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「福原145キロ!」/福原忍/10キロ遅れの英雄

鳴り物入りでプロ野球界に降臨した松坂大輔は1999年4月7日に東京ドームでいきなり躍動した。
1回裏3番片岡篤史を155km/hの豪速球をうならせて空振り三振に切って取ったのだ。
片岡のバットは明らかに「着払い」になっており、松坂大輔は大器の片鱗をこれでもかと見せつける鮮烈なデビューとなった。
これはプロ野球史の中でも語り草になっている名シーンだがその裏でもう一人の英雄が静かにだが確実に誕生していたっっ。

腐敗しきった在阪メディア

翌日の在阪スポーツ新聞にはまるで金太郎飴のように同じ文字面が並んでいた。


「松坂155キロ!」「松坂155キロ!!」「怪物松坂!出た!!155キロ!!!」


どれもこれも変わり映えがせず、松坂、松坂、、松坂のシュプレヒコール状態だ。
欲しがりません勝つまでは、の世界線を未だ継承していたのである。

「人々に大切なことを伝える」
この至上命題を失念して、ただただ部数を競うビジネスゲームに血眼になったメディアの断末魔が駅前の売店には並んでいた。




デイリースポーツの大殊勲

だが、
一紙だけが関西にまで吹きふさんだ同調圧力に打ち勝ち、白眉出色なる一面を飾っていた。
デイリースポーツがとくダネで一山当てたのだ。






「福原145キロ!!」


ワタシは思わず駅前売店傍らで笑った。
生まれて初めて笑ったのだ。

「松坂155キロ!」「松坂155キロ!!」「福原145キロ‼︎‼︎「怪物松坂!出た!!155キロ!!!」「松坂155キロ斬り‼︎」「松坂大輔155キロ!!」

10キロ遅れだが心にグサリと刺さるワンフレーズだった。
前日に行われた阪神戦で即戦力右腕として期待されていたルーキー福原忍(神)が「145キロ」を記録したことを伝える気概と「出し抜き感」が伝わってきた。




夢なき希望と現実の狭間で

当時、阪神タイガースは過渡期であり、厳密にはずっと過渡期だったのだが、過渡期であるため速球派投手に対する羨望は日増しに強くなっていた。
藪恵壹という秀でた投手がエースとして君臨していたが、どちらかといえば変化球でかわすタイプのピッチャーであり、速球にはそこまで魅るべきものはなかった。


140キロそこそこが出るピッチャーが欲しい。


1999年当時において阪神ファンの情念の最大公約数を採ればこれくらいが浮き上がってきたはずだ。
もはや長年のひもじいファンライフの中で高望みという概念を喪失し、現実を直視したファンだけが残存していたからだ。

こうした背景の中で「MAX149キロ右腕」の十字架を背負って福原忍がドラフト3位にて阪神タイガースに入団したのだ。



福原145キロの衝撃


この「MAX〇〇〇右腕」という在阪スポーツ紙レトリックに何度痛い目に遭わされてきたことか。
銀腕・郭李だって紙面では「MAX155キロ右腕」だったが、現実は10キロぐらい落ちとった。
だから福原忍にたいする我々の希望も「まあ140キロのストレートをたまに放ってくれれば御の字」といったところだったのだ。
だが蓋を開けてみれば、ほんまもんの「MAX149キロ右腕」が阪神なんぞにやってきてくれた。
甲子園のスピード表示で、速球が140キロを常時記録するピッチャーがついに阪神にも登場したのだ。
そのピッチャーの名を福原忍と云う。


福原忍
日本プロ野球(NPB)在籍 1999〜2016年

595試合 83勝104敗29セーブ 防御率3.49
最優秀中継ぎ投手2回(2014年、2015年)



面白きこともなき世を面白く

これは高杉晋作の辞世の句だが、元来面白くない世の中に面白いことを見いだすことこそが人類社会において肝要となる。
翻って現代日本、
新自由主義ネオリベというものが猛威を振るって久しく、ネオリベという価値観がもはや当たり前のようになってしまっている。
そのためメディアはカネになることだけを生真面目に伝え、面白くない社会熟成のお先棒を担いでいる。
だから、
松坂大輔が155キロを投げれば翌朝のスポーツ紙は「松坂」一色に染まる。
そこに面白きことユーモアはなく、あるのは「バスに乗り遅れるな」の同調心理だけだ。

そんな世界に希望はない、ましてや夢なんてない。
だからこそ、
デイリースポーツと福原忍がコラボで達成した「福原145キロ!!」は面白くかつ偉大なのだ。

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