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1997年3月 イタリアあんがいほの暗い2

【まとめ】二日目は、ツアーを離れていきなり個別行動となったN&meの二人組。
まずは翌日予定したフィレンツェ行きの列車時刻と切符の買い方確認のためTermini駅に。その後地下鉄でバチカン市国、その後バチカンに近いローマ市内の現代美術館へ。挙動不審なおのぼりさん、参ります。
※2024.05.25 メモ分を加筆

3月6日(木)
6:00 起きる。

ホテル近くで見た建物


6:30 ホテルにて朝食。

パン大きくて美味し。
王冠型パン、砂糖がけクロワッサン、ジャム、ハム、チーズ。コーヒー
魔法瓶みたいなポット、黒はコーヒー、白はミルク

7:45 部屋に帰り、お出かけの支度。
専用バスで市内観光に行った団体さんに別れを告げ、まずはFraminio駅からRoma Nord線に乗る(METRO?)。
N&meが向かった先は、フィレンツェ行きの電車が出る国鉄Termini駅。
車両は落書きだらけ、
地下鉄は妙に仄暗く、乗客は「朝から低血圧でつらいわー」みたいな顔多し。しかし、背負っているリュック(INVICTAが流行りのよう)や履いている靴など、微妙にカラフルでさすがイタリア、って感じだった。
電車内に打刻機があってそこで切符をガチャンコするみたい。

TERMINA駅。思ったより広々のびのびした感じ。

宿からテルミニ駅までの予想図

ここで、明日の電車時刻が8時15分と確認して、切符を買っておく。
買う前に売場の前にあるベンチに座っていたら「そこずっと座っとらんでーや!」みたいに駅員さんに叱られた。
それでも切符は手に入ったし、明日のフィレンツェ行きも大丈夫そう、ということで今度は地下鉄に乗ってバチカン市国最寄り駅Ottavianoまで。

不穏ながらちょっと派手な地下鉄電車。

揺れのひどい地下鉄でどうにか、目的駅に着く。

バチカン市国入り口まで歩くが、なぜか市国の境は板塀だった。

そして、坂もきつい。

「車が多いですなあ」「いや全くですな」

美術館入り口は行列だった。

栗売りをみる。Piccolo43000とある。後で買おう、と通過。

城壁づたいにつらつら歩いていってなんとか中に入る。

検問等はない。神のおわします場所だから?

市国内はやっぱりこじんまりとした感じで、円形で、居心地良さそう。

衛兵に、スイスからの出稼ぎの方々を見た。

システィナ礼拝堂に入って大きな螺旋の階段をぐるぐる上っていくと、上に人が溜まっていた。チケット15000リラ。

まずはエジプトの彫刻やらミイラやら。次にギリシャ彫刻の数々。
ラオコーン像もあったがほこりだらけ。
中庭の真ん中にはイワヒバとアイリス?の噴水。
松ぼっくりと鳥。ブロンズ?

人が多い。団体が多く、波があるのでうまく避けながら前へ進む。
ガイドさんはこういうスカーフ等を棒の先につけひらひらさせながら案内している。

ゴブラン織と地図の廊下を抜けてラファエロの間へ。
誰それの礼拝堂という場所の隅っこで、お兄さんが壁画背景の修復をしていた。
タンポの軸に手を載せて、そっと小豆色の絵の具を乗せていた。

ラファエロの間で一番印象的だったのは、聖ペテロが牢から脱出?する壁画(聖ペテロの解放/放免)。真っ暗な獄に光り輝く天使様が助けに来なさる画が、暗い空間にほのかに光ってみえた。
アテネの学園は向かって左側に天井まで届く足場が組まれていて正面下側は覆いがしてあった。

アテネの学園(アテナイの学堂)

