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追われし鬼に 宿貸さん

二月の三日は節分、続いて四日は立春です。
暦はもうすぐ春です。
節分には鬼が出てきて、参詣者を脅かすものの、終いに豆撒きで追い払われます。
鬼やらいともいい、疫鬼・邪鬼を追い祓う行事です。
 
わが国には各地に鬼伝説が伝えられ、多くの説話に語り継がれています。元来、「鬼」は姿かたちが見えない悪霊やモノノケを意味していましたが、中国やインドの鬼(キ)と習合し、混同されて民間に広まり、死者の霊魂や悪霊、仏教説話にある餓鬼、地獄の青鬼や赤鬼など、さまざまな意味と表現を生んだようです。いまでは荒々しく恐るべき人のたとえにも使われ、また、「かくれんぼ」や「おにごっこ」など、子供達の遊びにも鬼が登場します。
 
鬼といえば、吉備(岡山)の桃太郎のおとぎ話がよく知られています。邪気を祓う桃の実から生まれた桃太郎が、おじいさんとおばあさんに育てられ、長じて、村々で盗み、人さらい、悪事を働く鬼を征伐するものがたりです。桃太郎はきび団子を携え、イヌ、サル、キジを連れて鬼ヶ島に出かけて鬼を退治するのですが、これは明治の時代以降の教科書や絵本を通した「桃太郎」で、人の立場から勧善懲悪的なものがたりに仕立てられています。

実は、このものがたりには後日譚があると云います。降参した鬼が泣く泣く訴えました。「いま人が住む村々は、元来われら鬼族の土地じゃった。平和につつましく暮らしていたが、人間共がやってきて、われらを追い出し、このような草木も生えない岩山に押し込めたのじゃ」。鬼の釈明にこころ動かされた桃太郎は、鬼たちと共に村に戻って村人を説得し、こののち、人と鬼は村で仲良く一緒に暮らしたというのです。めでたし、めでたし。なんだか、わが国をはじめ世界各地に残る先住民族の問題や紛争を想起させます。

二月の二日、三日は各地の神社で節分会が執り行われます。室町時代から続く京都吉田神社の節分会は、毎年多くの参詣客で賑わいます。吉田山に向かって東一条からのびる参道に屋台が埋め尽くし、行き帰りの客がひしめき通ります。人々は途中思い思いに食べ物や飲み物を買い求め、射的、金魚すくい、スマートボールなど昔ながらの遊びに興じ、本殿や大元宮に詣でます。茶店でお茶や菓子、お酒を一服し、土産を買うのも楽しみです。鬼やらい(追儺式)の神事には、青・赤・黄色の鬼が登場して、多いに盛り上がるのです。夜になると花街にはオバケ(普段と異なるいでたちの芸舞妓)が出没し、馴染みのお座敷を廻って寸劇や歌舞音曲を披露して客を楽しませます。
 
鬼そのものが祀られている神社も全国に散在しています。なかでも青森県弘前市の岩木山山麓の鬼沢集落の鬼(キ)神社には、おもしろい津軽の伝説が残されています。むかし、鬼沢村の弥十郎青年と岩木山の鬼が仲良くなり、相撲を取って遊んでいました。村が水不足で困っているとの話を聞いた鬼は、一夜で水路を切り拓いて干ばつを防ぎ、村を助けたというのです。以来、鬼が使ったクワやノミを奉納したのが「鬼神社」の始まりとされ、いまでも農具が飾られています。ですから、鬼沢の村人にとって鬼は恩人、節分では「福は内、鬼も内」と、鬼を追い払うことはしません。他方、鬼神社は延暦年間の坂上田村麻呂が岩木山麓に勧請したのが始まりとされていますので、北東北地方の続縄文期からの移行期に灌漑技術や水稲農耕が伝播した逸話が伝説となったものかもわかりません。

そのほか、京都山城地方には福知山大江に鬼伝説があります。大江山に棲み、平安京を荒らす鬼の頭領「酒呑童子」を源頼光が、渡辺綱、坂田金時らと共に、酒を飲ませて退治するものがたりです。鬼が棲むという鬼ヶ城も各地に在るようで、伊勢から国道42号線を南下した三重県熊野灘に面した海岸縁の「鬼ヶ城」を訪ねたことがあります。岩がごつごつした荒磯沿いの細道が連なり、いかにも昔ばなしにある鬼ヶ城を思い起こさせるものでした。

このようにわが国には古来よりたくさんの鬼が住んでいました。
人のこころには菩薩と鬼が同居しているといいます。節分を機に、心に巣くう鬼はなんとか追い払いたいものですが、こころの内に潜む鬼を見つけて、退治するのは難しいことです。そのまま二つとも受け入れて、鬼面が頭をもたげないようこころを研ぐしかありません。
 
「節分会 追ハれし鬼に 宿貸さん」(詠み人知らず)

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