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習慣化にラクな道はない

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

昨日の記事で、Noteの継続投稿を始めて300日が経過した。2022年7月19日の幸田露伴先生の「努力論」の読書記録から、紆余曲折あってここまで継続してきた。

習慣化することにラクな道はない。人間3週間(21日)同じことを繰り返せば習慣化すると言われているが、その3週間を突破することすら辛い。

はじめた当初はもう書くこと無いのではないか?とネタに困り(今でもネタに困る日ばかりだが)、今日はやめちまおうかと逃げ出そうとすることもあった(今でも時折そう思う日もあるが)。

そもそも継続した先に何があるのか、不明確であった。今でさえ、誰かに私の言葉を届けたいと、大それたことを掲げてはるものの、当初は継続するために継続していたという感じがあった。

ただそれでも、継続することに意味があると、今なら信じられる。

以前読んだ自己啓発本に、「意図と方法」という言葉があった。

何かを達成するという意図さえあれば、方法はいくらでも見つかるはずだと。それが本当に望むものであるならば、どんな手段を使ってでも達成するはずだと。

ただご覧のとおり、それが本当に望むものでなければ、なかなか方法を考えるのも難しい。だから物事を習慣化することが難しい。たとえそれが、失敗のしようもないとても小さいものだとしても。

友だちと一緒に継続するという方法もある。だが、友だちがやめてしまった瞬間、継続をやめてしまう人も多い(私の周りもそのような人が多い。まぁ私と比べて仕事が忙しそうだから、無理もないが)。

何かを習慣化したいのならば、毎日コツコツ、少しでも実行すること。毎日自分に◯をつける、いや、花丸をつけることが大切ずら。

M.J.アドラーの「本を読む本」講談社 (1997)を改めて実家から拝借してきた。そこには、読書を習慣化するための考えが記されている。

規則を守って仕事をする習慣を身につける道は実行以外にない。

同著 62頁より抜粋

Noteでいう規則とは、23時59分までに1つ記事を書くことである。1回でも24時を過ぎれば、継続はやり直しとなる。それでもやる意味があるのかと折れた瞬間、あまりにも脆く、習慣は惰性に働いてしまう。

そうやって、コツコツ、規則を守って実行し続ける。それ以外に習慣化は不可能である。

故に、自分なりにでも何らかの価値を付ける必要がある。継続する意味であれ、継続した先に掴みたいものであれ。ただ私のように、継続すること自体に意味を付けるのも悪くないと思う。

また、習慣にラクな道はないけれども、何ごとも楽しく行うのが一番である。習慣化するまでの道のりを、自分自身が一番楽しむこと。

今日も新しいネタを見つけた。面白い本や映画を見た。ないのであれば、一言でもいいから書く(そのためにはディズニーストアに行く)。読まれているからには、自分でも面白いと思えるような記事を書く。

そういうことを、Noteを書くこと以外にも横展開できればもっと良いのだと、私自身が少し内省している。

次は365日継続を目指す。7月18日まであと約2ヶ月。今日ですら書くことに若干困る状態ではあるものの、引き続き継続していこう。それではまた明日!

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