河合正澄
昭和生まれの氷河期世代が令和の今をなんとなくの感覚でつかみ取った、あるいはつかみ損ねた事柄をつらつらと書き綴ります。
図書館司書として多く本を扱って来た中で、一人でも多くの方と楽しみや感動を共有したいと感じた短編小説を紹介しています。
本を読んだ感想、あるいは本を読んで思い出したことなどを書いています。
大学三年の時、本屋でアルバイトをしていた。 確か、時給は700円台。県の最低時給だった。 その割に仕事は多かったし、責任も大きかった。 けれど辞めなかったのは、居酒屋でもコンビニエンスストアでも待遇は大して変わらなかったし、人間関係が良かったから。 大学生のアルバイトが五人くらい、パートのおばちゃんがやっぱり五人くらい。 それに、店長と社員の12人ほどで店を回していた。 強制もないのに、飲み会にはその全員が参加していたし、アルバイト同士では日帰り旅行に行ったりもしていた。 店
聖人が世に生まれる時、伝説の聖獣である「麒麟が現れ、天には和楽の音が聞えて、神女が天降った」という。 その聖人こそ、本作の主人公孔子だった。 旅の途上で彼は衛の国に立ち寄り、その君主霊公と治世について語り合う。 霊公は、孔子の教えにより理想の政治について心を傾け始めた。 けれど、霊公の南子夫人は贅を尽くした料理や酒、宝玉や稀少な香、また酷刑を施される罪人の姿により孔子を惑乱させようとする。 聖人である孔子は、その程度で仁徳を曲げることはなかった。ただ、顔の曇りを深
誰も彼もが外見の美しさを求め、「すべて美しい者が強者であり、醜い者は弱者であった」時代の物語。 美を追求するあまり、人は自らの肌に絵の具を注ぎ込むまでになった。つまり刺青だ。 主人公の清吉は、腕ききの刺青師で、奇警(=奇抜)な構図と妖艶な線とで名を知られていた。 そして彼は、客が肌に針を刺される時に呻き声を発するのを聞いて、「云い難き愉快」を感じる嗜虐趣味の持ち主だった。 その清吉には、「光輝ある美女の肌を得て、それへ己れの魂を刺り込」みたいとの宿願があった。文中に
ホストに貢ぐために体を売ることを厭わない。 そんな女性たちが新宿の大久保公園に、立ちんぼとして集まっているという。 中には、月に百万円以上稼ぐ人もいるという。 日本では、売買春が売春防止法という法律で禁じられているので、捕まれば罰金もあるし懲役もあるし前科も付く。 でも、そういった方面に疎い自分でさえ知ることになったというのだから、もはや公然と売買春が行われているといっても過言ではないと思う。 今回紹介する「マッチ売りの少女」は、その売春を主題とした短編小説。
筑後川で鯉を素手で捕まえ、それを見世物にしている名人があった。 土地の大地主である佐々木の旦那が、小さな頃から水練と漁が好きだった彼の技術を職にまで引き上げてくれたのだ。 そのお蔭で彼は、死んだ父の借金を返し、家族を養うこともできた。 戦前の観客は、趣味人や数寄者といった裕福な人が多く、彼は誇りを持って漁をしていた。 けれど、戦時中は威張りかえった軍人や役人の観覧に供せられ、そこに言語を絶する苦痛を感じたという。 それでも、戦後に比べるとはるかによかったのだ。
このところ、腕を骨折した母の病院通いに付き添って行っている。 朝一番に予約が入っているので、九時前には総合病院の受付を通るようにしている。 診察に呼ばれるまでカウンター前の椅子に座ってしばらく待つのだけれど、何となく懐かしく安らいだ気持ちになる。 病院といえば、心身に不調を来した患者が集まる場所で、そこの景色になごむというのもおかしな話だ。 なぜなのか。 それとなく周りを見渡して、すぐに気付いた。 スマートフォンを使っている人がほとんどいないのだ。 平日午前の早
検閲は、これをしてはならない 日本国憲法21条2項の条文にそうある。 表現の自由を確保するための、基礎となる条件だ。 けれどそれを隠然と、後には公然と実行していた機関があった。 連合国最高司令官総司令部、通称GHQだ。 戦後、日本において民主主義が行き渡っているかを確かめるために、手紙や電報、雑誌や新聞、脚本や小説などの出版物に至るまでほぼすべてを検閲にかけていたという。 電話も盗聴していた。 けれどそれは建前で、本当は民主主義を行き渡らせるために、その邪魔になる
著者は庭で飼っている二頭の犬が、丈の低い植込みの間を何度も通り、独特な道を作っているのに注目する。 そこには駆け易い場所だけでなく、体がやっと通れるような窮屈なところも何か所かあることを興味深く感じ、獣道ならぬ犬道と呼ぶようになった。 嫁いだ長女が家に来た時に犬道のことを話すと、彼女の六歳になる娘もやはり幼稚園からの帰り道などで、大人が通らないような道ともいえない道を通るのだと教えられる。 それを聞いた著者は、自らの子供時代を振り返り、友人と共に通り易い新道や旧道では
