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共に生きる(続うらおもて)

善玉菌と悪玉菌

いま、BS番組のヒューマニエンスがおもしろい。
近年の医学の知見をもとに、人体の仕組みをわかりやすく解き明かすだけでなく、広く生物学の知識につなげて、ヒトと他の生き物との共存関係を、ヒトの立場だけでなく、(相利)共生や敵対関係にある生き物の立場からも解説している。

たとえば、ヒトが腸内細菌叢(フローラ)と共生していることはよく知られている。ヒトにとっての腸内細菌の働きと機能については、健康医学から多くの知見が得られている。腸内細菌は、善玉菌(乳酸菌、ビフィディス菌など)と悪玉菌(有毒性大腸菌、ブドウ球菌など)、それに状況に応じて善玉菌の味方をしたり、悪玉菌の味方をしたりする日和見菌(無毒性大腸菌など)に区分けされている。腸内細菌は、その数およそ100兆~1000兆個、種類は1,000種類以上。約60兆個といわれるヒトの細胞よりもはるかに多い。腸内細菌フローラの形成パターンは一人ひとり異なり、食生活や生活環境の影響を受ける。けれども、生まれるときに受け継いだ母親の腸内環境の影響がやはり一番大きいといわれている。

これを、逆の立場、つまり腸内細菌の立場から見ると、どのように見えるのだろうか? 
腸内細菌は、「自分(細菌)にとって、必要な食べ物が豊富で、いつでも獲得できる快適な生存環境をヒトの腸内に作り上げようとしている」のです。そのために、むしろヒトの(食物)嗜好を積極的に支配し、免疫系をも動かしているようです。

真理はときに見るものの立ち位置によって変わります。立ち位置によって見え方が異なるからです。コインのおもてとうらは決して相まみえず、決して交わりません。けれども、一体です。表裏は一体、といって必ずしも同体ではありません。ひとはときに他の生き物と交わりを結ぶことがあります。しかし、一体でも、同体でもないのです。そうかと思えば、「メビウスの輪」のように、裏と表が入れ替わることもありますね。

棘皮動物のナマコ類をみると、前端の口から後端の肛門まで消化管がつながっているのがよくわかります。消化管のなかは、ナマコの身体の外であって、内ではありません。ヒトの身体も口腔から直腸まで外部から入ってくる食物を消化したり、栄養を吸収したりする器官が専門分化していますが、基本的な組織構造はナマコと変わりません。皮膚が外界と接するように、胃のなかは身体の外であり、そして腸管のなかもまた身体の外で、腸壁が身体の内と外界との接点となっています。

真理はこのように見方を変えることで変化します。したがって、多面的なものの見方が必要です。複雑で多様なものを多様として受け止めることが大切です。人はしばしば自身の立場からしかものが見えません。他者の言葉を聴き、そのこころを想像することは大切なことですが、なかなか難しいことです。それだけになお人は共感し、そして共に生きる仲間を求めるのかも知れません。

さて、善玉菌はビタミンを合成し、消化吸収を助け、感染防御や免疫刺激を通じてヒトと共生し、ヒトの健康維持に役立っています。一方、悪玉菌は腸内腐敗、細菌毒素を産み生し、発ガン物質を造ってヒトの病気発症の引き金となり、敵対関係にあるように見えます。しかし、発酵と腐敗は細菌やウィルスなどの微生物からみれば同じ行為です。どちらも微生物による分解プロセスで、ヒトにとって有益ならば発酵、有害であれば腐敗と呼んでいるだけです。

ヒトの腸内には、いわゆる善玉菌と悪玉菌がいつも縄張り争いしながら共存しています。外界(食物)の変化に対応して、あるいは体調に応じて、主役となる腸内細菌が適宜交代しているのではないでしょうか?腸内細菌のフローラには、いわゆる善玉菌が20%、悪玉菌は10%、そして日和見菌70%に、安定的なバランスがあるようです。悪玉菌は腸内で有害物質をつくり出すので、ヒトからみれば「悪者」扱いされがちですが、なんらかの役割を担っているのではと想像します。

ヒトの一生のスパンでみれば、大切なのはバランスと多様性で、物語が善玉だけでは成り立たないように、悪玉もときに必要な存在です。そもそも本来、二項対立的な善玉も悪玉も無いのです。ヒトの腸内にはさまざまな細菌が共存し、それぞれの菌の立場から、「ヒトを生かして、自らも繁栄する」、つまり生き延びるための生存戦略を立てているのではないでしょうか。われわれのからだとこころの健康維持は、この微妙なバランスのうえに成立しているように思われます。このような自然の成り立ちは人間社会の縮図でもあり、人のこころもまた自然と社会のミニチュアのようにさまざまな矛盾を孕んだものです。

「3・4・3の法則」

これに関わって、「3・4・3(あるいは、2・6・2)の法則」と呼ばれるおもしろい話を思いだしました。会社などの組織は、上位3割が高い収益や実績・生産性を上げるグループ、中位の4割は上位とも下位ともいえない平均的な母集団、そして下位3割の生産性の低いグループに分かれるという仮説です。

社会的昆虫として知られているアリや蜂の社会にも同様な現象があるそうです。働きアリを子細に観察すると、一生懸命働くアリがいる一方、サボるアリがあり、その割合はそれぞれおよそ3割。その中間の普通に働くアリが4割程度を占めるのです。そして、このアリ集団からサボるアリを除いても、いつの間にか、その比率は元の(3:4:3)に戻るようです。これは、一生懸命あるいは普通に働くアリの何割かがサボるアリに変わるということなのでしょうか。あるいは、仕事ぶりを示す多様性は個体の数だけあって、効率は一定レベル上がるものの、これをどのようなグループに分けても一定の割合に区分することができるということなのかもわかりません。

人間社会の組織や集団でも同様の現象が起きるのか、真偽のほどは明らかではありませんが、大変興味深いことです。体制や組織を単に維持しているだけでは、いつの間にか活力が停滞し、やがて低下していくものです。エネルギーを注入するなんらかの仕組みが必要です。澱みを掃除する日常的な仕組みと共に、組織を定期的に変革していくことが求められる由縁かと思われます。

写真ソース:メビウスの輪

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:M%C3%B6bius_strip.jpg

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