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転職=人生が変わる瞬間

僕は変化が苦手で、失敗を恐れる内向型人間だ。若い頃はそんな自分が回りにばれてしまうことを恐れて、強がったり、尖ったりした。強がれば強がるほど、尖れば尖るほど、演じている自分と実際の自分とのギャップで、コンプレックスは大きくなり、ますます回りばかりを気にした。そんな僕がアメリカに渡って20年間で5度の転職をした。どの転職も自分の人生に衝撃を与え、人生が大きく変わった。変化の苦手な内向型人間にとって、転職は安全領域から自分自身を強制的にはじき飛ばす起爆剤だ。5度の転職が自分の人生に与えたインパクトは絶大だった。転職のたびに環境が変わり、人が変わり、そして考え方・生き方が変わる。僕にとっては、いずれの転職も人生が変わる瞬間だった。

アメリカでの5度の転職

2003年 2年の任期で日本の製薬会社からアメリカに赴任
    東京 → ニュージャージー → シカゴ
2005年 1回目の転職 アメリカ現地採用で別の日系製薬会社へ
    シカゴ → プリンストン(ニュージャージー)
2008年 2回目の転職 初めてのアメリカ製薬会社へ
    プリンストン(ニュージャージー) → ボストン
2010年 3回目の転職 別のアメリカビッグファーマへ
    ボストン → ロスアンゼルス
2021年 4回目の転職 スタートアップ会社へ
    ロスアンゼルス → ボストン
2023年 5回目の転職 再び大企業へ
    ボストン → サンフランシスコ

1. 短期赴任からアメリカ永住への挑戦に変わった1回目の転職

2003年、夢がかなって日本の製薬会社から2年間の任期でアメリカに派遣された。しかも、任期は1年延びて3年となった。本来なら感謝しなければならない境遇だ。でも、欲張りな僕は、もっと長くアメリカで働きたくなった。任期が近づく2005年、アメリカ現地採用のポジションを見つけて転職をした。運命的な出会いをした。過去に1度だけあったローズィ(ニックネーム)が僕を採用してくれ、上司となった。転職するとすぐにローズィは、僕にグリーンカードが取れるように会社と掛け合ってくれた。ローズィとの出会いがなかったら、こんなに長くアメリカにる人生にはならなかった。ローズィは人生の恩人であり、親ほどの年の差があるが、生涯の親友となった。この転職で、短期赴任からアメリカ永住への挑戦に生き方が変わった。

2. アメリカ企業への初挑戦となった2回目の転職

現地採用されたとはいえ、最初転職先は日系企業で日本とのやり取りが僕の仕事の一部だった。上司のローズィは僕をとても高く評価してくれた。でもそれは、僕が日本人で、日本の本社とのコミュニケーションが日本語で円滑に進むからだった。2年後に再び転職の機会が訪れた。アメリカ支社のプロジェクトが失敗に終わり、ローズィも僕もレイオフされてしまったのだ。否応なしに転職活動をする羽目となった。幸いにもすぐに転職先を見つけることができた。しかも今度は、純アメリカ企業だった。意気揚々とこれまでいたニュージャージーから転職先のあるボストンへ乗り込んだ。これまでもアメリカで働いていたが、日本に本社がある日系企業だ。2回目の転職で、純アメリカ企業で働く研究者に生き方が変わった。

今度の会社では日本語が話せることは役に立たない。純にサイエンティストとしての実力が試される。しかし、僕はこの大きな変化をなめていた。これまで上々の評価をもらっていたこと、転職もスムーズに進んだことから、これまでの働き方を続ければ十分通用するとなめてかかっていた。文化も政治も異なるアメリカ企業で、自分が変化することを怠った。

最初の半年間は何とかうまく行った。ところが、プロジェクトのことばかりに集中して、アメリカ企業の文化や政治を無視したツケが回ってきた。上司との人間関係が悪化した。その影響が次第に自分のパフォーマンスにも及び、ミスも連発した。最後は、クビ同然で、次の転職先も決まっていないまま、逃げるように会社を去る羽目になった。当初は、日系企業とは決別して、純アメリカ企業で生き抜いていくと調子に乗ってほざいていた。それだけに、2年に満たない期間で尻尾を巻いて逃げることになった自分が惨めだった。

3. アメリカ企業への再挑戦となった3回目の転職

半年間、失業状態が続いたが何とか転職先を見つけた。転職先は全従業員数が2万人以上に及ぶビッグファーマだった。転職に伴って東海岸のボストンから西海岸のロスアンゼルス郊外へ大陸を横断して大移動した。実は日本にいた頃からあこがれていた会社だった。転職最終インタヴューでロス郊外の会社を訪れた時、大学のような広いキャンパスに興奮した。ここで働きたい! もう一度、ここでアメリカ生き残りを挑戦しよう! 3回目の転職は、自信喪失した自分のアメリカ企業への再挑戦となった。

