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父親から子供たちへの愛あふれる映画だった~銀河鉄道の父~

 東日本大震災は、阪神大震災のトラウマを大いに引き起こし、原発事故は私の心を沈ませた。
 そんなの考えても無駄なのに、何度「~だったら」とその先の世界を目の前に思い描いてしまっただろう。

 この辺りの地域は農家が多くて、それを生業としている人たちでなくても自分の畑で何かしら育てている人が多い。ウチは、ここではよそ者だから、疎外感がありつつその風景を日々目にし、どんな天候でもその空の下、黙々と作業する方たちを尊敬する。私たちはこういった方たちのおかげでご飯を口にできるのだ。

 だから原発事故があった時、被災者の立場でありながら「この辺りは被害はほとんどなかったから」とやっぱり黙々と作業する姿に、祈るような気持ちになった。その年に獲れたお米がどのように評価されるのか。安全な数値が出たとしても風評被害はまぬがれないだろうに、とにかくいつも通り作業をする。
 それでも私は息子の成長に影響してはいけないと恐怖心に抗えずに、母に野菜を送ってもらっていた。どこか後ろめたさを抱えつつ、子供への影響を考えない親はいないはずだからと言い聞かせ。その葛藤は子供への思いが勝つものの、苦しかった。

 そんなある日、新聞に載ったのが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」だった。
 何度も目にしたはずのその詩を読んで心が震え、励まされた。
 この詩は、人を正したり鼓舞させたり導いたりするために書いたのではない。そんな人が素晴らしいって言っているのではない。
 純粋に「そういう者になりたい」宮沢賢治の思いではないか。誰かのためにそういう人になって、誰かに喜んでほしいのだ。

 東北地方で暮らしてから当時で約10年。震災で東北の人たちを思い、皮肉なことに、初めて東北地方で暮らす人たちが好きになった。

 「セロ弾きのゴーシュ」が、自分が風邪でふせっていた時に読んだ初めての宮沢賢治の作品だった。少年少女世界文学全集の何十巻目のいったい何作目だったのだろう。数えきれないほどの名作の中にあっても、私はその世界に魅せられた。

 教科書で「注文の多い料理店」「風の又三郎」を読んで、宮沢賢治の作品が好きだなと知った。
 ファンタジックでまるで夢の中の世界みたいなのに、温かで重厚感がある。空と大地を想像させる豊かな表現。美しさと泥臭さが共存する世界。

 それでも私は特別なファンでもなくて。夫に、何年も前のクリスマスプレゼントで宮沢賢治全集をねだったものの、ほとんど読めていない。
 その世界観がすごく好きなだけで、読み込んでもいなければ内容もあいまいだ。
 今回も「楽しみだな」「父と息子の話なんて泣いちゃうに決まってるよね」と話していた程度。

*ネタバレほぼないですが、少しでもイヤな方は以下ご注意ください

 だからマスクがビショビショになって、何度も口周りを拭わなければならないほど泣くなんて思ってもいなかった。

 妹トシのセリフで最初の大波がやってきた。
 「今度生まれる時には~」だっけな。身体が弱い人なら、きっと何度も布団の中で思った言葉。ああやめてくれ、それ以上言わないでくれと願ってしまった。
 身体の軟弱な人の中ではきっと、それはもう言わない約束なのだ。つらいから。
 私は別に重たい病気なわけでもない。ただただ体調崩し寝込むのが頻繁すぎて。布団の中から何度惨めに思って、親に申し訳ないと思っただろう。結婚してからは夫に。でも子供ができたら、子供にそんな風に思ってほしくなくて。そして自分に対しても要らない心配をしないでほしくて。身体が弱くたって良いんだと言い聞かせてきた。何かの役に立っていなくたって、その存在が素晴らしいんだよ。生きていることが、まわりを悲しませないんだよ。

 「もう少し丈夫な身体で生まれたい」は、ずっと心にあり続けてはいても、できるだけ口にはしたくなくて、普段は奥に押し込めていたい。

 だから。本当は賢治にも生きていてほしかったよね。父親の政次郎に思いを馳せる。
 賢治もトシも大好きで、その若い心を受け止めようとがんばったよね。そしてたくさん誉めたつもりでも、賢治には実感として伝わっていなかった。親子って互いを想い合っているのに、すれ違うよね。親は全力で子供を愛したって、それを言葉や態度に表さないと伝わらない時もあるよね。繊細な子だとなおさら。そして若い時はなおさらね。互いに苦しかっただろうな。

 実際には「雨ニモマケズ」のメモは、賢治の没後に見つかったという。
 でも映画で政次郎が暗唱するシーンは激しく胸を打ち、演じる役所広司のすごさを感じずにはいられなかった。脚本も素晴らしかった。
 子供たちがお父さんに愛されたであろうこと、伝わっていたのかな。祈るように観た。

 そのシーンを観ながら、宮沢賢治はきっと自分に向けて「雨ニモマケズ」を書いたのだと再確認した。真実はどうあれ私はそう思う。身体の弱った自分がもどかしかったろう。周りに申し訳ないと思って生きるより、人の役に立てたら良いのにと心から願ったんだ。誰かに言って聞かせようとかそんなんじゃなくて。
 そして多くの人の胸を打つのは、きっと皆もそういう者でありたいと心のどこかにあるからだ。
 この詩がいっそう好きになった。

 改めて宮沢賢治全集を手に取ってみる。


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