が一か所に集まっていた。この集まった場所が王の財宝の在処ということだ。
 私と相棒は急いでその場所に向かった。その場所は、その城と渓谷の町が見渡せる絶壁の場所であった。満月の光を無数に反射した鏡によって、町全体が厳かな輝きに満たされていた。なんと美しい光景だろう。
 そしてそこで私は気づいた。この場所には石碑があり、この最終的に光がたどり着いたのは、王様が愛していた今は亡き王妃の墓であるといいことに。王は、王妃にこの美しい渓谷の街を見せるために、このような大掛かりな装置を作ったのだ。王の宝とは、王妃のことだったのである。
 私は王の王妃への深い愛に心を打たれ、おおおお~と声を出し、嗚咽した。
・コメント
 私は当初、この夢は、月が1つしか無い地球の状況において、体験しうる最大の幸福や感動の得方を説明しているのかと思っていました。
 今、振り返ってみると、王とはシヴァのことであり、王妃はシャクティーのことを表していると考えたほうがすっきりとします。月のエネルギー、エーテル体を増幅させ、石碑に当てて、王妃に送るという仕掛けです。私は王妃への慰めと思っていましたが、これは王が王妃を復活させるための装置だったのだと思います。王の愛に触れて、王妃は生き返るに違いありません。
「ただの物語に見えるし、嗚咽するほどなのか?」と、目が覚めた後には思えたものですが、夢の中の私は、感動で涙が止まりませんでした。

⑤ 2021年3月1日③ 「エヴァンゲリオン風」(2018年)


 エヴァンゲリオンの世界にいた。私は葛城ミサトになっていた。碇シンジがいて、すべての問題を解決して、爽やかな笑顔を見せていた。私は、「お疲れ様、よくやったね」と言った。
 大きな窓の横に、綾波レイがいた。私が「どうだった?」と聞くと、彼女は微笑みながら答えた。「私は使命の通り、こどもたちを安全な場所にかくまいました。子どもたちが助かり、とても嬉しい」と。
 私は、衝撃を受けた。彼女の口から『うれしい』という言葉を初めて聞き、自然な笑顔を見たなのも初めてだ。このプロジェクトを通して、彼女は感情を取り戻したのだ。(あるいは、初めて感情を手に入れたような感じにも思えた)
 私は両手で自分の口を塞ぎ、感動の絶叫をした。思いもかけず、彼女が感情を手に入れたことに、口では言えない魂の震えを感じた。
 彼女の変化により、私も忘れていたものを思い出したようだった。
・コメント
 さきほどの王妃の物語と同じ感じで、文章にしてみると、「ただのパクリ話ではないか?」というくらいものですが、夢での私は感動のあまり絶叫していました。この見た目が大事なのではなく、別の形でもいいわけですが、分かりやすく、私の知っているキャラクターや状況を利用しているといことです。実体は感動のほうにあります。
 綾波レイが、「子どもたちを安全な場所にかくまった」ということは、何を指すのでしょう。私は若いころ、10年以上不登校の子どもたちのための居場所の仕事をしていました。そこでは、子どもたちが学校外で育つ姿を見てきました。時に、輝くような体験もあり、そこで涙をこらえることができないほどの感動を、何度かしてきました。「子どもたちを守る」ということで、感動体験をしてきたのです。私は、長い時間を苦痛とともに生きていましたので、10代後半から、感情的不感症みたいな状態でしたが、この活動を通して、感動する心を少し取り戻したような感じになりました。おそらくこの不登校の子どもたちに関わる仕事は、「H12の感動」への入り口として重要であったと思います。そしてさらに、象徴的に、同じカタドリの活動をすることになるのでは、と感じています。私は「星の子のレポート」という拙いですが、自分なりのお話を書き、その続編も書いているところです。そのお話ともつながってくることのように、今は思えています。

⑥ 2021年3月1日④ 「ミンタカ」(2020年6月ごろ?)