ボルゴの大火は、火より煙っぽい感じ。
どこも大掛かりな修復工事の真っ最中で(けっこうずっと修復中らしいが)、あちこちに工事のやぐらが組まれている。

やぐらの合間から、図録でおなじみだったあんな絵こんな絵が見えていて、感動しまくる。

そうこうするうち、Modernoの方に入っていた。
順不同。
J.Manzu 子羊のいけにえ付き杯がこわい。切られた喉からあふれる血が小粒ルビー。
G. Rouault ここで見るルオーには何故か透明感がある。照明の関係?
ルドンの虚無的でない作品がひとつ、フジタの白くない聖母子像がひとつ、ゴーギャン、ゴッホ、マティスの法衣、オットー・ディクス、アンソールなどなど。誰も1作2作程度だが、ありとあらゆるキリスト教関係の美術品が展示されている。
階段をとことこ下ると、どどーんとシスティナ礼拝堂が。書物を拡げる巨大な巫女の側から入る。人、ひとだらけ。ざわめきが堂内に満ち、時折カメラのフラッシュが見える。
「お静かに願います、堂内での撮影はご遠慮願います」みたいな伊語、英語、仏語、日本語のアナウンスが時々入る。
壁画は鮮やかで、横壁のカーテンもそこから漏れ入る光まで手描き。
座って見学などとんでもない人込みだった。
壁画はかなりの迫力で、しかも高尚な雰囲気というのが、さすがでした。

市国はもちろん自治国家なので、郵便局もちゃんとしている。

万国のうっかり者に捧げる標識も充実している。

カフェでお昼ごはん。パン、チーズ、ソーセージの盛り合わせ。ミネラルウォーター。けっこうしょっぱかったんだよ、これが……

博物館ぽい廊下を通りいったん外通路に出て、次にピナコテーカへ。
フラ・アンジェリコ。カラヴァッジョ、ダヴィンチなど。
ゴブラン織の最後の晩餐が良かった。フレスコ画も。空色がきれいで天使様が美しい。太鼓叩いたり何だかんだ演奏している天使様が好き。
クラナッハ、 ファン・デル・ウァイデンなども。

市国の外に出る。焼き栗を売っている屋台が多い、途中、一つ買い求めようとしたのだが店の人がいない様子。昼休みなのか? と店前をうろうろしていたら、遠くからおっさんがふたりくらい、大声で叫んでいたので、何ですか? と(英語で)聞いてみたが通じず、あっちに行け!と追い払うジェスチャー。そして十字を切っている。屋台荒らしの異邦人め!と思われたのだろうか、しかたなくその場を去る。うーん、残念。栗は気になるんだが!

一応、桜並木らしかった。

気を取り直してガイコツ寺として有名らしき場所を訪ねる。が、閉まっていた。ここも残念。

字体と矢印がお洒落

代わりにと言ってはなんだが、現代的ガイコツをみかける。

ボルケーゼ公園近くの国立近代美術館Galleria Nazionale d'Arte Modernaに入り、まったりと見回る。残されているのは切符のみだが、多分色々観た。
公園は地図で見た感じと全然違って、あんな立派な道路があろうとは!と驚く。街の中もそうだったが、交差点を渡るのが、慣れるまで結構怖かった。
そうそう公園は、そこはかとなく猫の●臭い場所もあったが、松木立が美しい場所だった。

チケットもとても素敵。

19:00頃出る。

今日の所はこれで良しとしてやろう、とふたりでようやくホテルに戻ると、オプショナルツアーのディナーどうしますか? と添乗員Tさんから聞かれて、
「ああ…テキトーにどこか探して食べるので結構ですよ」
と答えると、なんと
「実は、これから現地の友人と晩御飯を食べに行くんですが、どうですかご一緒に?」
とステキなお誘いを受けた。断らないはずがない。
住宅地を10分ほど歩いたレストランに。

添乗員Tさんに呼び出されてホテルまで来てくれたお友だちは、物腰柔らかな若い日本人男性で、ローマ市内で観光客相手にカメラマンや現地ガイドをしているというSさんという方だった。

