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読書記録「優しい死神の飼い方」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、知念実希人さんの「優しい死神の飼い方」光文社 (2016) です!

知念実希人「優しい死神の飼い方」光文社 

・あらすじ
私は犬である。名前は「レオ」と名付けられた。

正確に言うと、私自身は犬ではない。犬の身体を借りて、下賤な人間が暮らす地上に左遷された(もとい降臨した)高貴な霊的存在である。

人間たちによると、我々は「死神」と呼ばれているらしい。我々の仕事は、人間が死んだ後に出てくる魂を、「我が主様」のもとへ導くことである。

だが時折、「我が主様」のもとへ向かうことを拒む魂が現れる。人生に対する未練や後悔が強い魂は、いわゆる地縛霊のように現世に留まり続ける。そしていずれ、魂自体が消滅してしまう。

地縛霊化した魂を導くのも我々の仕事ではあるが、私の成績は非常に悪いものだった。いや、この時代の日本を担当している者は押し並べて成績が悪いのであって、私の仕事が怠慢だからでは勿論ない。

だから私は言霊で上司に伝えたのだ。「人間たちの未練を断ち切るには、彼らが生きているうちに接触しなければならない」と。

今思えば、あれが余計だった。私の言霊を聞いた「我が主様」がおっしゃるに「お前にその役目をやろう。なんか面白そうだから」とのこと。

こうして私は犬の身体を借りて地上に降り立ち、ひょんなことから出会った菜穂という小娘に拾われ、丘の上の『ほすぴす』という医療施設で飼われている。

そこの「患者」の未練を断ち切るために、私は仕事に取り組む。それが「我が主様」の御心であるならば。

去年の夏の京都にて、休憩がてら入った龍安寺商店街のコミュニティスペース「とんぼの家」の古本コーナーにあったのを購入。半年以上経ってようやく紐解いた次第。

死神と人間たちのコミカルなやり取りとか、犬の本能に逆らいたくても逆らえない感情描写など、読んでいて気持ちが良い作品であった。

とは言え、大前提は人間の死を取り扱う作品ではある。主人公の死神にとって、感情に左右される人間はなんと愚かなのだろうという立場である。

そもそも未練というものも、過去の出来事に対する思い込みや感情に振り回されているだけである。

現実に向き合おうとせず、過去に起きた悪い側面だけを誇張して捉え、生きている今という時間をも無駄にしているに過ぎないと。

強い感情は、魂の中に入り込んでしまった不純物にすぎず、本来必要のないものなのだ。そんなものを高貴なる私は、決して理解したいなどとは思わない。

同著 86頁より抜粋

この辺りを読んだ際に、平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」を思い出した。

子供の頃はおままごとをして遊んでいた「楽しい思い出の」庭の石が、祖母の命を奪った「悲しい思い出の」庭の石にすり替わってしまったという。

庭の石という物自体(事実)は変わらなくても、人間の感情や解釈によって、良いものにも、悪いものにもなってしまう。

だが一方で、感情があるからこそ、人間はまた前に進むこともできる。「マチネの終わりに」的に言うのならば、「過去は変えられる」のだ。

「自惚れるな『人間』!お前らは肉体という『仮住まい』を借りて、この世に存在しているに過ぎない。お前がするべきことは、残された人生の短さを嘆くことなどではなく、その限られた時間の中で精一杯生きることだけだ」

同著 195頁より部分抜粋

そんな言葉も、あくまでも死神としての仕事をしているだけかもしれない。

それに私自身、死にたくなるほど自分を責めるような出来事に直面してはいない。未練と呼べるほどの過去はないので、偉そうなことは言えない。

だがそれでも、どのような状況に陥ろうと、限られた時間の中でどう生きるかは、私自身が決めることができる。

時間は掛かったとしても、強い感情があるからこそ、前に進むこともできるんだって。

そんなふうに、強かに生きたいのもである。それではまた次回!

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