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ローカル滞在記。鞆の浦。

# 以下は鞆の浦(とものうら)の滞在後に、長田くんに宛てた手紙のようなレポートのようなテキストを少し加筆修正したものです。読みにくい箇所などすみません。

そもそも
なぜ自分が以下に筆っする事事(体験の構成要素)を考えるかというと、自分にとって体験とはなんだろう?いい時間というのはどうやって作られているのだろう?みたいな問いがあるからだと思います。

それが少し言語化されることで、自分も、または他者もいい時間を再生することが可能になる(または手掛かりになる)ことを期待している。

さて

友人の長田涼くんを訪ねて
広島県の鞆の浦に行ってきた。

彼は2年ほど前に東京から広島に移住して。
(いわゆる地方移住。)

彼のところには昨年の4月も訪問しているので人生で二度目。

前回の滞在と今回の滞在で
感じたいくつかをまとめておく。
何かのヒントや問いのきっかけになれば幸いなりけり。


滞在時間によって体験は大きく変わる


鞆の浦には昨年の春にも立ち寄らせてもらったので

1年経たぬうちに再訪問。
縁がある。

前回は瀬戸内の島に行く手前で立ち寄って
半日ほど。

今回は2泊3日。

この滞在時間の違いは結構な差分をつくったなぁと思う。

いつだか、キャンプ好きの友達が言い放った
「キャンプは3日目の朝がいいんだよ」
を思い出す。

ローカルを訪ね、
ローカルを浴びるのに最低でも
2泊は必要という気がする。

さらに今回のことで言うと
“3日間、友人と共に過ごす”
のもよかった。(ある種、合宿みたいな)

“まとまった時間の強度”を感じた。

人生にエフェクトするのに必要なぶんの塊。
分断されないひとまとまりの時間。
関係性のダイナミズムみたいなもの。
健全な交換の土壌になり得る、しっかりとした時間的ボリュームとして
72時間というのは強度がある。

「この強度はなんだろう?」
と、いうところに入っていきたい気もするが
時間の厚みによって変わる事々はまたそのうち考察するとして、、

ただ、実感として
半日や1日とは全く違った経験になっているという身体を伴った感覚がある。

このことは旅程や、体験、関係を考える上でひとつ面白い要素だなと思う。


インタープリター(接合する存在)が体験を大きく変える

「私が感じさせる」のではなくて、まずクライアントは一体どんな波長で何が好きなのか、どんな過去やどんな夢を持っているのか、そういったことをそれぞれリサーチしながら、その波長に合わせて、今ある自然のどの部分とインタープリットするのかを考えます。
私たちガイド業はインタープリターと言って、いわゆる自然との仲介をする役割を担います。
「インター」は「何かと何かの間」で、「プリット」は「のり」という意味ですが、つまり両方のマテリアルを知らないと、木工用ボンドでガラスはつかないのと一緒で、良いガイドはできません。
プロとして双方に必要な要素をその場でアナライズしながら繋げる作業をします。

『日常の奇跡』安藤誠

安藤さんは北海道を拠点に活躍するネイチャーガイドだけれど
ローカルにはインタプリットする人(インタープリター)の存在が
必要だなと切に思う。

近接する言葉に、
ファシリテーターや、ジェネレーター、コーディネーターなんてものがあるけれど
個人的には
インタープリットというのが一番言い得ていると感じる。

今回でいえば、長田くんがしっかりその役割を果たしてくれていて
(ほんとうにありがとう)
それによって
我々が、鞆の浦にいい角度で接続されて、存在することを可能にしてくれて。

おそらく口で言うほど簡単なことではなく
存在まるごとを投じて行うような部分がある。

単に技能や技術の話ではなくて
インタプリターの視座や感受や他者認識、自己認識がまるごと
効いてきてしまう。

この話
ローカルのことだけじゃなくて
新しい分野を学習する際や
何かの習慣を作りたいときにも応用可能だなと思う。

要は「誰に案内してもらうのか」が
体験をまるごと左右してしまうことを
了解しておきたい。

行く場所だけじゃなく
その場所にどうやって近づくのかで、
その場所のイメージはまるごと変わってしまう。

「鞆の浦がいいところだ」
というとき、実に多義的なことが含まれていて
それはほとんど
場所のみというより
体験を語っている場合のほうが多いのかもしれない。


ひとりの時間を持つこと


3日目の朝に1人で町をジョギングした。
ガイドのいない1人走り。
知らない町を走るのは楽しい。

走っていると
長田くんがいる時と随分違う。

目に入ってくるものは自分が視線を向けた景色だし
道も自分の思う方向に曲がって、曲がって。
自分の意思で決めたものを見たり知覚する。

その場所に詳しい人がいると
自分は随分預けているんだなと思う。

ひととおり案内してもらった後に
改めて自分の目で捉え直す鞆の浦は
新鮮で
穏やかで
静かだった

海風と日差しが気持ちよかった。

高台に登って眺めた景色が凪いでいた。

インタプリターに接続してもらうのと同じくらい
1人で町を知覚する時間は豊かだった。

町のことを好きになる時間だった。

インタープリターによるガイドの時間が「町に好感を持つ時間」だとすると
自分ひとりの足で町を歩く時間は、「町を好きになる時間」だったように思う。

インプレションなのか、
能動的な行為なのか

主体性がある場合は接続性が高まるんだろうと思う。


多少の迷惑(線を越える)


これは補足程度。

ローカルの話というより
関係性の話で、
今回は長田くんの家に泊めさせてもらったので
多少の迷惑というか
遠慮を跨いで
ある種(我々は)お世話になる、(長田くんは)お世話する
というところから
関係性が変化していくということがあるんだなと
思いました。

泊まると
共にする時間がシンプルに増えるしね。

まとめ


総じて2泊3日の鞆の浦滞在はとてもいい時間でした。
(ほんとうに)

ローカル、鞆の浦の可能性、
自分の暮らし、拠点を考える
人との関わりを考える
自分の営みを考える

鞆の浦に流れる時間に身を浸す。

普段と違う環境の中で
改めて自分の問いを見つめる。

次は仕事しながら
1週間ほど滞在してみたいな。

また暖かくなってきたら伺います。

平塚にもぜひ。
健全な負債をお返ししたい気持ち。

写真など

瀬戸内の海。車から


滞在中はよく長田くんの息子さんと遊ばせてもらった。Photo by my friend
手。Photo by my friend


藍染
藍染。藍屋テロワールにて
グラデーション
帰り道。
夕暮れ前に鳥たちが移動していた
長田くんの家の縁側の朝
縁側の朝2
鞆の浦
長田くん。ありそ楼にて
町歩き


ではでは
また書きます。


じゅん

お読みいただきありがとうございます!