 変成意識に入ると、実家2Fに出てきた。私は外に出て、いつもの小道で予定していた通り「ミンタカ」を呼んだ。すると自動的に体が垂直に天に向かって浮遊し始め、アンタレスの時よりも高くなり、ついに天を突き抜け、異世界に飛び出た。
 気が付くと、小高い丘の上にいて、下のほうに村が見えた。建物はどれも大地と一体化しており、土で作ったようなコンモリとした家がならび、機械的なものは見えなかった。たくさんの警官のような人たちが現れ、私を捕まえるために出動したのが見えた。私はハイパワーな状態であり、全く捕まる気がしなかった。
 私は空を飛び、面白いものがないか探していると、高い丘の中腹か上に、丘と合体したような博物館があった。面白そうだと思って着地して中に入ると、私は吸い寄せられるように中に歩いて行った。奥に四角い大きな柱があり、その柱の裏側を覗くと、そこには壁画のような感じで、鬼のような絵が描かれていた。私はそれに触れたくなり、そっと触れると、突然、自分が巨大な鳥に変容できることを思い出した。
 私は巨鳥に変容し、超高速で空を飛んだ。飛びながら、自分の体を感覚的に探ったが、腕でありつつ翼、鳥でありつつ人、という感じだった。混ざっている感じだ。私が舞い降りると、そこは空港とショッピングモールが合体したような場所だった。私は人の姿に戻っていた。この場所には大勢の人がいて、みな楽しそうだった。気が付くと、隣に案内人のような女性が一緒に歩いていた。
 空港を歩いていくと、突然、私は、自分がこの場所にいるには自分があまりにも汚れていると感じた。自分を汚らわしいと感じ、猛烈な不安に襲われた。するとそのガイドの女性が、そっと私に焦げ茶色したマフラーを丸めたものを私に差し出した。それを受け取り、顔をうずめると、その不安が急速に収まった。私はその不思議なアイテムを使いながら、この空港をしばらく歩いた。カフェのようなものを見つけ、ガラス越しに、知っている女性がいることに気づいた。(地上的には知らないが、あちらでは知っていた)私は、「彼女もここに過ごせるようになったのか。みんなここで過ごせるようになる」みたいなことを思った。
 すると突然、視界が周りから暗くなっていき、真っ暗になった。それと同時に、ミュージカル風に、曲に載せながら歌のように、美しい男性の声が聞こえてきた。
「このモンストロ、あなたに見せたのは、1つの理由からです。あなたは・・・」
 この「あなたは」のところで、私は猛烈な不安に襲われた。私はきっと「汚れている」とか「間違っている」とか言われると思っていたのだ。しかし聞こえてきたのは
「あなたは、素晴らしい」という言葉だった。厳密に言うと、「すばら・・・」という感じでフェイドアウトした。
 私はその歌のメッセージに深い安心感と感動を覚え、号泣し、泣きながら肉体的に目を覚ました。
・コメント
 モンストロというのは、Eテレの音楽教育番組に出ていた「楽器の生き物」の総称です。なぜこの世界をモンストロと言ったのかはよく分かりません。私は変成意識に入って、自分の中に出てくる邪念のようなものに襲われることが多かったのですが、それが最近ではほとんどありません。ミンタカで感じたのもこの邪念のようなもので、それで「私はここにいるのに相応しくない」と感じたのです。私はこの邪念を振り切らない限り、地球外世界に戻ってはいけないと思っていました。このミンタカ以外でも、例えばスピカやアルクトゥルスなどの明晰夢接触を思い出しますが、私はよく不安に襲われました。しかしそれは違うことが分かってきました。そのことを感動体験として教えてくれたと思います。
「思考は自分の所有物ではない」ということが、最近、体感的に分かってきました。思考はどこかからやってきて、私を通過していくのです。邪な考えがあるとき、それは私一人によって作られた邪悪さではないという感覚です。私はその流れの中に生きているのです。この地上に生きている限り、肉体に閉鎖されたことによる、あるいは重力に引っ張られたことによる偏った思考が、自分に訪れます。それを断ち切る方法は、この流れに気を取られないということであり、「それは私ではない」と、自己想起的に観測するということになるのです。思考がやってくることを拒否することはできません。拒否するためには、それが来ない振動に身を置くということになります。
 帰還後に治療や再教育を受ける機会もあるそうですから、帰還することに対して、恐怖を感じる必要はないと、今は思います。

