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打ってクレイグ頼んマース(神) (神)の神頼み

94年、ロブ・ディアーによって一敗地に塗れた阪神タイガースは捲土重来を期して外国人助っ人獲得に本腰を入れる。
そして96年シーズン途中に2人の頼れる助っ人たちがやってきたのだった。
マスコミはそれまでの(神)助っ人外れからの脱却を祈願して、こう書き綴った。


「打ってクレイグ!頼んマース!!」



もはや言霊信仰である。
井沢元彦の世界である。
とにもかくにも、
こうしてクレイグ、マース両助っ人選手が96年シーズン途上に阪神タイガースの戦列へと加わったのだ。

合言葉は「適応力」

当時の阪神は打線がうてず、投手陣は92年でピークアウトし斜陽著しかった。
あにはからんや日本経済はバブル崩壊の色合いがいよいよ現実味を帯びつつあったが、「まあ、なんとかなるんじゃね」というコンセンサスのもと個人も企業も金遣いは荒かった。
そこでカネさえ積めば海の向こうからひっぱってこれる助っ人外国人に対する依存度合いが昂まっていた。
だが阪神は94年のディアーを皮切りに95年のグレン、クールボーと頼みに綱の助っ人にすらも見放された感が否めなかった。

そんな中、それまでの「メジャー実績主義」ではなく「日本への適応力」をコンセプトに阪神はクレイグ、マース両選手を念入りに調査し獲得に至ったのだ。




ハンサムな容貌

だが事態のベクトルは斜め百三十度の方向をむいていた。
マースはメジャーリーグでも屈指のハンサムつまりはイケメンであり、そのイケメンぶりに注目があつまった。

ケビン・マース
日本プロ野球(NPB)在籍1年 1996年
1996年 阪神タイガース
63試合 打率.245 42打点 8本塁打


当時の藤田平監督はあの新庄剛志をほしてまでマースを使い続けたが、なんとも微妙な数字である。
まあ、「高卒3年目の有望選手を我慢して我慢してっ我慢してっっ一軍で育成しましたっっっ」ならば及第点の数字であろう。
もうちょい頼んマース。




反対9賛成ワタシ1、よって賛成に決定

「反対9、賛成ワタシ1、よって賛成に決定」とはアメリカ建国の父ことジョージ・ワシントンの名言であるが、阪神にやってきたクレイグ・ワーシントンに対する評価もそんな感じであろう。
クレイグ・ワーシントンのセルフいいね!虚しく解雇に決定したのではあるが。


クレイグ・ワーシントン
日本プロ野球(NPB)在籍1年 1996年
1996年 阪神タイガース
22試合 打率.267 12打点 3本塁打 OPS.794

しかし、OPS.794という数値には見るべきものがあった。
というかいままさに目を皿のようにしてクレイグNPB成績を眺めているが、それ以外にっ何を書けというのかっっ。




神々の黄昏前夜

ケビン・マース
日本プロ野球(NPB)在籍1年 1996年
1996年 阪神タイガース
63試合 打率.245 42打点 8本塁打

クレイグ・ワーシントン
日本プロ野球(NPB)在籍1年 1996年
1996年 阪神タイガース
22試合 打率.267 12打点 3本塁打 OPS.794


ここから阪神タイガースの助っ人事情がいよいよ混迷を極めることとなる。
メジャー実績主義から「日本への環境適応主義」へと舵切りを行なったものの、
マース、クレイグという蹉跌により、
阪神は再び「メジャーバリバリ実績主義」へと先祖返りすることとなる。

この主義の大ブレが、あの大物助っ人を呼び寄せることとなった。
1997年の「打ってクレイグ、頼んマース」という神頼みが更にエスカレートし、
神への信仰へと相転移されグリーンウェルという怪物を招聘することとなったのだ。

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