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みんなにとって温かいクリスマスになってほしいな

 様々な宗教への配慮から、クリスマスカードは「ホリデーカード」「グリーティングカード」などと呼ぶ。
 日本ではそんなに意識しなくて良くて、クリスマスを楽しい行事と捉える雰囲気が、私はとても好き。

 以前住んでいたアパートでユダヤ系のダンナ様のいる方に「ウチはクリスマスじゃないの」と言われた。
 ハヌカは、クリスマスの代わりみたいなものではなくて、起源がちがうし、期間や飾りなどは近いけど祝い方もちがう。ツリーではなく横並びになった9本のロウソクを立てる。最近はきっといい意味だと思いたいけど緩くなって、常緑樹を立てたりプレゼントを贈る家庭もあるようだ。
 
 ほとんど何も知らなかった私は、カードの話をする時には気をつけようと当初思っていたはずだったけど。
 心がけてから長年そんな風に呼んでいて、いつしか「ホリデーカード」と呼ぶことに無頓着になっていった。「そう呼んどかなきゃー」くらいになっちゃって。
 それでも良いのかもしれないけど、時々思い出しておきたい。

 振り返ってみたのは、人との会話で改めて振り返る機会があったのと、今年はユニセフのカードが廃止されたこともあったから。ちょっとショックだった。

 ユニセフのカードには4つほどの言語で、「良いお年を」みたいな言葉が記述されてあったと記憶している。

 今は残り物をチラホラ見かけるだけで、ユニセフは販売をやめたみたい。

 しょんぼり。

 そこに寄付できなくても、毎年カードを買って少しは力になれたらと思っていた。

 寄付とかボランティアとか、多少は自分に負担になるものだけど、できるだけ「やってあげている」と思わない程度にしている。私にとってはわずか過ぎて誰かに言うのも恥ずかしいくらい。そうじゃないと自分の気持ちの中に偽善を感じてしまうので。あくまでも私の場合ね。がんばると、身体的にも経済的にも負担になってしまうので、ほそぼそと。なので普段人に話すことはなく、それでも何もしないより良い。
 何かや誰か、どこかについて考え続けるのは意義あることにちがいないけど、それは当たり前過ぎる前提。まったく行動を起こさないのなら、それは現地にいる人たちにとっては無意味に等しい。
 そう考えるのは、自分が阪神大震災で被災して、多くの方に手を差し伸べてもらえたから。
 だからその後の災害の時も、あの時の気持ちを思い出して、自分より大変な立場の人たちに力になれたらとささやかに形にする。
 誰もが必ずそうしなきゃいけないと思っていないよ。義務的なものでもないし、誰もがするべきなんて押しつけがましく感じられるのはイヤだ。

 売名行為と呼ばれる動きをする方たちもおられるけど、私は個人的にはそれでもかまわないと思う。アピールしたって、その行為が広まるなら良い。何もしないより良いからだ。他人にどう思われようと、本人にとって何が目的であろうと、現場にいる人たちにとっては切実なので。

 自分より苦しい人がいるのなら。できることを。
 そんな思いでカードを買っていたから、個性的でデザインも好きな物が多いユニセフのホリデーカードを毎年楽しみに選んでいた。

 今年は一枚一枚を、お店で買った。それはそれで楽しいのだけどね。でも自分にも楽しみがあるという自然な形で、どこかや誰かの力になれた昨年までとはちがうんだなと少し残念な思いは残ってしまう。

 とりあえず今年もカードを書いた。そこに記載されている文字を見ながら、ユニセフのカードを惜しんでいる。

 ほんの少し前なら大げさだと思われるような言葉だけど「世界が平和でありますように」は、今の世界情勢だと多くの人の切実な願い。
 世界中でクリスマス期間を楽しめる日々が早くやってきますように。

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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。