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マイク・グリーンウェル(神)/作戦名/神々の黄昏

1997年5月3日は天地開闢以来もっとも「格好いいガッツポーズ」が演出された記念すべき日である。

ところで、
1997年は疾風怒濤にして波乱の年だ。



アジア通貨危機
「たまごっち」が大ヒット
クローン羊「ドリー」誕生でサイエンスが神の領域に
香港返還、ソロスの空売り炸裂
ダイアナ妃が事故死、パパラッチ騒動
山一證券が経営破綻して金融神話も破綻
サッカー日本代表W杯初出場決定、岡野神になる(ジョホールバルの歓喜)
思いっきり内定取り消される


などなど枚挙にいとまがないが、プロ野球界では一際はげしい激震が起こった。
今日はその激神を振りかってみよう。

(神)の神頼み

助っ人外国人の慢性不振にあえぐ阪神は、96年に「打ってクレイグ!頼んマース!!」の合言葉よろしく、クレイグとマースの適応型助っ人で勝負に出た。
これはそれまでの阪神がドグマとしていた「メジャー実績主義」からの脱却であり、「日本適応主義」への変遷であり大英断だったといえる。
だが大英断だったからといって成功するとは限らず、クレイグとマースのイケメンコンビは一年でお役御免となった。
「打ってクレイグ!頼んマース!!」の神頼み・言霊信仰では、阪神を浮上させることがかなわなかったのだ。

ここに至り阪神上層部は早々と「メジャー実績主義ルネッサンス」を決断した。




ミスターレッドソックス


マイク・グリーンウェル
メジャー通算成績 実働10年
通算打率.303・1400安打・130本塁打・726打点


こんなん来るかっっ。
当初はそんな観測が強かったが、関西スポーツ紙上では日増しに超大物メジャーリーガーが阪神にやってくるという空気が熟成されていった。




「みんな欲しい」

この年、FAの目玉はヤクルトの広澤克実と西武の清原和博であり、各球団が両者の獲得をめぐりあらゆるリソースを投げ打ってしのぎを削っていた。
だが巨人・長嶋茂雄監督が「みんな欲しい!」、と云ったことで勝負あり。
阪神も両者の獲得から撤退し、打線の核となれる選手として万難を排し「グリーンウェル」一本で行くという不退転の決意を固めてしまったのだ。




電光掲示板を改修


甲子園の電光掲示板には当時7文字の表記が出来ず、グリーンウェル入団決定とともに改修がなされ、7文字までの表記が可能になったのだ。




月額150万円のマンション


阪神球団側は月額150万円(修繕費別途)もするマンションを用意し、
高額年俸、電光掲示板改修、パワーマンションの三顧之礼を以てグリーンウェルを歓待。




夫人との結婚記念日のため帰国

1997年1月29日に関西空港に降り立ったグリーンウェルは安芸キャンプで神々しい姿をメディアに魅せつけ、期待が確信に変わりつつあった2月11日。
夫人との結婚記念日を祝うためグリーンウェルは突如として帰国した。




旅行禁止令

「グリーンウェルはキャンプ中に背中を痛め、主治医から『3月5日まで旅行は控えるように』と診断されたため、再来日は遅れる」、、


この代理人からの腐った刃物のような通知により俄かに事態は逼迫。


「日本では5月5日が子供の日となっており、活躍を期待している子供たちを喜ばせるために、その日には絶対に日本に戻りたい」


グリーンウェルから届いた言の葉により事態にいささかばかりの鎮火ベクトルがかかったが、もはや疑心暗鬼の思念は消えようがない。



GWの帰還

夫人との長すぎる結婚記念祝いを終え、グリーンウェルは4月30日にようやく再来日を果たす。
そこから急ピッチで体を仕上げ、ゴールデンウィークに間に合わせてきた。

こうしてグリーンウェルは、
5月3日のゴールデンウィークで賑わう甲子園、満場万雷の拍手の中でNPB初出場を果たす。



ギャラルホルンは哭った

1997年5月3日 阪神ー広島戦(甲子園)

1打席目凡退のあとチャンスで巡ってきた2打席目に、若き黒田博樹から鋭白のタイムリーを放ち甲子園をどよめかせる。
さらに圧巻は8回、
バットを紫電一閃すると、右中間をモーゼのように打球がわってグリーンウェルは三塁に滑り込む。

振り向きざま一塁ベースを刹那睥睨するや、おのれの中の何かに向かって咆哮し、
左腕を神々しくこうごうしく天にむけて突き上げた。

究極のガッツポーズだ。

こうしてデビュー戦を華々しく神々しく飾ったグリーンウェルは、早くも救世主として崇められる存在になった。



作戦名・神々の黄昏ラグナロク

その後、徹底したGW包囲網が敷かれる中にあって精彩を欠く打席も見られたが、
ひとかたならぬスイングスピードには希望以上のものを感じずにはいられなかった。

そして、
運命の5月10日がやってきた。

1997年5月10日 巨人ー阪神戦(東京ドーム)

「レッドソックス時代も、ヤンキーズ戦は格別だったさ」
と試合前に並々ならぬ意気込みを語ってのぞんだグリーンウェルだったが、第4打席目、神に大いなる試練を課される。

自打球がなでるように右足甲を直撃。
骨折の憂き目に遭う。

そこから事態は疾風怒濤の展開を見せる。

5月14日にグリーンウェルは会見を開く。

「野球を辞めろという神のお告げがあった」

「自分の野球人生は恵まれていた。阪神ファンには申し訳ないが、最後にいい球団でプレーできて光栄だ」

「金のために野球をしていたのではなく、名誉や誇りのため」


まるで質問を先読みしたかのように、立板に水スラスラといささかの淀みなく語った。
翌15日に電光石火で帰国。



マイク・グリーンウェル
メジャー通算成績 
実働10年
通算打率.303・1400安打・130本塁打・726打点

NPB通算成績
阪神タイガース 97年
7試合 打率.231 0本塁打 5打点




神話が終わり、歴史が始まる

グリーンウェルは帰国後すかさず引退を公表。
程なくして、
フロリダに「マイク・グリーンウェルズ・ファミリー・ファンパーク」という遊園地を落成させオーナーに就任。
ちなみにこの遊園地は甲子園球場の敷地面積の20倍以上を誇る大規模テーマパークである。


こうして3億円の損失をこうむった阪神は「メジャー実績主義」での助っ人獲得の愚をようやく悟り、翌年から戦いは新たなステージに移行していく。


パウエル、ハンセン、ウィルソン、クリーク、リベラ、ミラー、ブロワーズ、ジョンソン、フランクリン、マクドナルド、ハートキー、バトル、、ホッジス(弟)・・・


神話が終わり、歴史が始まる・・・

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