「夢心地はどうですか」 「最近ですか」 「そうですねえ。忘れていたことを思い出します」 「それは現実ですか」 「ええ、現実にあったことです。記憶にありますので、思い当たります」 「リアルで見る夢はどうですか」 「現実での夢ですか」 「そうです」 「夢とか希望とかの夢ですね」 「そうです」 「あまりありませんねえ。小さな事ではあるのですが、大きな夢はありません。小さな夢は夢と言えないほど」 「じゃ、リアルでの夢は見ないと」 「見てますが、それは夢のような夢で、現実には無理な夢で
いつも通り行かないときは、それなりの変化を楽しめる。それはいつもの順番と違っていたりするのだが、やっていることは同じ。 しかし順序が変わると雰囲気も変わる。いつもの繋がりで来ているわけではないので、一寸新鮮。逆に順番が狂うとぎこちなくなり、スムースに流れないこともある。 いずれにしても変化は変化。そういうのは日常の中では至る所にある。前後を入れ替えるとか、少し飛んだものを先にするとか。 それはそれなりの事情なりがあるためで、自発的ではない場合の方が多い。そのため、仕方
滝川にとり、その日は何とも言えない日だった。良い日であるわけではなし、そうかといって悪い日でもない。 だから普通の平凡な日で、その他一般のよくある日に該当するが、そうとも言えない。普通の平凡さとは違う。 普通の日はそれなりに良いこともあるし、悪いこともある。それらは普通にあることで、少しは起伏がある。変化もある。だから何もないような日ではなく、何かがある日。 その規模は小さく、刺激的なことも低いので、大したことではなく、ほぼその日のうちで終わるような話。一寸出遅れたの
作田は昨日も失敗した。しかし難題を二つ続けて果たした。これはチャレンジしただけで、失敗に終わったのだが、そのことに関し、言い訳ではないが、それだけの理由があった。 その理由で失敗したが、チャレンジしたことは大きい。これは成果だ。しかも二つも果たしたのだ。 実際には失敗に終わっているが、それを差し置いても、難題に挑んだだけでもいいだろう。 失敗なので満足は得ていない。しかも二つ続けての失敗なのでダメージがあるはず。二つのうち、一つは何とかなったかもしれない。しかし、理由
島根は夢を見た。もう昔のことで、その頃の平凡な日常が再現されていた。よくある普段の生活の一シーンのようなもの。 特に変わったところはなく、結構リアルで、荒唐無稽に走ることもなく、そのまま再現されているような感じ。その何もなさが逆に気になる。 ふっと差し込まれたような挿話。しかし話と言うほどのことではなく、日常での淡々としたやりとり程度。夢が何かを見せるとしても、何が言いたいのかが分からないが、妙に懐かしい。 昔、そういうこともあったと思うが、そのときは何でもないエピソ
田沢家は兵が足りない。三方で戦があり、もう一カ所火種になっている砦があり、その兵が敵に回る気配がある。援軍に来るように頼んでも来ないのだ。さらに書状を出すが、返事はない。 そのため、方々で戦いがあるため兵が足りない。 それで敵に回ったかもしれない安永砦を見張る兵が必要になり、宇治笠郷に援軍を依頼した。 安永砦の兵と言っても郷氏のようなもので国衆とも呼ばれている。半ば従属しているが家臣ではない。 その見張り役の宇治笠郷も似たようなもの。一様味方。 「宇治笠郷ですか」
「どうですか、最近」 「冴えない日々ですよ」 「毎日ですか」 「多いですねえ」 「続けてですか。連日」 「そういうわけではありませんが」 「じゃ、ずっと冴えないわけじゃない」 「冷やかしもあります」 「日の冷やかし」 「朝から、これは良いことがあるかもしれないと期待していたのに、何もなかった。間違いだった。思い違いだったこともあります。結果的には冴えない日になりました」 「でも朝からしばらくの間は冴えていたのでしょ」 「はいはい」 「じゃ、その日は冴えない日じゃなく、冴えた日
「黄泉の平坂」 「はい、そういう別名があります。詠坂という風雅な名があるのですが」 「どちらにしても坂道じゃろ」 「いえ、坂はありません」 「ではどうして詠坂と」 「歌詠みの小道です」 「それと坂とは関係するのか」 「語呂かと」 「どこにある」 「本街道から枝道が出ておりますが、入山禁止となっています」 「山間の道か」 「そのようです。その枝道、城から街道に出てすぐのところにありますので、かなり近場です」 「歌人が散策でもしておったのかのう。しかし、立ち入り禁止の道になってお
