藤森哲也/37歳の坊や哲/Go for broke
藤森哲也は日本将棋連盟所属の将棋棋士でYouTuberとしても高名。
1987年5月9日生まれの37歳。
主宰しているyoutubeチャンネル「将棋放浪記」の総再生回数は1億回を軽く超えている。
好きな格闘家はドン・フライなど。
フライ?
ドン・フライって誰だよ、、、、だと???
・・・
ドン・フライとはアントニオ猪木の引退試合の対戦相手をつとめた燻し銀だ。
猪木??
アントニオ猪木って誰だよ、、、、、だと????
・・・っ・・・
アントニ猪木とは巌流島でマサ斎藤と死闘を繰り広げたワールドワイドなレスラーだ。
斎藤???
マサ斎藤って誰だよ、、、、、、、だと?????
・・・っっ・・・
・・・・っ・・・・
マサ斎藤とはアメリカで囚人となり獄中にて集団でいじめに遭いかけるが、
逆にアメリカの囚人をまとめて干してしまい、
監獄で英雄として君臨していた偉大な新日本のレスラーだ。
座右の銘は「Go for broke」
藤森哲也五段の好きな格闘技対戦カードは「ドン・フライvs高山善廣」。
今日はそんな藤森哲也五段についてチィッとばかり語ろう。
では、いってみよう!
ジャッキー・チェンの声を持つ棋士
youtuberとして成功するには様々な素養が必要だが「声」は大きな成功の鍵となる。
藤森哲也五段の声は誰かに似ていると思っていたが、よくよく聞いてみると「ジャッキー・チェン」に似ていることが解る。
コミカルでありながらやる時はやる、、ラスボスに負けそうになるけれど最後の最後には勝つ、、そんなジャッキー・チェンの声に似ており聴いていて心地よい。
このスパルタンXのジャッキー・チェンは最高だ。
敵役のベリー・ユキーデはマーシャルアーツのチャンピオンでほんまもんの格闘家。
例によってジャッキーは負けそうになるが、
「強敵だ…冷静にいけよ…冷静に…稽古のつもりで…やれやっ…」からの大逆転劇はジャッキー好きの中でも語り草だ。
劇中冒頭で朝の稽古をサボり散らしているのが伏線になっていい味出し過ぎている。
このジャッキー・チェンのコミカルでありながらシリアスでもある声が藤森五段の声と瓜二つなのだ。
将棋放浪記
将棋放浪記は2020年4月から始まったyoutubeチャンネルだから早いもので4年もやっていることになる。
継続は力なりといったもので、ほぼほぼ毎日更新というのはなかなか出来るものではない。
だが、
初期から視聴させてもらっている筆者は知っている。
最初はあまりやる気がなかったことを。
髪も寝癖がついた状態が仕様になっており今のような洗練された雰囲気とは程遠かった。
たまに対局中に家のチャイムが鳴ったりして生活臭が漂よいまくっていたんだ。
しかしそのどこかアンニュイな雰囲気が逆に親近感となり受けた。
しかも藤森さんには後述する「坊や哲」ばりの「強運」があって非常に面白かった。
特に「藤森流急戦矢倉1.2」の回は凄まじい。
藤森流急戦矢倉とは米長流急戦矢倉に独自の工夫を凝らしたものであり、これを編み出した藤森五段はこの戦型の著書も出している。
だから販売促進も兼ねて「藤森流急戦矢倉」を指したという経緯もあったはずだ。
だが相手は素人だからと侮っていたわけではないだろうが、いやきっとどこか必ず侮っていたのだろうが、終盤の入り口で「お相手」が力を見せつけ藤森五段が負けかける。
この藤森哲也五段が「負けかける」というファクターも将棋放浪記をエキサイティングなものにしており、ジャッキー・チェン映画と通底するところがある。
諦観が画面の中からひしひしと伝わってくる中で、最後の最後で相手がまさかの「タップミス」。
こうして藤森五段が薄氷の上で棚ぼたを掴みとった。
「藤森流急戦矢倉1.2」
どちらの回も同じ展開で負けかけて、最後に棚ぼた勝ちを収めているのだ。
負けかけて、最後の最後で逆転勝ち。
将棋放浪記とジャッキー・チェン映画の共通項がここにも垣間見える。
麻雀放浪記のアナロジー
将棋放浪記は麻雀放浪記からの本歌取りだ。
早い話がモジリである。
麻雀放浪記とは阿佐田哲也による麻雀ピカレクス小説であり、戦後の玄人たちの生き様がいきいきと描かれた大作だ。
原作者である阿佐田哲也自身の自伝的色彩が強く、聞くところによれば藤森五段の親父さんが麻雀好きだったこともあって藤森五段は哲也という名前を頂いたらしい。
この麻雀放浪記はスケールの大きな作品だ。
表向きの主人公は阿佐田哲也自身なのだが、実質的な主人公は「ドサ健」である。
