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京の伏見は酒どころ

京都伏見は、大阪から京への物流拠点であり、とくに桃山期以降は淀川を通じた水運の要になった。幕末の頃は倒幕運動の拠点でもあったので、新撰組や志士の逸話に事欠かきません。坂本龍馬が定宿にしていた寺田屋もこの地の運河沿いにあり、柱に刀傷の残る旅籠をいまでも営んでいて、寝泊まりできる。けれども、近年では寝ている処を襖がいきなり開いて起こされることもあります。観光の客が早朝知らずに襖を開けるので、双方ともが驚かされるのです。

伏見は酒どころです。伏見の地名は「伏水」が由来といいますが、そもそも地下水豊富な水どころなのです。地域の寺社や酒蔵の各処に名水が湧いています。たとえば、御香宮の御香水、神聖の酒蔵の白菊水など、市民に常時提供されている井戸がたくさんあります。

伏見の酒蔵が並ぶ昔ながらの通りに、「鳥せい」という神聖の酒蔵をそのまま活かした名物の鳥料理屋があります。いわゆる居酒屋なので、仕事帰りのサラリーマンや職人が一杯飲みに多く集まりますが、ほかにも学生、恋人同士、親子づれなどの老若男女が集うので、賑やかで独特の雰囲気を醸しています。鳥せいは人気があり、最近では観光客も増えて、満員のことも多く、夕方以降は席の確保に苦労します。順番待ちのグループが入口付近や待合にたむろしていると待ち時間が長くなる。

先日、久しぶりに鳥せいを訪ねました。コロナウイルス感染症のパンデミックが2年半にも及び、居酒屋はその直撃を受けた外食産業です。金曜日の夕方であったが、心なしかまだお客が以前のように溢れるような感じを受けなかった。名物は鳥の串焼きですが、神聖の蔵出し生原酒を、小ぶりのグラスの入った一合升一杯に並々と眼前で注いでくれるのがうれしい。白菊水という伏見名水の和らぎ水(やわらぎみず)を横に置き、この名水で仕込まれた原酒を飲む味は格別です。

さて、伏見のなかでも古い蔵元のひとつに創業1675年の増田徳兵衛商店があります。「月の桂」という雅びなブランド名で、元祖「にごり酒」で有名です。中汲みなので、いわゆるどぶろくの舌に残るべとつき感がほとんど感ぜられず、むしろ自然発泡して口当たりよく、爽やかさがあり、もろみを残しているので白濁半透明、独特の麹の香りがします。1964年(昭和39年)に先代(13代目)の考案になるのですが、冬期になると原酒「月の桂中汲みにごり酒」が楽しみのひとつです。

13代増田徳兵衛氏は、伝統文化の蓄積された旧家の育ちでしたが、進取の気性に富んだ方で、先述の考案も発泡日本酒の先駆けで、伝統と革新の融合が見られます。いまでは京都の宴会は、微発泡の「日本酒で乾杯」が定番になっています。

昭和15年から平成4年にいたるまで、日本酒には特級、一級などの税法上の格付けがあり、応じて基本価格が決まっていたので、新たな展開を図るのが難しい時代でした。そのような時代に、日本酒を甕に10年間寝かせた「10年古酒」を二級酒(特級および一級に該当しないもの、または審査を受けていないもの)として、1本(1.8リットル)1万円の高価格で売り出されたので、評判になりました。

筆者が大学院生の頃、鳥羽街道沿いにある増田徳兵衛商店を訪ねた折、発売間もない古酒をいただいたことがありました。薄い琥珀色した貴重な酒を口に入れましたが、正直あまり「うまい」とは思いませんでした。それよりも、通りを挟んだ母屋の向かいに建ち、軒下のスギ玉の似合う酒蔵で、杉樽に醸成された絞りたての原酒を柄杓に掬って直接飲んだ酒のうまさが忘れられません。その折りの経験からか、ウイスキーやブランデーなどの蒸留酒は、寝かせて年を経ると美味しく、醸造酒である日本酒は基本的に絞りたて、新鮮でフレッシュなものが宜しいと今でも思っている。

格付け統制の撤廃以後、日本酒は格段に美味しくなった。全国各地に地酒ブームが起こり、いまでは多種多様の特徴ある美味しいお酒が味わえるようになった。進歩には自由と公正がなにより必要であるように思う。



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