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キャラクターとストーリーの関係性について。物語で自己完結せずプレイヤーに繋いだ『ペルソナ3』。そしてSSRに転生した北条鉄平

 『ひぐらしのなく頃に業』で“SSR鉄平”が登場してからキャラクターと死についてぼんやりと考えていた。

 物語は“起承転結”で構成されているが、じつは“結”では終わらず、じつは起に戻る。

 物語というのは人生の縮図であるが、誕生(起)→成長(承)→挫折(転)→死(結)で、なんでまた死んだあとに誕生すんねんって思うかもしれないが、神話の時代から物語は“輪廻転生”が描かれてきたので、“結→起”で新しい冒険がはじまるのは普通だったりする。

 ということで“死”というのは本来の意味では“結”ではあまり描かれておらず、“転”で描かれてきたのではないかとと思っている。自分の死は描けないから、仲間やライバル、ヒロインの死という形で自分の死を疑似体験させ、その痛みを乗り越えさせてていく。

 その発展型ですごいなと思ったのが『ペルソナ3』。明確には描かれていないけど、この物語は主人公の死で終わる。

 ラスト。屋上には立つこともできなくなり身を横たわせる主人公と、そんな彼に寄り添う仲間キャクターのアイギスが。これからもずっと主人公を守ること、大切な誰かの為を思えば生きていけることを語るアイギス。

 「今はゆっくり休んで」というアイギスの優しい声と笑顔、遠くから聴こえてくる仲間たちの声を聞きながら主人公はそっと目を閉じる……。

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 電ファミニコゲーマーの“ゲームの企画書”で、本作のプロデューサーである橋野桂さんは『ペルソナ3』の初期コンセプトに“真の死に方とは何か”があったこと、当初のエンディングでは「自分の葬式があって、そこに何人来るか」というシーンを入れようと思っていたことを語っている。

 “自分が生きた意味は自分で考えるのではなく、誰かにとって何かの意味があったのかで決まる”というメッセージが本作のゲーム内にあるが、『ペルソナ3』はまさにそういった部分がテーマの作品だったのではと思う。

 主人公=自分の死をゲームで体験し、そして、これからどう生きるかを考えさせる……そんな作品。この『P3』は“結”でありながら“転”であるというわけだ。“結”は自分の人生。

 『P3』の話はここまで。ストーリーの話に戻す。つまり、キャラクターというのは主人公をふくめストーリーのため、観客のために生まれてきた存在だと自分は思っていた。

 そんなときに出てきたのがイレギュラーである『ひぐらしのなく頃に業』の“SSR鉄平”だ。いや、お前は出てきたらダメやん!

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 北条鉄平は『ひぐらしのなく頃に』に登場したキャラクターで、メインキャラクターである北条沙都子を虐待していた人物。憎むべき悪人である。それが今回、自らの過ちと向き合おうとする善人側のキャラクターとして登場した。(原作の“おまけシナリオ”などでは“鉄平が救われる未来すらあってもいいかもしれない”という優しいIFも匂わせていたが)

 『ビッグバン★セオリー』という海外ドラマでキャラクターの母親役の役者が亡くなったとき、真っ向から母親の死のシナリオを描いたのは素晴らしかった。そういう抗えない死、乗り越えなければいけない死もある。

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 ただ、フィクションのキャラクターの場合は観客の介入によって転生させることもできるのではないかと考えた。もちろん、そんな簡単にやることではないけど、鉄平は(ある意味ネタとして)10年愛されたキャラクターだった。10年の月日を一緒に歩み続けたキャラクターは、もはやストーリーのためにあるコマでははなく、生を受けるひとりの人物であってもいいのだなと。

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 かつて『フェイト/ステイナイト[レアルタ・ヌア]』の追加エピソードについて、奈須きのこさんは「10年頑張ってくれた彼へのご褒美」と言っていたが、鉄平もこれ以上ストーリーという枷を受け続ける、観客の人生の踏み台になっている必要はないかもしれない。そんなことを思った。

 しかし、ストーリーを知らずに鉄平のことを振り続けていた霜降り明星・粗品さんと、ストーリーを知っていて何も言えなかった竜騎士07さんを想像すると面白いな―。


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