「この札は必要なものでしょうか。あまりいい札ではありません。こんなものがいいのですか」 「よくない」 「では外しておきます」 「いや、入れておけ」 「気に入った札なのですか」 「違うが、悪くはない」 「こちらにあるのがいい札ですね」 「その中に挟んでおけ。いや、むしろどうでもいい札の方を多くせよ」 「でも使わない札なんでしょ」 「いや、よく使う」 「じゃ、どうでもよくない」 「そうだ。いい札よりもかえって大事なのじゃ」 「それはどうしてなんでしょう」 「いい札ばかりじゃ駄目だ
芳念は画僧。絵を描く坊さんだが、出家したわけではない。だから僧侶ではなく、ただの絵師。しかし、僧衣をまとっている。だから私僧。 私立と公立があるようなものだが、見てくれは分からない。それに芳念が立ち寄る界隈では、僧だと思われている。 何処の寺にも所属しておらず、また寺に立ち寄ることもない。 絵師なのにどうして坊主のなりをしているのか。これは僧兵に近いかもしれない。その辺のならず者が僧兵になっていることもあるだろう。 坊主の格好の方が何かと都合がいいらしく、名も芳念と
「体験外のことを語れるかどうかというお話ですが」 「あ、そう」 「語れますか?」 「常に想像で語っているでしょ」 「でも本人の実体験ではない」 「実体験したことも想像だったりして」 「それじゃ話がかみ合いません。全てが想像になります。想像はまだ起こっていない事で、また起こっていてもそれがまだ何かまでは分かっていない状態」 「しかし、何ですかな。そういう問いかけは」 「体験していない人と体験している人とでは違いがあるかと」 「何の?」 「その神妙性にです。リアリティーが違うと思
上岡は最近メインよりもサブの方が上手く行くことを知った。それは何度もそういうことがあるため。 そしてメインが意外と上手く行かない。思っていた通りのものなのだが、予定通りのものが予定通り過ぎていく感じで、当然それは良いのだが、その範囲内、思惑の範囲内。 ところが最近はノーマークのものとか、メインに準じる手前のものの方が上手く行っている。 この違いは何だろうかと上岡は考えた。期待外のものが期待以上のものだったと言うことか。 メインのものは最初から期待している。期待できる
謎の法師が現れた。一重の白衣で入道頭。全部剃っていないので、これは禿げているだけ。 それよりも入道のような巨体。白衣は太い黒帯でピタリと締めている。腹も太く、まるで相撲取りの回しのよう。この帯で組み合ったとき握れないほど幅が広い。そして硬い。 白衣の着流し、それでよく旅ができるものかと思われるが、それほど汚れていない。こまめに洗っているのだろう。 そして所持品はなし、帯の下に何か挟んでいるようだが、大きなものではない。小銭入れ程度かもしれない。旅の途中、路銀もいるだろ
時代劇に出てくるような街道の中にも、旧街道がある。今なら昔の街道はほぼ旧街道。並行して走っている場合も多いが、街道を拡張して道幅を広げたものもある。しかし、元々細い街道なので、拡張しきれない場合もあるだろう。 旧街道はその時代はメインの道だが、その当時廃道になったような道もある。今から考えると旧街道のさらなる旧街道。 その廃道に一人の旅人が歩いている。既に整備はされておらず。草が生い茂り、倒れた木が遮り、踏切のよう。 当然地元の人や旅人は、そこは通らない。知っているか
こういう昔話が伝わっている。どう言うのかというと神様の話。 旅の修験者がいる。この人は人が見えないものが見えるらしい。 その修験者、森の中に入り込んだ。何かいそうな気がしたためだろう。深い森ではなく、里の近く。森は横に広く奥がない。奥はすぐに山になる。つまり山際のなだらかな場所が森となり、田畑はない。聖域ではなく、それに近い場所。 神社も寺も、このあたりにある方がいいのだが、ここにはない。ただ、一番奥まったところに祠がある。石造りだ。その石組み、積み方があまりこの辺で
用意周到。順番もこれがよかろうと並べている。お膳立てはできている。順番にやればいいだけ。整っているのだから、それ以上のことはしなくてもいい。それが一番いい方法なので。 これは三船が作ったもの。しかし、三船のオリジナルではなく、よくある順序、順番。これは定番に近い。 しかし、三船がいざやろうとすると、一寸ためらいがある。そうならないように順序を決め、易しいところから入るようにしている。だからためらいにくいところからのスタート。 しかし、三船はためらう。これをやればあれ、