⑦ 2021年3月1日⑤ 「箱を掃除する」(2018年)


 今日、過去の体験を思い出すために、フェイスブックの過去記事を見ました。けっこう忘れていた体験が記録されていて、今でも参考になるものがいくつかありました。(思っていた以上に、筒に変身した記録があり、ああ、そうだったな~という感じでした)
 その中の1つを、ついでにここで「過去の振り返り記事」として記載しておきます。
<2018年12月24日。今朝も明晰夢>
 私は古くて小さな本棚のような棚のような木でできた箱を、雑巾できれいにしていた。なかなか綺麗にふけているが、あまりよい品には見えない。
知人の男性が現れて、私に聞いた。「なぜ、もうすぐこの世は無くなってしまうのに、そんなことをしているのか?」と。
 私は返答に困った。自分でもよく分からないのだが、それはやるべきこととして、当たり前のことのようにも思え、愛着があることのようにも思えた。
そこで私はよく分からないままに、「あちらの世界がどんな場所かまだよく知らないので、こんなことをしている」と言った。
 彼は、「ふーん?」という感じで、不思議そうな顔をして消えて行った。
そのあと目覚めて、もう一度明晰夢になると、誰もいないテーマパークのような場所に来た。早朝のせいか、誰もいない。
・コメント
 薄々とは気づいていたのですが、この汚れた木箱は、今住んでいる地球のことだと思います。他所の世界を知らないので、やれることとして、地球をせっせときれいにしているということです。私は割に、世直し的な発想に囚われやすいので、そのことも表していると思います。あちらの世界から見たら、「何マニアックなことにハマってるの?」という感じなのでしょう。

