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神社と神主について 第1章 神社の役割

この文書はフィクションです。語り部としての神主は、実際には存在しておりません。

前書き
 いくらかの若い神主が、私に面白い話を聞かせてほしいと訪問することが多くなった。私は、私が経験した神秘的な出来事を、包み隠さず話し、彼らはそのことに驚き、信仰について問い直すためのちょっとした機会としているようだった。そんな中で、何か一つ、全体的にまとめたものが欲しいので、インタビューさせてほしいと依頼され、それを了承することにした。私は改めて、私が伝えられること、あるいは私の整理の仕方をまとめてみることに興味が湧いたのである。そのことが、私が私のことを振り返り、次にどこに向かうのかを、明らかにしてくれるような気がしたからだ。だからこの文書は、彼らのための文章でもあるし、自分のための文章でもある。

前提
 私が神主になったのは、私の家系が神社関係だったからではなく、いろいろな人生の経緯の中で、たまたまそのような立場になっただけである。この事情が、逆に、神社とか神主について、偏見の少ない目で観察し、それがどのようなものなのかについて、今までにはあまりなかった視点で語ることを可能にしてくれたと思う。とは言え、あくまでこれは私の見方であり、私なりに自信があるとは言っても、絶対的に正しい見方だとは思わない。有名なテレビ番組にある「私の流儀」という言葉で表されるものだ。だから読者には、ここに書かれているのは、神主としては少し珍しいタイプの人間が、神社や神主について考察した一つの試みだというスタンスであるということをご理解いただきたい。
 もう一つ予め語っておきたいことは、社家の人間ではないけれども、私は私なりに、肉眼では見えない世界についての学びを、いわばライフワーク的に継続してきたので、そのような分野についてそこそこの知識や経験を身に着けてはいたということだ。だから、神社や神主について語るという内容が、単に地上的な、社会的な視点のみという前提でなく、神秘学的な視点を多く含んでいるという前提に語るものになっている。

第一章 神社の役割

信仰への3つのタイプ
 神主について考えるとき、他の職業と同列に考えやすい部分と、考えにくい部分がある。考えにくい部分は、神秘や神性について、生々しく関わる仕事であり、考えやすい部分は、ほとんど関わらないか、まったく関わらない仕事ということになる。というのは、個人によって差があるにせよ、全体的に言えば、神秘や神性についてそれを現実だと受け止めず、そのような体験は幻のように思われがちだからである。ここに大雑把に3つのグループを想定できると思う。神秘や神性についての態度で最も多いのが「信じないタイプ」、次に多いのが「信じているタイプ」、最も少ないのが、「知っているタイプ」である。
 面白いことに、神主の中にも、この3つのタイプがいる。神主の中で「信じていないタイプ」とは、単に現代的な社会的立場として、お金を稼ぐために、神主という職業を採用しているという者たちだ。この中には「信じている振りをしているタイプ」も含まれている。私は、彼らに対して、特に軽蔑したり怒りを感じたりしているわけではない。
「知っているタイプ」というのは、神秘体験があり、神と接触したという生々しい経験を持ち、人生の中でそれらの力が発揮されるのを、わが身を以て証明してきた者たちである。神主は本来、誰でもここを目指すのが本義ではないかと私は思うのだが、現実はそうはなっていないように思う。神主ですら、内輪で神秘的な体験を語るようなシーンになったとき、「お前は頭がおかしいのか」という態度を取られる場合もあるのだから。
 さりとて、神主をしている者の割合から言うと、一般に比べて「信じていないタイプ」よりも、「信じているタイプ」のほうが多いだろうと思われる。しかし多くの者に、神秘や神性は「信じるもの」であり、「知るもの、体験するもの」ではないと思われていると私は思う。
 よって、現代の神社は、神秘や神性について「信じない」というスタンスと、「信じる」というスタンスをターゲットにした仕事をすることが大きな「社会的役割」になっているわけである。「知る、経験する」ということは、あまり考慮に入れられていない。