はじめは、近くのイタリアンレストランにて夕飯(当時は出されたお店の食事を撮影するという習慣があまりなかったせいか、このへんの写真は残っていない)。
びっくりしたのが、頼んでから先にボーイさんがお盆にモッツァレラチーズのたっぷり入った皿を載せて早口でまくしたててやってきたことかな。
サービスなの? と私たちおのぼり組は思ったのだが、そこに添乗員Tさんはすかさず「のん! のん!」とあっさり断った。ボーイさんは特に気にした様子もなく去って行く。この時間にモッツァレラは結構胃にもたれるんですよ、好きだけど、とTさん。
後から聞くと、アンティパストでこちらもいかがですか(もち、有料だが)、という宣伝行為らしい。さすが旅のプロ。追い払い方も慣れたものだった。
ゴルゴンゾーラソースのフェットチーネ、カルボナーラ、羊のグリル、魚介盛り合わせ、おじさんの絵のついたビールをみんなでいただく。
テーブル担当の人はそのまんまスーパーマリオに相応しい方。歌ったり陽気に話しかけて来たり。お店の絵葉書もくれた。
4人で120000リラ。

夕食も済んでから、ホテルから少し離れたトラステヴェレTrastevere地区に美味しいピザ屋さんがあるというので、とりあえずまだ胃に余裕があるか分からなかったけど、のこのこついて行く。
土曜夜のトラステヴェレ。教会前の広場に若いモンが座っているかと思えば、小さな子供を連れて父親がてくてく歩いていたり、どこかで誰かがギター弾きながら「風に吹かれて」を歌っていたり。
教会の塔が白っぽいライトの中にぽっかりと浮かび、周りからは夜店のざわめきが聴こえる。風は冷た過ぎず、星が三つほど暗い空にかかっている。

入ったトラットリア、入り口にガラスケースがあって近海ものらしいお魚が並んでいた。鮮度はちょっと、どうだろ。テーブルは小さいが赤と白のギンガムチェックのテーブルクロスが普通っぽくていい。そして、客層もそんじょそこらの人たちだった。
TさんSさんが二枚ずつピザを頼むので、そんなに食べられるの?と訊いたら
「ここのは皮が薄くていくらでも食べられるよ!」と。
確かに、他の席を見てみるに、誰もが大きなピザを切りもせず、端から丸めて筒状にしてから恵方巻みたいに食べている。隣のおっさんはまるで仇に遭ったかのごとき食べっぷり。
注文のお品。皮がパリパリに薄くて、具もさすが本場ですね!的な美味しさ。確かに何枚でもいけそう。

カプリッツォ。生ハム、ゆで卵半分、オリーブ、ポルチーニ?

他にもオランダで以前みた「Nasi」と書いてあったチキンライスコロッケみたいのと、トマトレタスのサラダもいただく。生ハムとメロンも。
国際婦人デーの特別メニューなどもあった。ここでは50000。
TさんとSさんの身の上話やディープなイタリア界隈の話、旅で出あった面白い話題(Tさんの怪談が怖すぎて、帰ってから部屋の電気をつけたまま寝ました…)を楽しく聞きながら、とっぷりと夜はふけていったのでした。

ピザ屋の店先にて。

例えば、ローマでは路上駐車が一般的で、道端に二列縦隊で駐車しているのはよくある話。そしてサイドブレーキは引かずに停めておく(坂だったらどうなるのか、聞いたかも知れないが忘れた)。そして、自分の車を道路に出す時には前後、たまに横にドシドシとぶつけながら隙間を空けて出て行くのだそうな。

腹いっぱいの後で、三軒目ハシゴ。近くのバー。Sさん行きつけだって。
映画に出て来そうな、細長い店。

テーブルとカウンターとで価格が違うんだって

おのぼりな私ら二人ではとても入れなさそうな、地の飲み屋っぽさ。物売りが入って来たり、ひとり黙って飲む人いたり。
ここで締めのカプチーノ飲みながらさらに話が弾む。
最終的にホテルに戻ったのは23:00頃だった。

Sさんに、お世話になったお礼に帰ったら緑茶とかむこうのお菓子とか何か送りますよ、と言ったら、哀しそうな笑顔で
「いや、どうせ郵便物盗まれちゃうんで、お気を遣わなくていいですよ」
と。

そうなんだ……ドイツとか、日本とか、逆にちゃんと郵便届くのすごい。
と素直に思えましたよ。

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