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動物のお医者さんになりたかった自分が真逆の仕事につくまで

人生とは本当に不思議だ。子供の頃から生き物が大好きで動物のお医者さんになりたかった僕が、それとは真逆の実験のために動物を犠牲にする仕事に就いている。子供の頃には、そんな仕事につくことは夢にも思わなかったし、そんな仕事の存在さえも知らなかった。それなのに、年とともにその仕事にのめり込み、没頭し、天職とさえ思えるようになった。

僕は子供の頃から生き物が大好きだった。そして近所には僕に輪をかけて生き物好きな幼馴染がいた。彼はそんじょそこらの生き物好きではない。生き物好きが高じて、自らで移動動物園を始めてしまったほどだ。子供の頃の身近な生き物と言えば昆虫だ。その幼馴染と僕はいつも日が暮れて真っ暗になるまで昆虫採集して遊んだ。帰ってこない僕たちを心配して、お互いの両親が探し回ることもよくあった。怒られても怒られても、昆虫採集の楽しさが勝り、暗くなるのを忘れて家に帰らず、また怒られた。そんな幼馴染の影響も受け、僕の生き物好きもどんどん大きくなっていった。いつも大好きな生き物と触れ合っていられる動物のお医者さんになることが夢となり、獣医になる大学に進学した。

ところが、大学に入り、いざ、本格的に獣医専門課程で学び始めると、どうもおかしい。獣医学の勉強は僕にとっては全然面白くなかった。退屈な講義が面白くないだけではなく、実際の動物と向き合った実習でさえ楽しくないのだ。子供のころから夢見てきた動物のお医者さんのはずなのに。

6年間一貫教育の獣医学科は、5年生から卒業研究に入る。当時、獣医学よりも音楽サークルと彼女とのデートをより重視していた僕は、できるだけ楽に卒論を作り上げ、さっさと卒業して適当に就職したいと思い始めていた。

僕も含めほぼ100%の獣医学生が、最初は動物のお医者さんになることを夢見て大学に入る。そして、その希望の通り3分の2以上の大多数の学生が卒業後、動物のお医者さんの道に進んでいった。
残り3分の1以下のマイノリティは、
1) 勉強が好きで博士課程や科学者の道に進み学問を究めたいか、
2) 変わり者で別の職業に就きたいか、
3) 怠け者で手っ取り早く就職口を見つけたいか、であった。
1990年代初期、時代はバブル景気末期。就職で苦労された方には申し訳ない話だが、当時は大学時代遊び呆けていても、大企業が喜んで新卒学生を受け入れてくれる時代だった。僕はマイノリティだ。僕が選んだのは、製薬会社に就職して、研究職に就くことだった。1)の学問を極めたくて研究職を選んだと言いたいところだが、実際はバブル景気もあって、簡単に手っ取り早く就職先が決められるからだった。面白みの感じられない獣医学をこれからも続けて動物のお医者さんになることもめんどくさく感じたからだった。ぶっちゃけ、マイノリティの中でも最低の3)の怠け者の選択だ。

ところが、当初はしぶしぶ始めた卒業研究で、できるだけ手を抜いて楽して終わらせようと目論んでいたはずが、いざやってみるとワクワク感がある。いままで飽き飽きしていた獣医学の講義や実習とは違う。卒業研究は何故かおもしろい。指導教授から大雑把なテーマは与えられる。しかし、実際の卒業研究は、自分で関連する論文を見つけてきて読み込み、それを参考にして自分の頭で考えて実験計画を立て、実際に実験を実施し、データを出す。出したデータからどんな新しいことが分かったかを考察する。この能動的で自由度のある活動が楽しい。うまく行った時の達成感がめちゃ気持ちいい。だんだん、学んでいる中で、自分にしっくり行くものと、行かないものがあることに気づいた。

動物のお医者さん、すなわち病気の動物を治療するには、膨大な知識と経験を積まなければならない。さらに人間の場合と違い、動物は症状を話してくれない。動物は積極的に協力して悪いところを見せてくれない。それどころか、こちらが悪いところを探そうとすればするほど、隠そうとする。そんな中で、一つ一つの症例と向き合い、じっくり観察して、自分の中に蓄えた膨大な知識から最善の選択肢を見つけて治療する。たくさんの曖昧さが存在する数値では割り切れない職人技の世界だ。残念ながら、気が短くて理屈で考えて結論を急ぐ僕にはぜんぜん向いていなかった。だから、授業を受けても、実習を経験してもしっくり行かなかったのだ。一方、卒業研究は、論理的に考えて実験を推し進め、得られる結果も数値で白黒はっきりする。せっかちで白黒はっきりさせることが好き、そして目標達成型の僕には、しっくり行くわけだ。生き物が大好きで、生き物に関わる仕事がしたいと言っても、その関わり方で、しっくり行くものと、行かないものがあることが何となく分かった。僕は、それが分かる以前に、何となくで製薬会社の研究職に就く道を選んでしまっていたが、その直感は実は正しかったのだ。

製薬会社で研究者となった僕の夢はさらに広がった。博士号を取って研究者として箔をつけたい。海外で働いてみたい。順風満々では全くない。でも、会社の恵まれた環境や周りの上司や先輩の応援もあって、それらの夢は一つずつ叶えられていった。その後、実際にアメリカに渡って、今年で20年となった。アメリカで様々なバックグランドを持つクセモノ研究者の仲間たちと協力し合い、時には激しいバトルをしながら新薬研究開発のプロジェクトを進めていくことがいつの間にか超楽しいものとなり、天職と感じるまでになってしまった。

生き物が大好きで獣医の大学入ったが、結果的に研究のために動物を犠牲にしなければならない真逆の仕事に就いてしまった。動物を犠牲にしなければならないことはとても申し訳ないが、意味のあるやりがいのある仕事に就けたと感謝している。



#私の仕事

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