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われわれはどのように森をつくってきたのか

過剰伐採から過小伐採へ

わが国は「木の国」と呼ばれている。狭い国土ながら面積の2/3が森に覆われ、伝統的な木造建築群に代表されるように木材を活用してきた長い歴史があるからです。アジアモンスーンの東端に位置して雨量に恵まれ、南北に細長く、暖温帯を中心に亜熱帯から温帯、亜寒帯にいたる地勢が豊かな森林と豊富な植生を育んできました。
 
しかし、われわれはこの豊かな森を大事にしてきたでしょうか。
 
いまでは人口の減少が喧伝されていますが、12千万人が海岸線沿いの狭小な平野部に集中して暮らしています。奈良期初頭(西暦700年)の5百万人から鎌倉期初頭(西暦1200年)7百万人、江戸初期(西暦1600年)12百万人、明治初期(西暦1870年)には33百万人であったことを考えると、人口は増え続けていますので、森林はわが国の歴史全般を通じて過剰伐採されて拓かれ、農地や住宅・都市に変えられてきたといえます。わが国において森は山とほぼ同義であり、山林です。人が住み、農耕できる平地はすべて切り拓かれ、山地に森が残ったのです。山林もいまでは人手の全く入っていない原生林は見当たりません。いわゆる原生的な森が各地に点在しているだけです。
 
この辺りの歴史的な消息は、コンラッド・タットマンの著作『日本人はどのように森をつくってきたのか』(熊崎実訳 築地書房1998年、原著1889年)に詳しく記述されています。古代から中世、近世、近代にいたるわが国林業の通史であり、採取林業から育成林業にいたる過程を記したものです。吉野スギで有名な吉野地方は室町期(1500年頃)にはすでに人工造林が行われた記録があり、世界の林業史の観点からも最も早く、人の手で植え育てた森林をつくっていました。
 
しかし、その過程では過剰伐採の歴史が続いたのです。否、過剰伐採によって木材不足になったので樹を植えたのではないでしょうか。飛鳥期には、都の造営に吉野周辺の山々から木材が伐りだされました。奈良期になると、東大寺に代表される仏閣造営のため近縁地域の山林伐採がありました。安土桃山期になると、大阪城や伏見城などの城郭、寺社仏閣造営のために東北から九州にいたる全国各地から木材が伐り出され、そして近現代には第二次大戦時に多くの森林が失われました。
 
たとえば、東大寺大仏殿の造営(奈良期)には滋賀県瀬田川東岸の田上山の森林が伐採され、山地の荒廃は近現代まで及んでいます。鎌倉期の重源上人による再建では山口県徳山地方から丸太が運ばれました。現在われわれが目にする江戸元禄期に再々建された大仏殿の造営には、九州鹿児島・宮崎地方からも丸太が集められましたが、それでも長大径ヒノキ材を十分に手当できずに、一部短材を縦に接ぎ、幅方向に集成して、鉄のタガで留めた重ね柱としています。
 
江戸期の幕藩体制のもとで、幕府と藩は重要な経済資源である森林を維持するために保全管理を徹底して過剰伐採を防ぎ、住民もまたエネルギーや水源・肥料の確保のため森林(おもに入会地の雑木林)を大切にしました。「緑の列島」の形成は、われわれが持続的・長期的な経済の循環を求めた結果であり、里山に代表される自然と人の独自の共存のかたちを作ってきたのではないでしょうか。
 
第二次大戦時の過剰伐採は、森林を極度に疲弊させました。大戦直後(1950年)の林木蓄積は 67m3/ha (林野庁調査)とあるので、当時の人工林面積約500万haから総蓄積は3.3億m3と推定されます。現在(2017年)のそれは、拡大造林の結果、人工林はほぼ2倍の1000万ha、総蓄積は33億m3と10倍に達しています。
 
大戦後は、植樹祭や育樹祭に見られるように、国を挙げて苗木を植え、下草を刈り、除伐・間伐など多くの手間暇をかけて森を育てました。人工林の多くは50年生以上の成木となり、いまでは蓄積を減らすことなく、国内の需要に見合う原木生産が可能となってきました。ところが、1970年代以降、高度成長期の木材需要に供給が追いつかない時代から人工林が育った現在まで、50年以上にわたって輸入材に60%以上を頼る事態が続いています。木材の輸入自由化(1964年)やプラザ合意(1985年)などによる為替レートの円高シフトにより、材価が極端に安くなり、経費に見合う収益が得られないゆえ、育った人工林を伐り出すことができずにいるのです。
 
このように歴史上ほぼ一貫して過剰伐採であったわが国の森林は、戦後の拡大造林、木材輸入の時代を経て、今、現時点でみれば、過小伐採となり、結果として森林蓄積は増えたものの、人工林の手入れや管理が十分に行われずに、逆に水土や生物多様性の保全が危惧される事態を招いています。

わが国林業の基本的な課題

わが国は、豊かな植生ゆえに、スギ・ヒノキなど有用樹種を植え育てる人工造林の施業を世界に先駆けて発展させ、植栽と保育に多くの手間と時間をかけるきめ細かな労働集約型の林業を確立して、これを受け継いできました。しかし、このような労働多投型で経費のかかる集約林業が、天然林からの採取林業や人工林であっても天然更新主体の粗放な育成林業を基盤にする輸入材との国際市場の競争のなかで果たして生き残れるのか。この問題がいま問われているのです。
 
林業存続のためには、経費全体の70~80%を占める地拵え、苗木代、植付け、下草刈り等など初期造林費を減らす施業の工夫が必要です。拡大造林地においては、経済林として成り立たない、本来林業に適わない林地の針広混交林化や複層林化への転換など、粗放な林業への転換も視野に入れることも必要でしょう。
 
一方、標準伐期齢にこだわらず長樹齢・長伐期施業を実施して、中大径材の生産を目指す林地もあります。いわゆる自伐型林業にあっては、低投資、低コストの生産方式を採用し、小規模、多間伐(択伐)、長伐期施業が注目されています。林業の季節性を利用して中山間村で多様な生業で兼業を図る、ゆっくり時が流れる昔ながらの中山間村の暮らしが思い起こされます。
 
林業や山村の活性化を探るには、次世代を担う若者の参入といろんなアイデアが必要です。エコツアーなど、自然環境を売りにする新たなサービス産業の起ち上げも夢があります。「森あそびをしたい」、「山でキャンプを楽しみたい」という都会自然派のニーズに応えて、あるがままの森林を貸し出す「森林レンタル」は、自治体や企業・団体との連携によって健康、観光、教育など林業以外の分野で森林空間の活用を図る試みであり、大変興味深いものです。このような新たな価値創造が林業存続に必須であり、今後の展開を注目したい。

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京都美山 由良川源流域の沢登り(エコツアー:シャワークライミング)

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