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【小説】1 大いなる、大きな邂逅。

 世界というものは常に作り替えられていて、しかし我々はそれを知る事ができない。なぜなら、ここだけの話、それは夜間対応だからだ。

 世界の誰もが眠りについた真夜中の三時に、世界のどこかが新しく生まれる。そうして生まれた世界は一時間かけて朝の四時までに並べられる。じゃあその間に目が覚めちゃったらどうなんだって?


 「なんなんだこれは!」
 夜中にふと目が覚めて水を一口を飲むと、大きな地震が起きた。ぐらりぐらりと揺れる足元はいつもの小さな地震よりも随分と大きくゆっくりとしていて、これは震度七くらいあるんじゃないかと怯えながらコップの水をこぼさないように全部飲む。三月末。寝て起きて、日付が変わって四月一日午前三時。ちらと時計を見ると十五分を少し過ぎた頃だった。なかなか地震は収まらなくて、シンクのふちに掴まりながら近くの小学校への道を思い出す。何をもっていけばいいんだろう、卒業生じゃなくても受け入れてくれるかな…。もしかしたら今日は終末なんじゃないかしらなんて考えながら天を仰ぐと、そこには大きな片目玉があった。

 「もし、起こしてしまいましたか?」

 目玉がしゃべる。

 「静かにやろうと思っていたのですが…ごめんなさいね」
 「この地震はあなたが起こしたんですか」
 「地震?まぁ、地震程騒がしくしてしまったのね。私ったらいけないわ」

 いやらしいほどに「女」という口調の目玉だった。
 驚きこそしたもののそれ以上の感情は特に出てこず、むしろこんなに大きな目玉を見たのは初めてだから少し興味が湧いてきたくらいで。彼女…聞こえてくる声からそうだろうと踏んでこう呼ぶが、彼女の目玉以外はどこにあるんだろう。会話ができているという事は少なくとも耳と口があるのだと思うが。

 「あなたの肉体はどこにいるんですか?」
 「私に興味があるの?嬉しいわ」

 天井を瞼のように使って巧みに目を細める。本当に目玉だけしかここにいないから、もしかしたら目玉単体で駆動しているのかも知れないな。それかかなりバラバラに分解された状態で各所に点在しているとか。

 「私もあなたに興味が出てきたわ。ねえ、お名前を教えて下さる?」
 「天野しのみです」
 「しのみさん。私の身体を教えてあげるその代わりに、お手伝いを頼めないかしら?」


 まだ肌寒いこの時期にはお気に入りのジャケットがとても役に立つ。レモンイエローの柔らかな布で縫われたゆとりのあるブルゾンで、内側にはモコモコの生地が使われているので保温効果が抜群だ。寝巻のままそれを羽織って屋上に出ると、空が夜明けのように白み始めていた。
 経年の劣化が如実に表れている。そもそもマンションの屋上に行けることを初めて知ったが、普通に手入れされていない汚さがリアルでちょっと居心地が悪い。ここは普段誰も立ち入らない場所なんだなという感じ。

 「しのみさん、しのみさん」

 目玉の女の声がした。

 「今からそちらへお迎えに上がりますわ」

 辺りを見回してみるけれど姿はどこにもない。あれほど大きな目玉なのに、身体は存外小さいのだろうか。などと考えていると、間もなく天から大きな手が降ってきた。

 「さ、乗って下さいまし」

 姿は見えない。が、圧倒的な大きさの手のひらが私を迎えに来ている。あまりにも大きすぎるのできっと長いリムジンが数台は平気で留められそうだ。そういえばガンダムの手のひらに乗るVRなんてものがあるが、そのガンダムも彼女の手のひらに乗るVRなら存分に楽しめるだろう。

 おずおずと彼女の手のひらに乗り、見上げるが顔は見えない。少し座りを整えると体温と皮膚の感触を尻全体に感ぜられた。いつだったか実家にいた頃母の手を踏んでしまった事があったが、その時と同じようなぐにっとした心地である。永遠に母の手を踏んでいるような気分でなんだか嫌だな。
 ゆっくりと、しかし風を感じる程の速さで手のひらが天へと上ってゆく。これは空飛ぶ絨毯かそれとも切れる事のない蜘蛛の糸か。天国への階段は、手のひらのエレベーターなのか。

 「あの、お名前は?」

 フリーフォールの上昇のさなかでそういえば自分だけしか自己紹介をしていなかったなというのを思い出した。

 「あら。私に興味がたくさんあるのね」
 「だって不公平じゃないですか」

 姿もまだ見ていないし、これから連れていかれる場所も知らない。ならまずは名前からと思ったが、しかし彼女が名を答えることはなかった。


本買ったりします、『不敬発言大全』が今一番気になっています。