ドサ健は大東亜戦争のリベンジを果たすため「ゴールドマンサックス」と一戦交える資金を集めているのだが、そのための手段がなんと「賭け麻雀」なのだ。
目的と手段のスケールが噛み合っていないところが逆にスケールのデカさを感じさせてなんとも奥ゆかしい。
さてそんな麻雀ピカレクス小説の金字塔たる麻雀放浪記をもじった将棋放浪記であるが、これもまた奥ゆかしいコンテンツに仕上がってきている。
おっと書き忘れるところだった。
麻雀放浪記で主人公の哲也の二つ名は「坊や哲」。
童顔だったためにいつしか「坊や哲」と恐れられる麻雀打ちになった。
藤森哲也五段も37歳にしてはすこぶる若造りであり将棋版「坊や哲」といった風情が漂っている。
面白い棋士の時代
いみじくもコロナ期間で将棋棋士の存在意義が明確に変化した。
以前からその兆候はあったが、もはや強さというものは棋士の存在意義たり得なくなったのだ。
AIの台頭により強さは二次的以下の存在意義に堕ちていった。
まあそこに齧り付くしかない将棋星人は齧り付いておけばいいが、あまりお勧めはしない。
代わって棋士に必要とされるようになった一次的な素養は「面白さ」「親しみやすさ」だ。
砕いて書き直せば「友達になりてぇぇ奴」だ。
SNSの爛熟により棋士とファンの距離が近くなった現在において、
「面白さ」「親しみやすさ」「友達になりてぇぇ奴」の解像度が顕著に高くなっている。
このレジームチェンジをうまくとらえたのが藤森哲也五段である。
競馬、格闘技、プロ野球、ゲーム、マンガと趣味の射程が広く、それをフルに動員した解説は「普通に」面白い。
この「普通」が出来ていなかったのがこれまでの将棋棋士だったのだ。
従来の「将棋を将棋で語る」というNHK杯パラダイムから逸早く脱却できた棋士だともいえよう。
「将棋をサクラローレルとマヤノトップガン、ドンフライvs高山、落合博満とガンダム、ドラゴンボール、ドラクエ3など他分野とのアナロジーで語る」という他ジャンルでは当たり前のことを藤森哲也五段は将棋に移植してきたのだ。
将棋ばっかやってきた棋士にはできない芸当だが、それが芸当と言われる将棋界隈にこそ問題があったのだろう。
角換わりの奴隷の時代
今やタイトルホルダーは角換わりの奴隷ばかりだ。
さながらタイトル戦は角換わりへの「隷従度」を競う奴隷合戦の様相を呈している。
2000年代初頭に自民党の派閥がこぞってアメリカ従属度すなわちアメポチ指数を競い合ったのを彷彿させる事象だ。
時に相掛かりの奴隷合戦にメタモルフォーゼするが五十歩百歩でアマチュアからは蛇蝎の如く忌避される戦型に違いはない。
このように面白い棋士の時代が進行する中で、
角換わりへの奴隷棋士の時代も同時進行しているのだ。
この二つの相剋するような事象の同時進行はなぜなのだろうか?
華のない現代将棋への反動としての藤森哲也
目下のタイトル戦を本音で楽しんでいる者なんてどれほどいるのだろうか。
観る将さんたちがフワッとした空気に流されてハシャイデいるぐらいではなかろうか。
将棋ポピュリストさんたちと言い換えてもいいだろう。
要はいいお客さんである。
ただしこの観る将という現象は「羽生フィーバー」の時にも垣間見られた。
将棋ファンが増えた増えたと言われたが、一服ついたら元の木阿弥になっていたんだ。
果たして今般の将棋ブームが一服ついた時にはどうなっているのだろうかねえ。
恐らくは羽生フィーバ後よりも酷いことになっているよ。
老舗スポンサーとしても本心では華のないタイトル戦より藤森哲也たちに投資した方がリターンが多いと勘付いてはいるが、なかなか決断には至らないといったところだろう。
だがそんなふうに呑気で風を切っているうちに、GAFAやらMATANAに藤森哲也など将棋界隈の美味しいところだけを全部掻っ攫われてしまうのがオチなんじゃないかな。
日本のテレビ屋連中が古色蒼然と牧歌的にやっているうちに、
Netflixやアマゾンに美味しいコンテンツをくまなく囲い込まれちまったようにね。
面白いと強いのアウフヘーベン
もっと簡単なメソッドがある。
それは面白い棋士が強ければいいのだ。
なんという簡単な話しなのだろうか。
藤森哲也五段は37歳でC級2組・竜王戦5組っっ・・・
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「Go for broke!」(当たって砕けろ!)
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