ここ十年ほど、健康と目覚ましのために早朝の散歩を続けている。 大体朝五時前後に家を出て、十分程度住宅街を回るだけなのだけれど、早朝の空気の中を歩くのは気持ちがいい。 今日一日の準備運動も兼ねていて、もし寝坊や他の用事で散歩できなかった時は、その日ずっと調子が狂ったような感じになってしまう。 気温が氷点下だったり、雨が降っている時は出掛けるのを多少億劫に感じることはあるけれど、思い切って歩き始めてしまえばすぐにいつもの自分のペースが戻って来て、一日が始まったという実感が湧
数少ない大学時代の友人からメールで年始の挨拶があった。 やはり同じ大学の、共通の友人の消息も伝えてくれた。 死んだ、と。 自殺だった。 更に、そのメールをくれた友人も脳出血によって体に障害が残る状態になっているという。 氷河期世代が生きるにはあまりに厳しい時代なのではないか。 そんなことをふと思った。 全世代が厳しいのかもしれないけれど。 どうしてこんな風になってしまったんだろう。 ほんの三、四年前まではまだここまで世の中が厳しいとは感じていなかった気もする
美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。 小林秀雄の小文「当麻」を読んだ時、この一文が頭から離れなくなった。 文としては簡単なものだ。 けれど、考えれば考えるほどに余計わからなくなってくる文でもある。 主に能について書かれた一文なので、「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」といった世阿弥の花伝書の言葉を下敷きにしているのはわかる。 けれど、それが理解の助けになるかというと、むしろ逆でより深い森の中へ彷徨いこんでしまったような心持ちになる。 別にひ
第二次世界大戦前後から一九八〇年台までの、中国における著者の一族の歴史を描いた大作。 祖母は軍閥将軍の妾となり、娘ともろくに会えない不遇の生を送る。 そして、将軍が病死すると地方医師の妻となり、日本の満州統治時代、国民党支配時代を貧しいながらも、妾時代よりはささやかながら自由で幸福の時を過ごすようになる。 やがて娘、著者にとっての母が成長し、国民党と対立する共産党の活動に邁進するようになる。 その母は、自分以上に厳格に共産党の党則を厳守する男性と出会い、結婚し
十月から始めた対AGA薬のリザレック。 今も続けています。 三十日分のはずなのに、年も改まった一月七日現在も容器に半分ほど残っている。 三か月弱経過しているのだけど。 使い方を間違っているのだろうか。 それで効いていなければ問題だけれど、多分効果は出ている。 最初の三週間ほどは、ちょっと脱毛が多かった気がする。 ミノキシジル含有薬品に多いという初期脱毛があったのだと思う。 けれど、四週間目から髪の密度が上がって来て、二か月経過した時分には電灯の直下でも頭皮が透けなくなってい
先月の頭に祖母を亡くして、その後お通夜や告別式や何やかやで慌ただしい時が過ぎ、いつの間にか師走の中盤を迎えていた。 目の前にある手続きや仕事を片付けるだけで精一杯になり、ゆっくりとできる時がなかった。 今もそうなのだけれど、それでも忙しさの峠は越えたように思う。 そんな時、シャワーを浴びている時に東京の町の道路が頭をよぎった。 大きな通りから細い通りへ、急な坂道を下り終えると和菓子屋があり、まっすぐ進むと中古車のディーラーがある。 そこに陳列されている車の前に信号が
普段使っているものではない銀行口座が一つある。 親が、私の子ども時代に作ったものだ。 そこには私の貰ったお年玉などが入れられてあった。 よく「子供には大きすぎる金額だから、私が管理しといてあげる」と言って、親がそのまま失敬してしまうというネタがある。 うちはそのパターンには当てはまらず、きちんと管理しておいてくれたわけだ。 大きい金額とは言っても、所詮は子供が貰うものだから何百万といった単位ではない。 最高で二十万に行ったかどうかくらいだ。 そして時々使った今で
この頃、特にネットの記事やSNSの書き込みで、「~~しかない」という表現をよく見る。 この頃というか、二三年前からか。 ~~しかない、というのは、例えば誰かにとてもよくしてもらって、「感謝しかない」という風に使う。 心からの感謝、混じりけのない感謝だから、「~~しかない」というのもわかる。 「ただただ感謝するばかりです」という表現もあるし。 でも、昨今の「~~しかない」の使い方は、例えば大好きなアイドル、俳優のかわいい、あるいは格好いい姿を見て、「尊さしかない」とい