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混沌に巻きこまれているうちに、愛に気づく ~「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」~

 マルチバースとかカンフーとか楽しそうな言葉が並んでいる上にミシェル・ヨーだのジェイミー・リー・カーティスだの出るって言うから「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」、夫と楽しみにしていた。
 楽しそうな映画なのにアカデミー賞作品賞に11もノミネートされているそうだ。
 えっなんでエンタメみたいな映画なのにアカデミー賞にノミネートされたんだろう。と思ってあまり何も知らないで観たけど、途中で「なるほどね」と納得。アカデミー賞側が好きかもしれないな。
 芸術映画と見れなくもない。
 石が話しているシーンなんか文字だけで、なんて前衛的なの……と「ha ha ha ha ha」のせいもあって笑ってしまった。

 けっこうなカオスを映像化しているところも簡単ではなかっただろう。客がついてこれるかどうか心配じゃなかったのかな。信頼されているんだな。と思いながら観ていた。
 脚本、監督のダニエル・シャイナート、ダニエル・クワンは湯浅政明さんはじめ日本のアニメ監督たちをリスペクトしているらしく、「クレヨンしんちゃん」を実写化するとあんな風になるのかもとの声もある。
 
※ネタバレあります


 エヴリンには日々コインランドリーの経営、接客がある。毎日忙しいところへ、身体も不自由、認知症も混じってきている頑固な父親の誕生日パーティを兼ねた春節のお祝いの準備。さらにコインランドリーに監査が入って国税庁に出向かなければならず、イライラしてパニック状態。
 優しい夫は頼りにならないし、反抗期の娘はガールフレンドを連れてくる。それでも夫も娘も本当はエヴリンと話し合いたくて何度も声をかけてくる。二人ともそれぞれに、エヴリンに雑な対応されるのが見ていて胸が痛い。
 エヴリン、そんな風になるくらいならもっと適当にしてサボっちゃえば良いよなんて思っちゃう。でもがんばってきたんだろうな。生活のために必死で生きてきたんだ。

 外国で暮らす人たちに思いをはせる。駐在員なら帰国するのが前提だけど、0から移住する人たちは基盤も、その先の保証もない。生きるために日々の暮らしのために、自己を犠牲にしながら働き社会に溶けこもうとする。
 エヴリンの家族が中国語と英語をちゃんぽんで話す感じなんてすごくリアル。彼女たちはエネルギーもあるから。言葉数も多いし声も大きい。

 私が幼少期、ニュージャージーで暮らしていた家は、1階部分が中国人の大家さん。ずいぶんお世話になった。
 彼らは日本で暮らしたこともあって、最初は私たちに気を遣って家族同士でも日本語で話していてくれる。でも段々ヒートアップしてくると英語になる。最終的には中国語でワーワーと言い合っていた。やっぱり母語が話しやすいし、話がこみ入ってくるとそうなるものよね。

 そういったところが映画の中で大事な要素となっていたのは良かったな。アジア系の移民が取り上げられることは少なめだったし、暮らしの中のコミュニケーションをリアルに描いていてくれていた。外国人にとっては難しい単語が出てくると途端に話が頭に入ってきにくくなる。通訳の誰かを伴わないと話が進まなかったり。

 
 ストーリーはマルチバースが存分に描かれていて、ちょっと「マトリックス」を連想させる。とは言っても、初めてマルチバースの世界観を知る人も、初めてじゃない人もきっと「なんじゃこれ」って混乱する。
 あっちこっち行くし、画面自体もカオス。説明もほぼないに等しいし。あと痛そうなシーンは私はほぼ目をつぶっていたし。ごめんなさい。
 だけど徐々に理解していく。事情がのみこめて、その世界観もつかんでいく。

 安心していただきたいのは、メッセージは単純明快でとてもクリアなのだ。

 「ジョブ・トゥパキ」が全マルチバースに混沌をもたらそうとしている。いろんな世界のエヴリンが、「ジョブ・トゥパキ」に殺されてしまうので、この世界のエヴリンが混沌を止めるべく、いろんな世界のエヴリンで対応する。いろんな世界のエヴリンがこの世界のエヴリンを救い、この世界のエヴリンがいろんな世界のエヴリンを救う。
 あの時ああしていたら、あの選択をしていたら、のエヴリンが次々と出てくるけれど、世界を救うのはこの世界のエヴリン。

 
 これは、娘の映画だ。母エヴリンとその娘ジョイの映画でもあるし、娘の立場でのエヴリンの映画でもある。
 親に対して娘としての自分を表現し主張し。娘を手放しつつ娘の自主性を全部受けいれる。
 親って難しいこと、がんばっているじゃないのよ。これができなきゃいけないよね。すごくわかっている。だけど。私、ギリギリできているのかな。できていないのかな。子供のために、こればっかりは全力で考えたいし子供に愛が「伝わる」ようにがんばらなきゃな。
 だって親に受けいれられていない気がするって、こんなに苦しいんだよ。ダメな面もある自分はきっと親に受けいれられないって思ってしまうもの。
 
 これは夫婦の映画でもあった。キー・ホイ・クァン(!)演じるウェイモンドはどうしようもなく気弱で頼りなく見えたたけれど、別のバースではそれぞれちがった。今の世界でも見かけや態度だけじゃない。彼がエヴリンにとってどういう役割でどういう存在なのかとわかる。
 比喩じゃなく、私にとっては号泣ポイントとなった。心優しい人の平和を願う気持ち、心ない人でなければ話し合ってわかってもらおうとする愚直すぎて間抜けにすら見える姿勢に自分を重ね、自分の心を支えてくれる存在として自分の夫を想った。うまくいかない時があったって、気持ちをこまめに伝え合おう。
 あんなシーン見たら夫と手をつなぎたくなるよ。

 そして自分自身の受容の映画。エヴリンのキャラクターは、ADHD(注意欠如・多動症)をモデルとしたそうだけど、失敗だらけの自分、選択をまちがってばかりの自分が、別の世界の自分をことごとく救っているとしたら。
 そんな「まちがった」選択をした自分が愛おしいではないか。忙しくてパニックでくたびれた自分もその暮らしも。
 
 そう。テーマは愛。
 壮大な愛の映画!
 カオスでワケのわからない世界に連れて行かれ、ポカーンとしているうちに引き込まれ。理解した頃には泣いている。
 誰だって心の中は「混沌」なのかもしれないし、それは愛でなんとかなるのかもしれない。
 
 あと肩車、流行ってるの? 




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