川越つばさ

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川越つばさ

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  • 川越つばさの気まぐれエッセイ

    川越つばさの、書きなぐり書きちらし書きっぱなし出任せエッセイ集。内容は、常識に背くような大衆や世間様に迎合しない、あるいは、世の中をナメたような内容になります。石を投げられ白い目で見られ後ろ指さされ非國民となじられることは覚悟しています。あと、気まぐれなので、そのときの気分によって文体が変わります。 ★田中泰延先生のご著書「読みたいことを、書けばいい。」を読んでホントに人生が変わりました。自分が読みたいものは自分が書きたいものなんだから、書きたいときに書きたいように書けばいいんだと。だから、川越つばさのマガジンは、「読みたい人が、読めばいい。」 そんなささやかな気持ちを込めて、「読みたくない人に、読まれないように。」有料にしました。「書きたいときに書く」ので、気まぐれ更新です。 ※2024年05月23日(木)より開始。塵芥(ちりあくた)の如く蓄積中。 #川越つばさの気まぐれエッセイ

  • 落語あらすじ・解説

    #川越つばさの落語コレクション

  • 創発共同マガジン

    • 88本

    多元的思考のクロスロード:創発マガジン Emergence Magazine: Collective Intelligence クリエイターによるクリエイターのためのクリエイティブライフ

  • 食べメモ:川越つばさ♪の食い意地レポート

    都合により不食の実行を断念しました。 喰う為に生きるのか、生きるために喰うのかと大いに悩んだ時期がありました。仕事に忙殺され、食事が生命維持の手段に過ぎなくなること四半世紀。この先いったい何度メシを喰えるのか!?。死亡生残表をぼ~と眺めながら考えてみました。 あと20,000回…… 【食べた記録 = 生きた記憶】 これからは料理に真剣に向き合い、味わい、その記録を残したいと思います。料理の味も大事ですが、お店の雰囲気や接客態度も重要です。エキセントリックな掛け声、店員の私語、客の前での新人教育、これらはご遠慮願いたい。心地よい店内の雰囲気と清潔さ、心地よい接客に触れて、初めて料理が生きると考えます。私の感受性に共感する方にとって参考になれば幸いです。トレンドや先入観に惑わされず、真摯に料理と向き合い、レビューを書いていきたいです。 #川越つばさの食い意地レポート #食べメモ #食べログ

  • 川越つばさの創作コレクション

    #川越つばさクリエイション #創作活動 #創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

最近の記事

気持ち悪いヘンな広告に天誅を!【きまぐれエッセイ】

不快な広告というのは、まるで虫歯のように突然現れて、気持ちの良い映像体験を台無しにしてしまうものだ。あたしも最近、YouTubeを眺めている時に、何度も何度も嫌な広告に出くわした経験がある。広告をスキップしようとする手が震えるほどの嫌悪感を覚えることさえある。今回はその不快な広告について、少し愚痴をこぼさせてほしい。 まず、一番の大問題は毛穴ケア商品の広告だ。サムネイルに並べられた角栓の集合体は、まるで無数の虫がびっしりと敷き詰められているかのような見た目で、恐怖症を持つあ

    • 桂枝雀・佐々木裁き(佐々木政談)【落語あらすじ/解説】

      佐々木裁きとは 「佐々木裁き(ささきさばき)」は、古典落語の演目です。別題には「佐々木政談(ささきせいだん)」、「佐々木高綱(ささきたかつな)」、「池田大助(いけだだいすけ)」があり、その原話は『一休咄』とされています。3代目笑福亭松鶴の作とされるこの話は、幕末期に実在した幕臣佐々木顕発を主人公としています。 あらすじ名奉行の市中見回り 名奉行として知られる佐々木信濃守(佐々木顕発)は、ある日お忍びで市中を見回っていると、子供たちが裁判ごっこをして遊んでいる場面に出く

      • 聖書が重いのは、愛が軽いから【きまぐれエッセイ】

        イエスさまが愛を説いたのは、まさに人々の心に愛が欠けていたからこそ。あたしは、この逆説に不思議と魅了される。だって、愛があるなら、なぜその教えが今でも大事なのか。そう、今も昔も、愛というものは人々の心から逃げ回っているらしい。 イエスさまの教えが現代でも輝きを放つのは、その教えが今も必要とされている証拠である。つまり、現代人の心にも愛が欠けている。愛と優しさ、感謝と思いやりがあれば、分厚い聖書なんて読む必要がない。けれども、その聖書が今でも読み続けられているという事実が、愛

