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一人カラオケで、いつも思い出す彼女

 幼少期の名残で英語の発音がそこそこなのに、英語が話す力がない。でも時々英語を発音したくなる。
 そうか。洋楽を歌えば良いんだ!

 と気が付いて、一人カラオケで試し、あまりの下手さに激しく挫折してから、月一回、ヴォーカルレッスンに行くようになった。
 今は、例の感染症のために、休会中。

 でも一人カラオケには、時々行く。声を出さないと、すぐ衰えていく。
 いつも歌う曲はだいたい決まっている。2年以上ヴォーカルレッスンに通ったのに、大して上手くならない自分にガッカリしつつ、気分良く歌える曲で、発声の練習。邦楽も歌う。古い曲を中心に。
 最近、締める曲を、アン・ルイスの「リンダ」にしている。1番は日本語だけど、2番は英語で、高音域がなく、ゆったりとしたリズム。1時間近く、歌い続けてへとへとになった私にとっても、ちょうど良い。

***


 1980年後半くらいから、カラオケが大いに広まっていって、私が大学生だった1990年の頃。大学の空き時間に、よく友人とカラオケボックスに行った。
 同じ学部、同じクラス、同じゼミの彼女は、中学生から同じ学校だったけど、それほど親しいわけじゃなかった。
 でも誰もが認める美人で可愛げもあり、品も良く、浮ついていなくて、声も可愛くて、私にとって眼福と言って良い存在。
 彼女は、イタリアからの帰国子女で、大学で第二外国語として取っていたフランス語も、さほど苦もなく良い成績だった。必死で頑張っている他の生徒に「なんでいっつも授業中寝てるのに、そんなに良い点数取れるんよ!」と、本気で罵倒されていた。

 「……昼寝してるからってやってないわけちゃうし」
 罵倒した子が教室を出てから、友達はボソッと言って私に向かってニヤリと笑った。

 目に見えて頑張っている人から見たら、腹も立つのかもしれない。私もフランス語の成績が悪かったけど、彼女の要領の良さには「羨ましいなー」くらいしか感情がわかなかった。やっぱり友人だったし、可愛げもあったので、腹も立たないのだ。

 例えば机の上に突っ伏して寝ていると、ビクン! てなった自分に驚いていた。
 例えば自分の名前を記入するべき所に、上に書かれた「〇山」の名前を見ながら書いて、自分の名前を「〇山」って間違えて書いていた。

 えええ。授業中にビクン? とか、自分の名前を間違う? とか、静かな場面で私も声を出さずに笑うのが辛いくらい、彼女の天然ぶりに笑わせてもらった。そして、そんな自分を恥ずかしがって顔を伏せながら笑い転げている様子が、また眼福なのだ。何やってもカワイイわい……。

 そんな彼女がカラオケで歌う曲は、低い音程のものが多く、私にとっても歌いやすかった。

 そう。「私にとっても」。

 私は当時から男性ヴォーカルの曲や洋楽を聴いていたので、レパートリーが全然なく、彼女の歌う曲を聴いて覚え、歌っていた。何でこの二人、同じ曲を繰り返し歌っているんだろう。って周りに人がいたら思うだろう。
 でも彼女は私に何も言うわけでもなく、二人で同じ曲を何度か繰り返し歌い、また次の曲をそれぞれに繰り返し歌う。特別張り合うわけでもない。互いにそれで満足なのだった。多分。


 彼女は、堅実で誠実な彼と付き合っていた。当時から「結婚したい」と言っていた。
 それに引き換え、私はロクでもない人を好きになり(そこまで「ロクでもない」わけじゃないけど)、ちょっと付き合ってはフラれ、と何度か繰り返していた。

 傷心の私に、彼女はよく「リンダ」を歌ってくれた。

 「泣いてばかりの恋はもう終わったの」

 会話の中でも、私の味方になって励ましてくれたけど、その歌を歌われると、いつもちょっと泣きたくなった。

 そして私も同じ曲を歌う。

 「子供の頃に夢見た 幸せをつかまえたのね」

 彼女は、高校生の頃から「早く大好きな人見つけて結婚したい」と言っていた。
 大学生のその頃、付き合っている彼の話を聞かせてくれて、私も一緒にキュンキュンさせてもらった。


 大学卒業して早いうちに、彼女の挙式に呼ばれ、お祝いした。
 でも彼の仕事で転勤になり、あっという間に疎遠になった。

 その後、彼女は離婚。でもその土地で、初めての一人暮らしをし、仕事をバリバリやっていると手紙が来た。


 今どこに住んでいるのだろう。何をやっているのかな。曲の最後はこんな歌詞。

Just remember
I’ll always be your friend

 彼女は忘れているかもしれないけどね、私はこの曲を歌うと、独り、そっと思い出す。

#エッセイ #友人 #友達 #カラオケ #リンダ  

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