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続 ある佛師との対話

木彫佛の材質
佛像は、飛鳥期・白鳳期・天平期にわたる大陸からの仏教文化の受容期には、金銅像のほか、塑像や乾漆像などが多かった。一方、木彫佛ではクスノキが白檀の代替に使われたりもした。平安期になって、木像が主体となった。平安初期にはカヤやヒノキの一木造り、後期になると寄木造りの技法が完成し、造形のしやすく、わが国に広く生育しているヒノキ材を使うようになった。
 
佛師が佛像を彫る際に使う素材の吟味は、一般人のそれを遙かに超えている。佛像に使う木材には、上述のように、平安期以降はヒノキ材が主流である。わが国固有の針葉樹であるスギ材は、心辺材の混じった製材を「紅白」や「源平」と称するくらい色合いが異なる。加えて、春材(早材)と夏材(晩材)の密度の違いが大変大きい年輪構造をもつ。つまり、早材は粗く、晩材は堅い、いわば積層材のような複合構造をもつので、ノミで彫る造形には適さないのであろう。その点、ヒノキ材は、比較的緻密均質で加工しやすく、自由な造形ができる素材である。色目も淡泊で、心辺材に大きな違いが見られない。耐久性に優れているので、建築材として優れているが、木彫の素材としても申し分ないように思われる。
 
しかし、佛師の目からみれば、これだけでは十分ではないようで、「ヒノキのなかでも、素性のよい木曽ヒノキが好まれる」という。長野県上松の原木市場に出かけて、高価な木曽ヒノキ原木を購入するときは、丸太の外観から「材内部の節がどの辺りに、どの程度出るのか」を見極めるのに大変なエネルギーと時間を費やす。温泉に浸かりながら、「どの丸太を買うか、一晩じっくり思案するんです」と佛師のY先生が語る。そのときの様子が目に浮かんだ。それでも期待通りの原木を手に入れることはなかなか難しいという。原木購入後も、ゆっくりと時間をかけて自然乾燥させて干割れを防ぐ。丸太を作業場の土間や床下に十年余りも寝かせておくのです。

木曽のヒノキがなぜ良いのか
「木曽のヒノキ材がなぜ良いのか」と問うと、「ヤニがでないから」という答えが返ってきた。木彫佛の場合、多くは木地に麻布をかけ、漆を塗布したのち、仕上げに金箔を貼るのです。いわゆる漆箔仕上げで、その際、油分が出ては台無しになるのである。そのため抽出成分の少ない木曽ヒノキが好まれるという。ヒノキ材の主な精油はモノテルペン類の香りである。リフレッシュ効果があり、爽やかな刺激があるので、森林浴としても人気があり、「好ましいもの」として受け止められている。しかし、佛像の素材としては、むしろ精油分が少ないほうがよいというのは面白いことである。
 
よく知られているように、正倉院の校倉はヒノキ材で造られている。ヒノキ材は耐久性と強度に優れているからである。一方、宝物を収めた唐櫃はヒノキ材ではなく、スギ材である。「精油が浸出して収納物を汚すから、ヒノキ材は使わない」という話を聞いたことがある。スギ材に比べると、ヒノキ材の精油は確かに多い。ヒノキ床材はその天然ワックス成分、つまり、精油のおかげで撥水性に優れ、汚れにくいので、水拭き程度ですみ、メンテナンスが大変楽である。
 
抽出成分は本来樹木の耐久性を高めるためのものであるから、心材に多い。ヒノキの精油を含む抽出成分は、通常5-10%とされている。スギ材の場合は、3-5%程度であるから、両者を比べるとやはりヒノキ材の抽出成分は多いと思われる。しかし、精油分の多い九州宮崎地方の飫肥スギ(5-8%)をはじめ、高知/和歌山地方のスギ材は心材が黒みを帯びる黒芯材として知られる。抽出成分がやはり多いのである。
 
屋久スギにいたるとさらに多い。桃山期に秀吉の命により伐採されたとされる屋久杉の切り株(たとえば、ウィルソン株)が現在でも残存している。切り口周囲は13.8m、胸高直径は5メートル余り、伐採時の樹齢は2,000年~7,200年と推定されているので縄文杉にほぼ匹敵する。風雨にさらされるなか、500年近くも外形を保って残っているのは、この多量の油分による。
 
精油成分と気象
屋久スギや飫肥スギ産地の南九州地方、高知魚梁瀬スギの四国山地南部、吉野スギ・ヒノキや尾鷲スギ・ヒノキの紀伊山地など、西日本の太平洋に面する山間地域は、スギ・ヒノキの名産地が多い。
 
いずれも降雨が多い地域である。たとえば、屋久島の年間降雨量は平地で約4,500mm、そして、山間部は8,000~10,000mm。その降雨量は抜きんでている。しかし、高知県も3500mm/年以上で日本一位、鹿児島県と宮崎県が2,800mm/年前後で2,3位と続く。紀伊山地もわが国でもっとも雨の多い地域である。熊野灘に面する山地南東部では,年降水量の平年値が3,000mmを越え,尾鷲では3,800mmにもなっている。わが国の平均的な降雨量が1,500~1,800mm/年であることを考えると、2倍に達する雨量である。このようにスギ・ヒノキは概して温暖多雨の地域でよく生育し、地域の気候に適した品種が育っているようである。
 
さて、なぜ木曽ヒノキは精油成分が少ないのか。
この疑問に、上記のような理由から、筆者は気候との関係が深いのではないかと想像している。ちなみに、東濃ヒノキを産する岐阜県の年降雨量は1,800mm余り、木曽ヒノキの長野県は1,000mmである。もっとも、山間部は程度に差があれ雨量が格段に多いと思われるが、なお西日本の太平洋沿岸山地に比べると降雨量は少ないと推定されるのである。
 
先に記した心材とは丸太の樹心部分の色の濃い部分を指します。心材形成は樹木に特有の現象で、その長寿命化を実現するためのものです。樹木細胞が生理活性を失った後、抗菌成分のある抽出物を細胞に蓄積し、巨大な樹体を長期間にわたって支えるために耐久力を強化するのです
 
つまり、降雨量の多い地域の樹木心材の精油成分が多いのは、温度・湿度が共に高く、腐朽しやすい環境下にあり、これに耐えるために抗菌成分を多く産生していると考えられます。もちろん、これは上述のような推論から得られる仮説です。実は推論に基づき、木曽ヒノキを含めたヒノキ材の抽出成分を予備的に調べたことがありますが、残念ながら論証できるような確かな違いを見つけることはできませんでした。個体差を越える多くの試料を用いて、体系的に調べる必要がありそうです。
 
いずれにしても、長く伝承され、受け継がれてきた経験には奥深い智慧や意味が含まれています。これに科学的なエビデンスを積み上げて論証していくことは、芸術の発展ばかりでなく、未来の学術にも多いに貢献する可能性を秘めています。芸術や工芸の感性に光をあて、科学の論理でつなぐ仕事は、伝統文化の領域ばかりでなく、科学技術の領域においても将来たいへん面白い仕事になるのではないでしょうか。
 

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