20240417: 人文学と1948年について

 なんかあの、月曜日から授業が始まって、大学に行くコストというのはものすごいから始まる前からとても嫌で、履修登録とかしてても頭痛くなってくるぐらい、しかも俺は教職課程も履修してるし、まあ実際に木曜日にまでなっても嫌やなあとか思うんやけど。それでも大学通ってみてまた新しいこともいろいろあったりする。

 先史学の授業で「人文学は科学ですか? それとも科学ではないですか?」みたいな小レポートが出た。俺は人文学は科学じゃないと思うから、「科学とはちがう」って書いて出したんやけど、その課題はオンラインで、自分が提出したら他の人の提出したものも見れるっていうやつで、まあそうなってるから他の人のも見る。そしたらみんな、みんなではないけど9割ぐらいの人が「人文学は科学である」って書いてて、お前たちじゃあ何のために人文学をやってるのかと、心の中で問うた。まあでも、なんとなく今の学生の多くがそう思ってるのは分かるけど。
 フランス哲学史の授業で、「人文学の文とは何ですか?」って聞かれた。いやあ、文字で書かれたものとかかな、って思ってたらある人が「理系ではないこと」っていうふうに答えると先生が「でも天文学があるでしょう。そう考えると理系文系という二項対立の片方という意味での文系は人文学の文を説明したことにはならない」って返した。なるほど確かにな、でもそうしたら文字で書かれたものっていう答えも間違いになる。天に文字はないから。
 みんなそう思ってたみたいで、何人か当てられても文字に引き寄せられた答えしか出てこなかった。先生は「文とは飾りです」といった。天文、星々は空を飾るもの。では地上を彩る山、川、池、草原、海、窪地、岩、これをなんというか。地文である。人文とは、人の生活を彩るものなのだ。文字だけじゃなくて、音楽、映画、写真、絵画。人びとの生活に大きな影響を与えてきた「飾り」たちが人文学の対象になる。この哲学史の授業はそのなかでも文字によって書かれたものを扱います。
 人文学はやっぱり確かに科学じゃないんだな。標準化された方法論。全ての人に了解されるようなプロセス。一対一対応。何度も同じように起こっていること。経験による知識。パラダイム・シフト。科学がそういうものだとしたら人文学は科学じゃない。なぜなら体系化された構造に飾りはノイズだから。エクリチュールのエネルギーを操作する。あるひとつの文献を読んで歴史的な背景に位置づけて何度も読み返し自らの言葉で解釈を紡ぐ、人文学の基本的営み。当然ながら解釈は複数であり得る。これは科学ではないが人文学である。
 そこで俺は人文学がものすごく豊かな営みなんやなって思う。人が何かを飾り立てるときの必須の条件として余裕がなければならない、ということがある。古代ギリシアで哲学が生まれたのは、ソクラテスが広場で対話しだしたのは奴隷がいたから。いまは奴隷はいないけど、全員がうっすら奴隷のようになってる気がする。俺も最近本が読めない。疲れるし。気づいたら寝てるしあるいはスマホ観てる。

 また哲学史の先生が1948年は奇妙な年だと言い出した。世界人権宣言が国際連合で採択された。しかし一方でイスラエルができた。と同時に75万人のパレスチナ人が家を失った。この出来事をالنكبةナクバという。友人が春休みガザ反戦のデモに行ったらしい。俺は何もしなかったし何もしてない。何も。
 1948年は家族の京都への出稼ぎに付いて行ってた祖父が前年に伊江島に帰ってきて中学生をしてた、ってこの間言ってた。伊江島はもう完全な焼け野原でほんまになんもなくて、当然住んでた家もないし畑もない、艦砲射撃のその後に火炎放射でこてんぱんにやられたから、米軍のテントで寝て、ぼこぼこの、あってないような校舎で勉強してた。滑走路だけがあった。
 それ聞いて、1948年からの連続の世界に自分がおるのやって、ちょっとだけ理解した。

 まあでも、先史学とか考古学は科学かもしれん。人文学の領域でも科学的な議論は可能だっていうこと。


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