⑧ 2021年3月1日⑥ 「感動体験H12についての一考察」


 芸術家たちが創作し続ける気持ちというものが、いかなるものなのかを、私は今まで想像することすらできないでいました。あのモチベーションはどこから来るのか?何の意味があるのか?芸術家にも様々なタイプがいると思いますので、私が言うのはすべての芸術家のことではありません。「本物だろうと私が思うタイプ」の人々です。私はそれをなんとなく想像できるようになってきたと感じています。自慢とかそんな類のものではないのです。私の変化を記載しています。
 それを私の言葉で表現しますと、「感動を作り続けることによってのみ、私は存在することができるから」というものです。これは太陽H12の体感を言葉にしているのだと思います。
「感動を作り続けなくても、今ここに、ボディーがあるではないか」という視点があります。しかし、それはもはや「私の本体」ではなく、「もっと真実に近い私」が宿る場所に過ぎないという見方に変わります。ここで言うボディーは、それ肉体だとしても、エネルギー体だとしても、それほど変わらない気がします。私が今、感じているのは「感動を作り続ける主体として、自分を見出しているか」という点が重要だ、ということです。
 これは、何も芸術家でなくてもできることなのだと、今では分かります。感動を作り続けることが重要であって、形が重要ではないからです。
エネルギー的に私をサポートして下さっているY先生も、「感動を与えられるようになってください」というようなことを、何度も話してくださいました。Y先生にとっては、エネルギーによるヒーリングとかサポートによって、感動体験を作り出しているのです。私の地上的な仕事に対しても、Y先生は、「感動を与えられるように」と仰っていますし、スポーツの中にも、それを見出していらっしゃるようで、テニスやサッカーの世界試合などもよくご覧になっているようです。感動を与えられる選手を応援していらっしゃいます。
 私はふと、昔、好きだった漫画を思い出しました。その漫画はもう寄付してしまって手元にないのですが、「家栽の人」という、裁判官が主人公の漫画です。主人公の桑田判事は少年犯罪に関わっています。
「少年犯罪など、出世の一過程にすぎない。次から次へと犯罪は起こり、処理していくだけ。」みたいなことを別の若い裁判官は言います。「あなたはなぜ、少年犯罪にそこまで思い悩み、考え続けるのですか?」
 それに桑田判事は応えました。
「あなたは知らないだけです。少年たちが暗闇を抜けたとき、彼らがどんなに素敵な笑顔を見せるのかを」
 桑田判事は、「正義のための正義」に意味はないことを弁えており、裁判というテーマの中で、どうすれば彼らの笑顔を見ることができるのかを探ります。そして法律や裁判は本来、必要のないものかもしれないとする一方で、それらは、街に植えられた「火災の拡大を防ぐイチョウの木々」のようなものだと思うと語りました。
 H12の光の放射を、思考の対象としてではなく、自分の実体として捉えることは、どのようなテーマの枠でも実践できるのだと思います。それは社会のためとか、未来のためとか、そのような「狭い思考」の帰結によってもたらされるものではなく、あたかも食べ物を食べ続けることによってボディーが存続するように、自ら発光し続けることによってのみ自分を存続させることができるというものです。前者は「低次の思考」によってもたらされた制限によって、自分を牢獄に閉じ込めます。後者は、ただ光り続け、目の前にあるすべてのものを、そのための材料にします。不足と思える条件も、不合理とか機会で整っていないとか、そのようなものも関係ありません。「H12の私」にとっては、「今、光っているか」、それだけが重要ということです。
 感動を与えるということは、「H48として生きている人間の期待に応えるということ」ではありません。喜びを与えるその主体は、H12の側にあるのであって、H48の定型化された生き方のパターンに組み込まれることとは全く異なります。その感動は、H48から見てみた場合、青天の霹靂のような形でやってくることも多いのではないでしょうか。「予想外だが、心のどこかで求めていたもの」です。
 感動を与えられる自分でいること(振動の高いボディーを整えておくこと)、感動を作り出したいという欲求に従って生きること、というのが、新しい指標として見えてきました。私にとってそれは「感動巨編大作を作りたい」とか、今のところは、そのような大きなことは考えていません。それは日常の中にあるのかもしれません。しかし日常に埋もれるのではありません。日常というH48の、どこにも行きつかない無限ループの中に、私は私の方法によって「差し込む光」をもたらすことを望みます。ヘリオセントリックチャートは、その指標になるだろうと思います。

