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難聴の原因が希少疾患とわかって人工内耳になるまでの体験まとめ(10)

「はじめに」に書きましたが、過去に限定公開のブログやSNSに書いてきた難聴に関わる体験の記述を誰でも読めるところに公開しようと再編してこちらにのせています。10本目となりました。

補聴器をつくるの巻14

補聴器をつくってから半年がたち,調整をしてもらうために補聴器屋に行った.

耳鼻科で補聴器をつくっていただいた技能者さんは不在だったが,かわりに女性のスタッフの方に調整をしてもらった.

まずは使ってみた感触として,環境音はとれるようになったが,紙をめくる音や水道の音,コンビニ袋がさがさ音などが気になること,居酒屋やファミレスのような場所では周囲の音が人の声にかぶさって聞き取れないこと,全体的に声がこもって聞こえること,電源を入れるとざーと雑音もすることなどを伝えた.

補聴器を接続機器を介してPCにつないで専用のソフトでいろいろ調整をしてもらう.それを見ると,どんな状況で何時間使っているか,どんなモードでよくつかっているか,使用状況がわかってしまうのでやや恥ずかしいものがある.

結果,雑音カットの機能を上げてもらって,耳栓も別の種類にかえてもらった.いままでは周囲から音をひろう感じだったが,こんどは正面の音をよくひろう感じになるらしい.左右の人の声が聞き取りにくくなるかもしれないので,頭をそっちに向けた方がよいと.
その他,騒がしい場所用のモードが2つあって,言葉の理解を高めるモードと快適に聞き取るモードがあること,ボリュームを変えるボタンの上にあるボタンを押せばモードが手動で変わることを教えてもらった.

そして,調整した補聴器を付けて聴力検査をした.まだ音を出してないのに手を挙げてしまって,まだ音出してませんよみたいな情けない展開もあったが.新しい隙間の少ないタイプの耳栓のほうが若干成績がよかった.裸耳にくらべても低音部の成績が上がっていた.

そんな感じで30分ほどで調整がおわったのであるが,調整と耳栓は無料サービスということでたすかった.調整してくれた女性のスタッフの方もきさくな感じでで緊張せずにすんだし,声もはきはきと聞き取りやすい方だったのでよかった.

ということで,しばらくいろいろな場面でモードを手動で変えたりしながらまた引き続き使ってみることになったのだった.
2009年11月03日13:16

補聴器をつけた生活は続く。当時のSNSの日記には非常勤講師の仕事記録、笑点観覧日記、研究活動の記録がほとんど。それらにはあまり聞こえにくくでどう困ったっていう記述はほとんどない。唯一会ったのは下記くらいか。

心理療法勉強会

11月22日に某先生主催のとある心理療法勉強会に参加した。

今回は実践応用編で、9:30-16:30まで休憩を挟みつつ、5つのケースを1時間ずつ検討した。内容は詳しく書けないが、実際にどのように現場でつかわれているのかを学ぶことができた。自分は見学者なので検討中は聞いているだけである。

会場の席で、博士課程時代に先輩だった❇さんに偶然会ってびっくりした。北の大地からやって来たらしい。ソイカフェとかいう豆乳系の飲み物があるカフェでお昼ご一緒して当時の談義をする。

最後の全体的な質疑時間の時だけ見学者も質問ができる。この心理療法における認知の役割とか、コミュニケーション分析の基本的なやりかた(これは自分)とか、実施回数についてとかいろいろ活発に質問が出された。

主催先生に話しかけたくても、いろいろな人がひっきりなしに先生に話しかけてくるのでチャンスがなかなかない。会の終わりにようやくご挨拶をすることができた。
実は、見学者は参加者よりも少し離れた席から検討を聞くことになっているのだが、難聴なので参加者の近くに座れないか相談したところ、なんと先生の隣に座らせていただけたのだった。おかげで先生のコメントをよく聞き取ることができた。
配慮をいただいたことのお礼を申し上げて会場を後にした。

ケースカンファに参加するのは初めてだったが、辛口のコメントがあると事前にうかがっていたものの、そんなことはまったくなく、みんなでケースをよりよいものにしていこうという雰囲気が感じられ、建設的なやりとりだと思った。

この心理療法におけるセラピストとクライアントのやり取りとか、コミュニケーション分析のプロセスとか、臨床社会心理学の研究にもっていけそうな問題は多くある。
自分の研究につなげていきたいものである。
2009年11月24日22:35

2009年のライブイベント

毎年大晦日にはパーソナル10大ニュースを書いている。いくつか抜粋する。定職につけずにバイトの掛け持ち、それなのに補聴器は自費で心身とも追い込まれた生活だった。

1.身分が変わった.

研究生から研究員になりました.名前が変わっただけと思いきや,ボスから呈示される要求水準が高くなった.クリアできたのは今のところ半分くらいというところか.

2.補聴器をつけることになった.

低音部の感音性難聴と診断され,両耳に補聴器をつけることになりました.
難聴の人の聞こえにくさにもとづく問題が一般によく理解されていない現状がわかり,いろいろ思うところがあった.難聴者の臨床社会心理学的研究はいつか必ずやります.「自分がやらないで誰がやる」くらいの気持ちでいるところ.

3.医者にかかることが多かった.

難聴の他にも,インフル騒動,声がれなどと今年はお医者さんにかかることが多かった.信頼できる医師の先生方ににめぐりあえたことがラッキーでした.
(略)

5.落語をよく聞いた.

鈴本演芸場の正月興行ではじめて生で柳家小三治師匠の噺を最前列で聞いたのからはじまり,ホールでの落語会や寄席に行くようになりました.あとは,落語じゃないけど,「笑点」3週連続観覧もあって,歌丸師匠を間近で拝見することができたり.

6.非常勤講師の仕事が増えた.

前期は5コマ,後期にははじめて週10コマになりました.準備におわれて,徹夜明けで授業というシーンもあり,どうなることかと思ったがなんとかなった.1コマにかけられる時間や手間が少なくなる一方で,もっと工夫したいとも思うし,うまくなりたいとも思うし,悩みどころである.

(略)

9.就活が続いていた.

定職につきたくてもつけないということが,これほどまでに心身に影響するとは思わなかった.

10.研究報告をなんとかとぎらせなかった.

非常勤が増えたので,もうだめかと思ったが,なんとか学会発表を続けられました.
透明性の錯覚の研究をSPSP,育児ストレス研究を日心,Yahoo!知恵袋のログデータ内容分析を社心で報告しました.
2009年12月31日23:07


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