映画の感想を書いたり読んだりする時の気持ち
「noteの世界って優しい」って確かにそうだとも思う。だけどnoteの中でそうでない世界もあるから、優しいと思える人は「自分たちの作り上げるnoteの世界って優しい」のだろうな。そしてその世界が外側からどう見えるとしても、私はこれで良いな。
現実の世界も、SNSの他の世界もそんなに優しいわけじゃないもの。そんな中で一つくらい自分で作れる世界があるのなら、そこは優しくて良いよ。
映画や漫画やお笑いや、自分の好きだと思うものや感想を伸び伸び書けるってありがたいなって改めて思って。
コンテンツものに対する批判は多いから、自分がこんな感想を書いて良いのかなと不安がじっとりつきまとってくる。みんなは関心ないよな、読んでもらえないだろうと心細くなったり。かと思えば、誰もが読める場所だから私の力では伝わらなくてイヤな思いさせるかもと緊張したり。
どんな文でもついてくる気持ちだけど、コンテンツものの感想、特に私は映画が多めなのでその時載せる心細さは強い。自分の手を離れたらもう読み手のものだとさんざん言い聞かせてきた考えをくり返して載せる。
それでもnoteでは、書いて載せれば読んでくれる人がいる。普段交流している人たちがいるから私の場合は義理でスキつけている人もいるのかもしれないけどさ。それでもその一つ一つのスキが励まされるし、安心する。
最近フォローして下さった方たちは、何年も前の記事なんかわからないものね。マガジン見ても昔の記事までさかのぼって探すのなんて大変だし。ちゃんと書いておかなくちゃ。―と思うのだけど、2年前や3年前に書いたことって、自分の中で意識はちがっても、ちょっと前に書いたしと思っちゃうのよねえ。
昔からフォローしている方でもほぼ同じ内容のものを書いているのを見ると「あっリライトかな?」って思うもの。同じ内容のものだと自分で認識して載せるのは、つい遠慮してしまう。
そうは言っても、最近読んだ内容でも忘れていることもあるし、自覚なく以前と同じようなこと書いている時もいっぱいあるから、遠慮しなくて良いのにね。
それに自分でわかっているのだったら、断って書けば良いのだし。
2年ほど前にコンテンツ物、特に映画の感想について、自分がどういったものを書きたいか、読みたいかを書いた。
読み返すと、当時から継続している考えもあれば、一部ちがうものもある。フォローなどいろいろと関係も変化したので、そのまま記事を添付するのは抵抗があり、抜粋しながら今の考えをまとめたい。(当時の記事は下書きに戻しました)
よく読みに行く方なら特に個人的な思いや考えを書いてくれていると、より楽しい。作品から思い出した個人的な経験とかね。その方がよりその人を知れて面白い。
その中であらすじを紹介しているものもわかりやすくて良いし、私も書く上で、あらすじ書かないと感想にたどり着けない場合は書く。
でも心がけているのは、できるだけ「あっ!」って喜びも悲しみも驚きもショックも、感情を動かされたシーンそのものは書きたくなくて。それがストーリー展開だとやっぱりそこは書きたくないし、クライマックスなんて当然書きたくない。私にとっても、そこで動く感情が大切でしかたないんだもの。
読んでくれた人が、その映画なりを観た時に「あっ」って思ってもらえた方がうれしい。
自分が作ったわけじゃないけど「でしょーでしょー」って思う。
観た人に感想を報告してもらわなくたって「あっ」って思ってもらいたい。
ただね。特にオススメじゃなくても、記録として残したいから書いている時もある。なので、「かせみさんのを読んで、観ました」と書かれると「イマイチだったでしょうにごめんなさい」の気持ちの時も。自分が好みな場合でも、客観的な評価を知っている時やそこそこ面白かっただけとかね。申し訳なく思ってしまう。もちろん「良かったでしょー!」の時もあるよ。
記録としてすら書かず載せない場合もある。それは好きだった、面白かったと思っても、単にあふれ出る思いがなかったり、その時期になんとなく気分が乗らないだけだったり。なんかエネルギーなかったとかさ。仕事じゃないし、まあ今回は良いやって。
そんな気まぐれで書いているものだから、やっぱりわざわざ読んで下さる方たちはありがたい。
すごく時間かけてウンウン頭抱えながら書いても何だかまとまらない時も多いし、それでもどうしても気持ちを発散させたくて読んでもらいたくて。昔の感想文の方が上手に書けていると、今の自分がまだこんなかとショックだったりもするけど。
文章力の向上はそう簡単に果たせないにしても、強く感じたことって内側にとどめておくのがしんどくて。
自分が読む側なら、心に残った場面は人それぞれってわかるような、その人にとって何が重要なのかがわかった方が私には断然面白い。
映画は大画面で没入感も強いから、未知の世界を体験できる感覚。せっかくだからそれを楽しみたい。面白くない時も、納得できない時も、矛盾だらけでも、どれだけ楽しめたか、最終的に何を感じたかを自分で受け止めるのが楽しい。
好きだからその思いはずっと変わらないし、変わらずにいられるのはnoteの優しさのおかげなのよなあ。
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。