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バカの壁 己の壁

人はその生涯を通じてさまざまな壁を越え、門をくぐらねばなりません。
生まれ出た瞬間から、肺呼吸で酸素を血液に送り込み、消化管から栄養を吸収するという大きな関門にぶつかります。まぶたに映じた自分の手指を認識し、これを(自身の一部として)思うままに動かすことが大変であることは、脳障害を患った老人が手指や足の運動機能を取り戻すのに多くの時間と努力を要することでも想像がつきます。

思春期には内省することが多い。己の心と向き合い、自分の考えや言動について省察し、客観的な視点から自己の言動を振り返る。しかし、その気付きは、余裕がないのか、全体像がつかめないまま堂々巡りすること多く、しばしば自己中心的です。

養老孟司先生の『バカの壁』という書き物には、「人は知りたくないことには耳を貸さない、自ら情報を遮断する」とあります。全くそのとおりと思います。

写真はブランデンブルグ門前のベルリンの壁です。東西陣営冷戦下の1961年夏に築かれ、分断の象徴となりました。1989年秋この壁の崩壊が始まり、翌1990年10月3日、東西ドイツが統一されたのです。歴史的事件の最中、1990年5月筆者は仕事でベルリンを訪ねました。西ベルリンのSバーンAnhalter駅からFrohnne駅を往復、車上東ベルリンに入り、Friedrich駅を経由しましたが、東ベルリンに入る辺りから地下鉄となり、いずれも廃駅でした。りっぱな駅施設には人っ子一人見えず、暗い中を列車が素通りするのは気持ちのよいものではなかったのを覚えています。往時のベルリンの都市機能の充実ぶりとそれを分断する社会に改めて「壁」の存在を実感したものです。

ところで、自分の外にある壁は、たとえそれが実在して見えるものであれ、目に見えないものであれ、乗り越えるべき壁の大きさ、高さを推し量ることができます。したがって、壁を越える方法や迂回する術を考え、策を立てることは、難しいことではあっても、不可能ではありません。

しかし、越えるのが最も難しい壁は、自身の内なる自らのこころではないでしょうか。
つまり、自らの壁、己の壁です。
「オレが、おれが」という自分の意識や感情を越えることは、至難であると思えるのです。知識の俯瞰は努力により可能ですが、己の感情と意志を越え、「自我を離れる」ことは果たして本当にできるのでしょうか。

己とは何か。
自分のからだであり、こころである。
考え、思う自分、喜怒哀楽の感情、意志を自分と思っている。
しかし、仏教ではこれを小我というらしい。
「自我・小我を離れ、大我につく」とは、広くヒトや動物を見渡し、生き物や自然を俯瞰し、己を越えて宇宙の真理に目覚めるということではないでしょうか。

もの・ことを俯瞰するのは、さまざまなしがらみを離れれば、必ずしも難しいことではないように思えますが、しがらみで一番困るのは己の壁です。荘子の夢にある胡蝶のごとく、自在なこころの拡がりのなかを遊ぶ心境を得たいものです。

写真:ブランデンブルグ門前のベルリンの壁
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%81


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