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サイレントフォロワーというSNSの死神

フォローをしたが断じてスキをしないという死神がnoteを闊歩している。
フォローをしてもスキをする道理はない。
フォローをしたことで溜飲を下げる酔狂な御仁も、正規分布に従い存在していることは科学的に真なる命題だ。
フォロワー数ゼロでもフォロー数の多さに酔いしれる変わり種の存在も否定は出来まい。

だがどうだろうか。

フォローをしたがスキをしないという行為は、付き合っているのに何ら干渉のない男女のようなものではないか。
確かにそれは仮面カップルないし仮面夫婦というフレーズがある以上は存在しうる概念事象なのだろう。
しかしスキなしではこんにちの人類社会の栄耀栄華はなかった。
これは生物学的人類の摂理である。
ここから類推するにフォローをしたがスキをしないという行為は、noteというお母さんを亡き者にする暴挙だと言えるのではないか。
いや敢えて問い直そう。
サイレントフォロワーの存在そのものがnoteへの侵略戦争ではないか。


人生最大の教訓は、愚かな者ですら時に正しいと知ることだ。

これは大英帝国宰相チャーチルの箴言である。
翻って現代サイバー空間において、
フォローをしたがスキをしないサイレントフォロワーという愚者にも正しいことがある。

それはフォローをしているという一点に尽きる。

先の大戦において我々は多くの示唆を得た。
だが大戦の反省もそこそこにサイバー空間で日夜繰り広げられる新たな侵略戦争に巻き込まれ、いまだ教訓を得られずにいる。
だから、
だからこそ、
我々は現在進行形でなされている侵略戦争から学ばなければならない。

フォローという戦争を仕掛けたならば、必ずスキをする。
サイレントフォロワーという死神を他山の石となし、我々は実践に移さねばならない。

今こそ、
静かなフォローと確実なスキが求められている。

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