        • 自然(じねん)/『自分の思い通り』はサイテーの人【きまぐれエッセイ】

          自然(じねん)とは、何とも不思議な響きの言葉である。「自然」ではなく、「じねん」。自ずから然る。これは最上の政治が、無為の化に待つべきものであることを示している。言葉で人に説くことの過ちを教え、自然に任せるという哲学だ。さて、この哲学を身近な家庭に適用してみよう。特に、おやじの在り方についてだ。 理想のおやじ像を描くと、おやじは書斎にこもって何やら本を読んだり書き物をしたり、時にはぷいと出かけていったり、ふらっと帰ってきたりする。家族は、おやじがどんな仕事をしているのか知ら

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        • 川越つばさの気まぐれエッセイ
          33本
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          43本
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          5本
        • 読書ノート・本要約
          18本

        記事

          物事に動じない心の鍛え方『八風吹けども動ぜず』の極意【きまぐれエッセイ】

          さて、『八風吹けども動ぜず』の精神、これが人間にとっていかに重要か、つらつらと考えてみたわけよ。風が吹こうが嵐が来ようが、心の奥底ではどっしり構えていたいものだ。って、あたしも偉そうに言っちゃってるけど、正直なところ、昇給やら昇進やらで浮かれたり、降格やらリストラの恐怖にびくびくしたり、そんな経験、あたしにだってあるんだよね。 まあ、ちょっとエキセントリックな感じで語ってみるとさ、生活の波に揉まれては、心が休まるときなんてほんとにないんだよ。朝起きて、ニュース見て、今日も何

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          夢もチボウも目標も持たない幸せ【きまぐれエッセイ】

          快楽主義への警告:無欲のすゝめ 欲望があたしたちの人生を駆り立てる。あの新しい車、最新のスマートフォン、豪華な家。欲望はまるで尽きることのない泉のように湧き出てくる。しかし、果たしてその泉は私たちを本当に潤しているのだろうか?ここで一度、立ち止まり考えてみようではないか。 無欲とは何か。欲がないことではない。欲を捨てることでもない。むしろ、今この瞬間に満ち足りていることを知ることだ。そう、無欲とは現状に満足し、過剰な欲望に囚われないこと。次から次へと欲望が湧き上がってくる

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          無用の用が教えてくれる「本当に大切なこと」【きまぐれエッセイ】

          人生ってほんと不思議なんだなぁ。あたしが道を歩いてるときは、足の下の地面しか見えやしないわよ。そこだけが現実で、目の前にある空間は仮想現実みたいに感じる。でも立ち止まって空を見上げれば、あたしだって地球が丸いことくらい知ってるわ。でもそれでも歩く度に、足下のコンクリートだけが永遠の現実のように思えてしまうのよ。 ほら、足場がないと立ってられないでしょう?地面がなけりゃあたしだって宙を舞うしかなくなっちゃう。だから足下の地面は”有”の部分で、それ以外の空間は”無”なのよ。そう

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          要は『要するに』が要してない真の文章の見本【きまぐれエッセイ】

          世の中には実にいろんな人間がいて、あたしの知り合いにもかなり変わった性癖を持ったヤツがいる。いや、別に性的な意味ではなくて、言葉の使い方とかそういうハナシ。 たとえば、「要するに」という言葉を嫌ってやまない人間がいる。 「『要するに』が要してない」なんて文句をつけるのが趣味らしい。まあ、あたしもTwitter(X)でそんな意地悪なオトコに絡まれたことがある。 論理問題のお題に対する回答に、普段はあまり使わない「要するに」を使った。それがいけなかったのだろう、「『要するに』が要

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          花は無心にして蝶を招く【きまぐれエッセイ】

          抱一の思想に寄せて:心を今に置く 道(タオ)と一体となっていれば何も問題はない、とよく言われるけれど、あたしはこの道(タオ)というものを、もう少し噛み砕いて考えてみたい。 何しろ、道(タオ)と離れてしまったら、どんな感じなのだろうかと考えることが、現実の人間関係や日々の生活に役立つからね。 現実に不満を持ち、過去の楽しかった時代に逃げ込んで、過去の辛い思い出をいつまでも引きずっている。 未来への不安ばかりが頭を占めて、目の前のご飯をおいしく食べられない。 そんな『心ここ

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          『冷やし象さん始めました』てか、なんでゾウを冷蔵庫に入れなきゃなんないの?象印冷蔵庫【きまぐれエッセイ】

          ある晴れた日、友人がふと「象を冷蔵庫に入れるにはどうすればいい?」と尋ねてきた。最初は冗談かと思い、「象って、あの大きな動物のこと?」と聞き返した。すると友人はニヤリと笑って、「なぞなぞだよ」と言う。突然、頭の中で何かがひらめいたような気がした。 冷蔵庫と象。この二つは一見すると全く関係のない存在だ。しかし、なぞなぞという枠組みの中では、常識を覆すことが求められる。象を冷蔵庫に入れるという一見不可能な挑戦は、私たちの思考を広げるための一種のパラドックスだ。 パラドックスと

