野宮 鯛

散文家、散歩家。栃木県宇都宮市出身。徒歩で巡った青森〜鹿児島の記憶を書き溜め中。近日公…

野宮 鯛

散文家、散歩家。栃木県宇都宮市出身。徒歩で巡った青森〜鹿児島の記憶を書き溜め中。近日公開未定⁉︎プロフィール写真は鹿児島県阿久根市イワシビルの鯛焼き。

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もしも映画がなかったら

 最近は、せっせせっせと履歴書ばかり書いている。先日、大林宣彦監督作品「青春デンデケデケデケ」のちっくんよろしく、電気的啓示を受けてしまった僕は、四十代も半ばだというのに転職を決意した。  「履歴書を書く」といっても、近頃はスマートフォンの音声入力で自分の経歴や資格を読み上げていると、そのほとんどが出来上がる。思い描いていた以上の未来にびっくりしてしまう。そして、それ以上にびっくりするのは、昔ほど見なくなった今でさえ、履歴書に「映画」という文字を見つけるとニンマリしてしまう

    • 土曜午後五時、珈琲店

      「だって、あの頃って、世界が終わっちゃうって思ってたじゃない?」 「それ、可夏子さんだけだと思いますけど」 「そんなことないよ。みんな、心のどこかで何となく信じてたと思う。直人くんは小6だったから……」 「どうせ子供でしたー」 「すねない、すねない……でね、うちは兄が実家から大学に通ってたんだけど、映画ばっかり観てたの」 「それで映画好きが移ったんですか」 「そう。いつもレンタルビデオが家にあって、私はそれを拝借して」 「いいですね」 「うん。でも、借りて来る

      • 赤いベンチとアラン・スミシー ④

         七年ぶりの電話だというのに、古川さんは突然話し始めた。 「坪井くん、久しぶり。あの、会ったの…」 「誰に?」 「木野さん?」とどうしてか語尾を持ち上げた。  郷里の新聞社に就職した古川記者の話はこうだった。地元出身の監督が東京の映画祭でグランプリを受賞したということで、表彰式の取材に東京まで行った。そして、その映画祭を主催する出版社で監督に話を聞いたそうだ。その映画祭の事務局を取り仕切っているのが木野さんだった。 「へえ、木野さん、さすがだね」 「そう、でも、木

        • 赤いベンチとアラン・スミシー ③

           秋口になると、時々、プレハブに見慣れない女子がメモの時間に合わせてくるようになった。半端な時期の新入部員かと思ったが、彼女のことは誰も知らない。しばらくは一緒に映画を観ていたが、ある日、乗ってきた自転車から現役の高校生であることが分かった。噂に聞いて、窓からメモを盗み見ていたのだそうだ。  少し前から、木野さんのメモが学外に漏れている気配があった。レンタルビデオ店のラインナップが、僕らが観た映画を追うように変わったり、映研であることを学外で話すと秘密の上映会を羨ましがられ

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        もしも映画がなかったら

          赤いベンチとアラン・スミシー ②

          「落ち着いてきたね」  六月半ば、ミーティングの後、副会長が云った。参加者は七人だった。会長も「まあこんなもんでしょう。名前覚えられないし」と笑いながら返している。遅い春がやってきて、ゴールデンウィークの花見が終わると、参加するでもなく辞めるわけでもないユーレイが姿を現すようになった。ミーティングや鑑賞会への参加はしなくても何も云われなかったし、月五百円の会費で休憩室と荷物置き場ができてしまうので、会費を払いながら何となく便利に使っているという人が一定数いた。  僕はまだ

          赤いベンチとアラン・スミシー ②

          赤いベンチとアラン・スミシー ①

           「プレハブ」と呼ばれるその建物は、大学の敷地の一番端にあった。錆びたトタンが歴史を物語るその荒屋は、どちらかと云うとバラックと呼ぶのに相応しい。建物の中央を走る長い廊下は薄暗く、一番奥ははっきりとは見えない。今はサークル棟として使用されているが、もとは倉庫として作られたのだろうか。全部で十二ある部屋を分ける壁はどれも薄っぺらで、隣室の音も丸聞こえだった。どの部屋も入口は引き戸になっていて、ダイヤル式の南京錠がかけられていたが、肝心の留め具が壊れて意味を成していない部屋の方が

          赤いベンチとアラン・スミシー ①