生きてる偶然に感謝する。人生は、その繰り返しに過ぎない。
皆さん、こんにちは。
今日は「海の日」でしたね。
子どもにも分かるように説明すると、「海の日は、海にありがとうの気持ちを伝え、海に囲まれている日本がより豊かになりますようにとお願いする日」だそうです。
私は家族で、プールに出かけました。
程よく日焼けしました。足がヒリヒリです。
さて、先週はモデルやタレントとして活躍していたりゅうちぇるさんが亡くなるというショッキングなニュースがありました。
会社名が「ハピネス(幸せ)」に由来する弊社としてはこの話題は無視できず、社員でこの件についてディスカッションをしました。
今回の記事は、議論の内容や過去の体験などを踏まえて、私なりの「生きる」について書きたいと思います。
ちなみに、幸せに近いテーマで以下の記事も書いているので良かったら読んでもらえると嬉しいです。
生きる意味はあるのか
実は私も一度だけ「死にたい」と思ったことがあります。少し昔、独身の頃です。だけど、その時は死にませんでした。もう少し正直に言えば、死ぬ勇気がありませんでした。
簡単に「死ぬ」とは言えても、その行為を主体的に実行するにはものすごく勇気が必要です。私はその勇気が持てなかったことで、結果的に今ここに命があり、生きています。
「生きる意味なんてない」とよく聞きますが、私はその事実に対して、否定も肯定も必要ないと思っています。その感情をただ受容するだけでいい。生きる意味は湧いてくるものであって無理に作り出すものではないと思うからです。
命は与えられたもの
たしかに人生は自分らしく生きることの方が素敵なのかもしれません。私も仕事において主体的になることを推奨している立場です。
ただ、この世に生を享ける(命を授かる)とは自分の意志では不可能なことであり、両親や先祖あってのことです。それは与えられたものでしかありません。
なので、人生の全てを主体的に自分らしく生きることを、私自身は推奨しません。与えられた命は授かったものだと悟った方が、人生はずっと楽だと思っているからです。
ではなぜ、仕事に主体性を求めるか。それは、与えられたものではなく自らが選択したことだからです。命のように「授かったもの」ではありません。
仕事と人生は解けない紐のように複雑に絡まっていますが、間違いなく「同じ紐」ではありません。そもそものルーツ(出発点)が違っています。
100%の罠
創業したての頃に、とある自己啓発セミナーに参加しました。講師の方が「人生が全て思い通りにいくことを望む人は手を挙げてください」と聴衆に問いかけました。
100人ほどの会場で、おそらく私以外の全員が手を挙げたと思います。私はびっくりしました。周囲からも不思議な目で見られました。その光景が今も目に焼き付いています。
私は、当時から変わっていませんが、全てが自分の思い通りいく人生なんて望んでいません。というか、無理だと思っています。世界には、人間にはどうしてもコントロールできないことがあまりにも多いからです。
当時のセミナーでも同じことを言って「あなたはバカなの?」みたいな顔で見られました。苛立ちはありませんでしたが、とても寂しい気持ちになったことは覚えています。
全てが思い通りにいくと思えば、思い通りにいかなかった時、苛立ち、失望し、最悪の場合には「自らの命を断つ」という選択をするかもしれません。
私のようにそもそも思い通りにいかないと思えば、思い通りにいかなくてもなんとも思わないし、思い通りにいけば「ラッキーだな」って思えます。
人生はもっと「楽」に生きればいい。先日の社員とのディスカッションでも同じことを思いました。みんなで100%は否定しようって話にもなりました。
少し誤解を生んでいるかもしれませんが、目指すのはよしとしても、それが実現できると最初から想定することは、長期的には幸せではないと結論を出しました。
感謝をする毎日
うまくいくことが「たまたま」だと設定できれば、うまくいった時は「感謝」の心が自然と芽生えます。自分だけがラッキーを独り占めするのも申し訳ないので、誰かにラッキーをお裾分けすることも可能かもしれません。
私は、今生きていられることが「たまたま」だと思っています。これだけ世の中でたくさんの事故や事件が起きる中で、こうやって笑って生きていられることは奇跡です。そう思えば、足の日焼けのヒリヒリも生きてる実感に早変わりします。
自分が生きてる意味も、自分らしく生きる方法も、考えること自体はとても素敵なことだと思います。ただ、すべてをコントロールしようと思ったり、完璧な正解を導こうとするのは違うと私は思います。
生きてる偶然に感謝する。人生はその繰り返しに過ぎません。そこにはそんな大きな意味も必要ないし、大義を掲げる必要もない。
先の読めない人生を、楽しもう。
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