⑪ 2021年3月5日朝 「風の地球のコーラス」


(前略)
目を覚ますと、驚くことに、また自室で体脱状態だった。(全てベッドで布団をかぶっている状態で始まるので、地上的世界との区別がつきにくい。しかも早朝で暗いので、ほとんど何も見えない)さきほどと同じく、私はバンダナを頭に巻いていて、少しズレて目にかかってきたので、邪魔になり、それを外した。私はもはや、何を呼んでいいのか分からなったが、別地球は4つの元素に関係していると先生が仰っていたのを思い出したので、「風の地球」と言った。
 すると体が自動運動を始め、仰向けになり、仰向け扇風機回転を始めた。おそらく半時計周り。回転の途中で気づいたのだが、この時の回転の基点は足ではなく、両膝の半ば辺りになっていた。そして特徴的なこととして、男性たちによる美しい歌声のコーラスが聞こえてきた。それは私がよく知っている歌で、私は心の中で一緒に歌った。とても楽しい合唱だ。すると、そのコーラスに違う男性たちが加わり、楽しさに重厚感が加わった。回転しながらそれを聞いていると、さらに別の男性たちが加わり、併せて女性たちによるバックコーラスが加わった。男性たちは歌詞を歌い、女性たちは「あああ~♪」みたいな感じで、メロディーだけを表現していた。私はこの初めての体験が、あまりにも面白く、「何だ、これは?」と思いつつも、ニコニコしていた。一瞬、かつて私が恒星探索の時に感じていた、「自分の内にある邪なもの」を自分の内に知覚し、彼らに申し訳ないと思ったが、コーラス隊はそれには気にも留めず、歌は続いた。「私はレコード盤で、回転すると歌が流れるのか?」などと、ジョーク交じりに思っていたが、しばらくしてフェイドアウトするように、肉体的に目を覚ました。
・コメント
 今朝の体脱は、肉体的に目を覚まさずに何度も繰り返されました。もしかしたら、記憶から飛んでしまい、書くことができなかった体験もあるかもしれません。
「風の地球」では、回転の基点が膝辺りで、これは12種類の地球のうちで、風のエレメントに対応する3つをまとめて選択したために、基点が足に達しなかったのではないかと思います。
 このコーラス隊が3つだとすると、双子座的地球、天秤座的地球、水瓶座的地球による合唱と考えると良いのだろうかと思いました。「ロマネスコ・アース」の時は、楽器1つのシンプルなメロディーでした。特定された地球の選択だったから、と見ることができるのではないかと思います。
そうしますと、具体的な12の地球を選択する前に、階段の分かれ道として、「火の地球」「風の地球」「水の地球」「土の地球」というふうに、段階を作ることにとよって、一挙に移動する衝撃を緩和できるのかもしれないと思いました。「タイタン・アース」の初回では、左脚に強い痛みを抱えることになったので、まずは、この4つのアダプター的な場所をキープすればいいのでは、と思いました。
 聞こえてきた歌は、体脱の中では明らかに知っていて、私も心で歌っていたのですが、肉体的に目を覚ますと、すっかり忘れていて、「本当に知っている歌だったのかな?」という感じでした。何となくですが、カーペンターズの「トップオブザワールド」だったような気がするのですが、自信はありません。全然違うかもしれません。目が覚めた後、何故か「カーペンターズ」と思ったのは確かです。そうだとすると日本語歌詞だったので、自動的に翻訳されていたことになります。私はこの歌の歌詞を知らないので(もちろん日本語訳も)、どういうことだろう?という感じです(笑)
 それで、この歌を聞いてみようと思い、PCで視聴しましたら、なかなか興味深い歌詞で、恋愛要素を除いて解釈すれば、あたかもこの地球を卒業することや、風の地球に移動することの歌のように見えて面白かったです。「風」という単語も出てきます。「あなた」はシヴァのこと、「私」はシャクティーのこととすると、いっそう面白いです。
「風が私の名前を憶えてくれて、みんな変わっちゃうことを教えてくれる。木の葉に囲まれ、そよ風が吹き、私は幸せな気持ちで満たされる」
 私は歌詞の全貌を全く知らなかったので、たいへん驚いています。まるで風の地球に歓迎されているかのようですね。
 聞こえてきた歌がこの曲では無かったにしても、それらは同じカタドリの歌として、私の頭が解釈したのだろうと思います。

 以下、引用したいと思います。(一応、調べましたら、研究目的等の引用だと全文でも著作権違反にはならないそうです。)

⑫ Top of the world (citation)
Such a feelin's comin' over me
There is wonder in most everything I see
Not a cloud in the sky
Got the sun in my eyes
And I won't be surprised if it's a dream

Everything I want the world to be
Is now coming true especially for me
And the reason is clear
It's because you are here
You're the nearest thing to heaven that I've seen

I'm on the top of the world lookin' down on creation
And the only explanation I can find
Is the love that I've found ever since you've been around
Your love's put me at the top of the world

Something in the wind has learned my name
And it's tellin' me that things are not the same
In the leaves on the trees and the touch of the breeze
There's a pleasin' sense of happiness for me

There is only one wish on my mind
When this day is through I hope that I will find
That tomorrow will be just the same for you and me
All I need will be mine if you are here

I'm on the top of the world lookin' down on creation
And the only explanation I can find
Is the love that I've found ever since you've been around
Your love's put me at the top of the world

作詞:Richard Carpenter


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