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          渋滞の中の小さな冒険【きまぐれエッセイ】

          あたしは国道沿いのバス停で、自転車に乗った少年が渋滞に巻き込まれるのを見ていた。国道は今日もいつも通り、車の洪水で溢れている。まるで、止めどなく流れ続ける川のようだが、この川は一寸先も進まない。それが渋滞の魔力だ。 少年は汗をかきながら、自転車のペダルを漕ぐが、前に進むのはわずか数センチ。後ろには、同じく動かない車の列が続いている。彼の表情には疲れが見え隠れするが、どこか無邪気な好奇心も感じられる。その姿がまるで、スイスイと進むことを夢見る魚のように見えた。 あたしもかつ

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          強欲な人は満足を知らない【きまぐれエッセイ】

          満足を知ることが大切。 そうよね〜。でもでも、それってなかなか難しいわ。あたしも、中学時代は超ボサノヴァにハマっていたのにさ、大人になるにつれ徐々にロック路線に傾いていったし。欲望の対象が移り変わるのは当たり前のことじゃない? ま、確かに一度贅沢に味を移してしまえば、それが常になっちゃうのよね。月給10万円で生活してた人が、20万円に上がれば、20万円の暮らしが当たり前になっちゃう。でも突然12万円に減ったら、「これじゃ生活できない!」って文句を言うわけ。 不思議なもんで

          強欲な人は満足を知らない【きまぐれエッセイ】

          おバカな”賢人”の条件【きまぐれエッセイ】

          データ肥やしにひと暴れするバカって、実はとってもヤバイんですよ。バカ一つとっても恐ろしいものですが、学問あるバカの方がより凶暴で手こずらされちゃうんです。なんでそんなこと言えるか?それはですね、争いの根っこが自分勝手な価値観にあるからなんです。善悪・優劣・損得を自分基準で決めつけちゃう。だからこそ争いが絶えないわけです。 例えば、日々の生活で役立つ知恵よりも、ただ単に頭に詰め込んだデータ量を重視する風潮。メモリーがデカい奴を賢い、すばらしい人間と持ち上げちゃう。するとみんな

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          相対世界で生きるコツ~ドストレートなご託宣!川越つばさの何も売らない裏ない占い【きまぐれエッセイ】

          そうそう、真理は裏表がないってこと。「道」と呼ばれるあの絶対的な存在が、実在の姿なのね。でも、あたし達が住む世界は、そうじゃないわ。ここは、陰翳が伴走する相対的な世界なの。 たとえば「美女」って概念。それを定義しようとすると、陰で「醜女」って概念も同時に生まれちゃうでしょ?美醜は切っても切れない関係なのよ。醜女がいるからこそ美女が際立つし、美女がいるからこそ醜女が目立つの。絶対的な美なんてあり得ないってわけ。 善人(ヒーロー)は悪人(ヒール)がいるからこそ存在価値があるじ

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          キレイゴトでメシを喰う【きまぐれエッセイ】

          「キレイゴトじゃあメシ喰えないよ」 「キレイゴトだけいってちゃあ世の中渡れないよ」 そんな言葉、誰でも一度は耳にしたことがあるはず。 成功した人や、それなりの財を築いた人ほど、こんな風に言うんだよね。 でも、本当にキレイゴトでメシを喰うのは無理なのかな? 世の中、そんなにキレイゴトだけでは渡れないのかな? よくよく考えてみると、「キレイゴトでメシ喰えよ」と教える人って、本当にいないよね。なんでだろう? 『人が好い』っていうのがバカアホマヌケの代名詞みたいになっちゃったから

          キレイゴトでメシを喰う【きまぐれエッセイ】

          正義の三鷹!お茶碗アトム。三鷹の鷹を見たか?【きまぐれエッセイ】

          あたしは、ここで「死生は自然のままにまかせよ」なんて言ってみたいわけです。なぜかって?それは、日々の暮らしの中で「天に代わりて不義を討つ」なんていう者たちが現れるからさ。彼らはまるで芝居の一場面を演じるように、世の中の悪を退治しようとするんだけど、それがまた滑稽でさ。 例えば、ある日町を歩いていると、突如現れるお茶碗アトム。ええ、そりゃもう、自信満々で名乗りをあげるんだよ。「やあやあ我こそは天下御免のお茶碗アトムなり~!」ってね。それだけでもう、あたしは大笑いだよ。でも、そ

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