神社の歴史の概観
 かつては、神社は当然、「知る、経験する」ための場であったろう。祭祀のシステムも、「神懸り」を利用するものだったことが、文献から推察される。神懸りシステムは現代でも用いられている神社が、もしかしたらあるかもしれないが、ほとんど知られていない。神懸りをしなくなったことは、古事記や日本書紀に描かれている天の岩戸神話で描かれているようで、現代の御祈祷は、あの神話の再現を行っているわけである。神楽も祝詞も鏡も、あの神話が始まりということだ。この新たに生まれた祭祀、御祈祷システムは、神を降ろして生々しく神と接触するやり方とは異なり、神との距離感を生んでしまったように私には思える。しかし、だからと言って、神とのコミュニケーションができないシステムというわけではない。実際、御祈祷中に、神性を肌身で感じることはあるし、その効果を生々しく体験することもあるからだ。しかし、祭祀の形骸化と、不可視の世界の影響力への無関心化は、御祈祷システムによって加速させてしまったということは、言えると思う。
 御祈祷システムの導入は、鏡を中心として、剣やその他の宝物を神の依り代とし、それを祀るということで、神懸りシステムでは不可能なことが可能になった。神懸りシステムで問題なのは、神を降ろす人間に何か問題が発生した時、祭祀不能になるということと、信者を増やす必要がある場合には、どうにも拡散力に欠けてしまうということである。
 御祈祷システムは、例えば鏡に神のエネルギーのコピーを宿らせる方法になるので、鏡を大量生産すれば、それだけ同じ神を祀るための拡散力が比較にならないほど跳ね上がり、その依り代がある以上、祭祀困難になるということが、ほとんどなくなることになるわけだ。
 この御祈祷システムは、鏡を祀る祭祀とともに、記紀神話に表れているように、国を代表する神を祀るという国家のシステムと非常に関係が深いものだと思われる。記紀神話で、全国の神々が、一つの物語に集約され、その代表が天照大神で、天照大神は、日本の「国の神」であり、日本をまとめる中心の神となっている。「国家の神」という立ち位置だと、私は整理しているが、その影響力を全国に行き渡らせるために、鏡を使った祭祀で、全国の氏神信仰・祖先信仰を統一したということであろう。
 天武天皇・持統天皇の御世に、唐があまりにも強大で、その対抗策として、日本をまとめるためのシステムと、それを統一する精神的な物語が必要であったのだろうと思われる。
この辺りの歴史的な流れの正誤は、証明することはできないけれども、私の考えをまとめると、大雑把な流れとして、まずは先祖崇拝とか神懸りというやり方で、祭祀を執り行っていたのが、鏡やその他の「物」を依り代とし、安定的な祭祀を執り行うようになり、その流れの中で、国家を統一するために、その依り代を用いる祭祀を利用した、という流れになるという訳である。
 文明文化が進み、交通の便が良くなり、都市が日本の中に生まれるようになると、里を離れ、他の里や都市に引っ越し、住み着くようなことが多くなった。これは、生まれ育った土地の神や、祖先神のへの信仰の絆をあやふやにしてしまう働きがあった。引っ越した先では、引っ越した先での神を祀るようになり、あるいは文明文化が進むほどに、職業の専門化が進み、それぞれの職掌に応じた神を祀るという流れになっていくわけだ。
ここで、氏神信仰から、崇敬者信仰という新しい信仰者の集団が誕生していくことになる。里の神は、主に田畑の収穫にまつわる信仰か、あるいは漁業や地元の産業にまつわる信仰がメインとなるが、都市部においては、商売の神が重んじられ、収穫の信仰よりも、都市化したことによる弊害である「疫病」を防ぐための祭祀が重要となった。都市部において新たに祀る神は、祖先神ではなく、大きな影響力のある有名な神社の勧請というやり方になり、有名な神が祀られる神社が、全国にたくさんあるという状態になっていったわけである。
 このような文明化が進む中で、鏡を使った祭祀は継続され、現在でも、本殿に御神体を祀り、神にお供えをし、祝詞を奏上し、神楽をご覧いただき、玉串を奉納するというやり方は、ほとんど全国で執り行われている方法となっている。一方で、科学が進歩し、神に祈らなくても、日々の食事や住居の安全を確保し、怪我や病気を治すことが可能になってきたために、神社の役割そのものが、かつてより軽くみられるようになっていることは否定することはできない。
 現代では、神社に来る理由は、思い出作りや観光が大きな理由であり、第2の理由は伝統文化を楽しむため、という理由がほとんどになっている。人生の中で不運に見舞われ、神頼みしかないということで、御祈祷や参拝に来る人、あるいは何か事業や受験などの目的のために、とにかく何でもいいから力になるものが欲しいということで、お札やお守りを持つ人もいるが、これも全体から見れば少数派であり、神とともに生きているという態度の人となると、もっと少数派というのが実態である。
 そもそもは、里単位の先祖崇拝が神社の始まりだったのだが、その形式がほとんど失われ、「たまたまそこに住んでいるから、その神社にお参りしている」というのが現代では多数派で、先祖代々、この神社、この神を祀っているというケースは、かなり少ないと言える。
 しかし、だからと言って、神はそのような新しいタイプの信仰には応えないという訳ではない。祭祀を執り行い、祈りを捧げると、必ずそれに応えてくれる。自分の子どもではなくても、自分を親のように慕ってくれる人には、愛着がわくというのと同じである。
 問題は、都市化による里離れと、祭祀の形態による形骸化と、科学の進歩によって、人々は、ほとんど不可視の世界のことについて、自分には直接関係のないことのように思い込んでしまったということだと私は思う。さらに言うなら、そのような複雑な状況の中で、自分のルーツにつながっている神が、いったいどの神なのかが、ほとんどわからなくなってしまっているということも、大きな問題である。