以前の会社で失敗した僕は、恐る恐るスタートを切った。前回の失敗を糧にプロジェクトだけにフォーカスせず、上司や同僚ともとても良好な人間関係を作ることができた。順風満帆という訳ではなかったが、次第にパフォーマンスも向上し、重要なプロジェクトを任されるようになった。結局11年間この会社で過ごし、その間、4人の素晴らしい上司とたくさんの良い同僚に巡り合えた。そしてたくさんの達成感を仲間とともに味わった。

4. スタートアップ会社で一発当てようと挑戦した4回目の転職

温かいカリフォルニアのビッグファーマで11年間過ごし、最後に担当したプロジェクトが大成功を収めた頃、スタートアップ会社への転職話が舞い込んだ。場所は、11年前、逃げるように去ったボストンだ。そのスタートアップ会社は、会社初の新薬を世に出そうとしていた。ちょうどプロジェクトが大成功に終わったところだった僕は、転職してもう一発当ててやろうとボストンへ帰ることにした。以前失敗したボストンへ戻ることは少し怖かった。でも、ワクワクが勝った。

スタートアップ会社では、ビッグファーマでは味わえなかった存在感、貢献感、重責感を大いに楽しんだ。ビッグファーマでは、どんな重要なプロジェクトを任されたとしても、それは100もあるプロジェクトのひとつに過ぎない。それに対して小さな会社では、自分の決断、行動、結果が、会社全体に大きなインパクトをもたらす。そのドラマチックな働き方を楽しんだ。思い切って転職して本当に良かったと実感した。

しかし、2023年に大きな転換点が訪れた。会社にとって最も重要な新薬プロジェクトが失敗に終わってしまったのだ。この会社でもう一発当ててやろうという僕の目論見は夢と散り、全社員の半分がレイオフされてしまった。大きな目標と大切な仲間を失った僕は、会社に残って再建を助けるより、転職して新たなゴールを求めることを選んだ。

5. 新たな分野に挑戦する5回目の転職

2023年も後半になってから進めた転職活動は、幸いにも、とてもうまく進んだ。僕は、自分の中のワクワクを基準に、これまでと大きく環境を変えたかった。転職先候補の中から、最も大きく環境が変わる会社を選んだ。これまで経験したことのないタイプの治療薬を開発する会社。場所はボストンから遠く離れた西海岸サンフランシスコ郊外のベイエリアだ。

これまで2年間働いたスタートアップ会社を、仲間を残して去るのには、罪悪感があった。でも、正直に自分の感情を話したら、皆分かってくれた。

2023年12月になって、ボストンからリモートで、新たな仕事を開始した。今年早々にサンフランシスコへ移ることになる。

5度の転職で分かったこと

環境の変化のインパクト

僕は日本にいる時から専門は一切変えていない。ところが、仕事への考え方、楽しさ、ワクワク感、充実感など、さまざまなことが、転職によって環境が変わり、一緒に働く仲間が変わることで、めちゃくちゃ変わった。全く同じ自分なのに、職種も同じで基本的な仕事は同じにもかかわらず、ある環境ではクビ同然で会社を去る落第者となり、別の環境ではプロジェクトを大成功に導くトップパフォーマーとして評価された。

これほど大きく自分が変わるとしたら、いくつかの環境に身を置いて、自分に合う環境を試してみないと、超もったいない。

人のインパクト

内向的な僕は親友と呼べる友達の数自体は少ない。でも、それぞれの会社で、力を合わせてプロジェクトを進めてきた同士とは、会社を去った後も、ずっと繋がりを持っている。何かの機会にコンタクトを取れば、一緒に戦っていた時のことを思い出してくれる。転職活動でリファレンスが必要となれば、喜んで協力してくれる。日本人の中でも内向的な僕が、世界の全く異なる国で、全く異なる文化や教育環境で育ったたくさんの人たちと繋がりを持てたのは奇跡的なこととも思える。5度の転職によりその数は膨大なものとなった。これらの人との繋がりが、僕の人生や価値観にとんでもなく大きなインパクトを与えたことは間違いない。

変化を実体験するインパクト

僕は今でも変化を苦手とする人間だ。ルーチンの早起き、朝活、運動、プロジェクトなどなど、いったん習慣化すれば、苦労せずに継続できる。一方、予期していない変化を前にすると固まってしまう。そんな僕でも、転職により大きな変化を何度も実体験し、振り返ってみると変化のもたらす絶大なポジティブインパクトは否が応でも認めざるを得ない。

その時点では大失敗と思われた転職にも、話の続きがある。もし、その失敗がなかったら、もしその失敗から重要な何かを学ぶ機会がなかったら、次の成功はなかったかもしれない。

転職は変化の苦手な自分が、変わり続ける人間であるために重要な役割を果たしてくれた。そして自分の信条となる価値観を植え付けてくれた。

変化は苦手でも、何とか変わり続けられる。
ワクワクしたら飛び込めばいい。いやになったら逃げればいい。
失敗しても、何か学べばそれでよし。


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