もっと昔のことと、魂のこと
 そもそも、神主という仕事が専門職になったというのも、時代の中でそのようになったわけで、最初からそうだったのではない。最初は、村を上げて、先祖に祈りを捧げるというのが、基本スタイルだった。文明文化が進むと、社会の中に様々な専門家が現れ、それぞれが専門的な仕事、役割に従事するようになっていった。やがて、神祀りという里にとって最も重要だった仕事も、重視されなくなり、役割を決めて順番性になったり(一年神主)、専門家としての神主(社家)が現れたりするようになっていった。これは、信仰の意識が、個々人から薄れていったということも表している。神祀りは本来、全員がするべきことだったのが、専門家がする特別なことになってしまったわけだ。
 しかし、私はもっとそれよりも前のことにも言及したい。村全体で祭祀を執り行い、先祖の神と接触する以前は、どのようなスタイルだったのだろうか。私の考えでは、祭祀を執り行わなくても、先祖の神、つまりは自分の魂のルーツと、もっと直接的に、それぞれが交流できていたに違いない。現代の用語で言うと、全員がチャネリングしていた、ということだ。(「例えば「ソクラテスの弁明」を読んでも、かつてのギリシャ人が普通にチャネリングしていたことが伺える)そのような状態から、なぜ、祭祀が必要になったのか、と逆に問わなくてはならないのだ。かつて魂は、肉体に、現代ほどには組み込まれていなかったということだ。時代が進むにつれて、我々は、より肉体重視の生き方になり、物質的になり、魂とそのルーツとのつながりが遠くなってしまう存在形態になっていったということだ。そこで、その記憶喪失的に失われたルーツとの関係を取り戻すのが、祭祀であったというのが、私の見方である。
 魂があるのか、無いのかという問題を、あまり突き詰めて考えずに、様々な宗教的議論が行われがちだと私は思う。もし魂があるなら、我々の身体の進化に関わらず、その影響を受けずに、魂は存在したと考えるのが理に適っている。
 魂の世界、ルーツの世界が、本来の我々の居場所であり、地上には冒険に来ていると見立てることができる。最初のころは、ルーツとの関係を絶たずに地上に過ごしていたが、地上への関心が深くなりすぎたために、ルーツとの関係をだんだんキープできなくなっていった。その過程が、祭祀のやり方を変更していく姿となって表れており、今や、魂やそのルーツが本当に存在するということ自体が、ほとんどの人間にとって、眉唾物のように捉えられているわけである。

これからのこと、神社と神主の真の役割
 そういう考察に則って、私が考える現代の神社と神主の真の役割は、魂が存在すること、魂のルーツとなる世界が存在することを、思い出してもらうということである。それを思い出し、実際に、そのつながりを取り戻す機会を提供するということである。
 この目的を推進するに当たり、問題となることがいくつかある。
 私が考える、現代の神主のもっとも大きな目的は、奉職している当該神社の祭神をルーツとする人たちが、その神社を通して、そのつながりを復活することである。しかし、奉職している神社の祭神をルーツとしている者だけが、参拝するわけではない、という問題がある。この問題は、どのような参拝者であれ、神を崇敬する心があるならば、神はその見えざる力を示し、御神徳や恵みを与えてくれるというのが答えだ。このことが、さらにその当人に、見えざる世界への興味をそそることになるだろう。この連鎖が、自分にとって最も重要な神に接近してく道につながっていくと、私は考える。そもそも不可視の世界の可能性に対して開かれていないなら、何も話は進まないのだから。
 次の問題として、通常の神道では、御祈祷スタイルの祭祀が行われるのが基本であり、その他の可能性が示されていない。現代神道には神と接触するようになるための具体的なメソッドや方法論について、ほとんど語られていないということ。これはまず、神道の古典的なやり方を導入してみるというのが良いだろう。神懸り、湯立て神事、参篭…各地域に、いろいろなやり方があったはずだ。さらに神道が歴史の中で取り入れてきた様々な異国の宗教の方法論を取り入れると良いと思う。神仏習合の時代があったことを再評価し、仏教を始め、道教や修験道や陰陽道など、使えるものは使うべきである。アジアのものだけではなく、西洋にだって優れた体形やメソッドがあるわけであるから、使わない手はない。さらに現在の社会の中で、新たに生み出すことだって可能なはずである。神とのつながりを復活することを第一義とし、そのためにはあらゆる方法論を参考にし、伝統文化を損なうかもしれないということについては、その大きな目的に適っている限りは、慮りすぎないようにすることだ。(そもそも、神道の歴史というものは、あらゆる異国の文化を吸収する歴史であったことを、念頭に置いておくべきだろう。)今、そのようなものを取り入れるべきだというのは、神とのつながりを復活させるためであって、文化として残すとか、氏子崇敬者にパフォーマンスとして見せるためではない。現代の神社の形態を維持しつつ、神主のほうで密かに行えばいいだけのことである。
 もう一つの問題として、神とのつながりを取り戻した者にとっては、職業としての神主を必要となくなるということだ。これはいたし方のないことだ。それが本来の姿なのだから。しかしいきなり世の中に神主が不要になるようなことなど、今のところ、ありはしないだろう。つながりを取り戻してもらう活動を続けつつ、そのセンターである神社を維持していくことも、大切な役目になるだろう。神とはどこにいても接触できるが、媒体があることで、よりそれが容易になるからだ。お守りやお札もその媒体であり、最も大きな媒体が、エネルギーセンターとしての神社ということになる。

自分の神、自分のルーツとのつながりが復活した場合に、その人の人生はいかなるものになるのか。それは目に見えるものだけを頼りに生きるのではなく、見えざる存在とともに、見えざる法則をも考慮に入れた人生に変容する。シンクロニシティーと呼ばれる偶然が起こりやすくなり、他者から見れば幸運の連鎖に見えるような人生となる。不運と思われるようなことがあっても、以前のように取り乱すことはなくなり、死への恐怖心が少なくなっていき、人によっては完全に無くなる。
現代社会において、この領域に達することができる人数には、限りがあるかもしれないが、その人数が増えるごとに、社会に対する良い影響力が大きくなるので、できるだけ多くの人に、そのつながりが回復されることが望ましいということになる。安心を前提とした人生は、社会に平和を持たす働きがあり、不安を前提とした人生には、社会に混乱をもたらす働きがある。これは、十分に愛情を受けて育った子供のほうが平和的な大人になり、愛情を十分に受けられなかった子供は、混乱し、不穏な大人になることと同じようなことだ。
ここで重要なのは、それぞれの神を見つける必要があるのであって、自分の神を他者に押し付けることは有害だということである。ただ神主やそのほかのつながりを回復した人々の生き方が観察されることにより、誰でも、そのような生き方ができるという可能性を示すことはできる。

時代と共に、神社と神主の役割は変化していくが、変わらないのは、神との関係を維持することである。神とともに生きるという点だけは失われてはいけない。それが無くなると「プレゼントのパッケージだけを豪華にして、中身は無い」という、いわば詐欺的な仕事になってしまう。現代では、その関係性そのものを取り戻す作業が必要になっている。プレゼントの中身を確認する作業だ。
このようにプレゼントの中身が忘れられがちになったのは、もちろん物質主義に肩入れしすぎたせいであり、超重力の世界で迷子になってしまったということだ。物質主義に陥るということは、人間で言うと、体だけが本質であり、それ以外はないという発想になる。それが肉体をもって一つのコスモスが完結しているという幻想を生み、ここに行き過ぎた個人主義も誕生する。個別化が進めば進むほどに、血族意識や里意識は低下し、都市化意識となる。それがいいとか悪いとか言うつもりは、私にはない。現代にあった信仰の形が必要になるだけだ。つまり、個別化された意識にまで行き届く、新しい信仰の形をもたらすのが、現代の任務ということになる。それが、私が「潜ませる」という言葉で表すやり方だ。
個別化は、否定的な側面だけでなく、人間の存在形態の新しい可能性を開拓した。その弊害面を癒すことは、それぞれが自由形式によって所属先を探し、さらに魂のルーツを見つけていく流れに発展できる可能性を孕んでいる。何でも自己責任にしてしまうグローバリズムがピークを過ぎたが、それは個別意識のピークが終わったことをも表しており、現在、新しい形の集団化の流れが芽生えている。


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