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会社員だからこそ実現できた大切なたくさんのこと  会社は自己実現のプラットフォーム

もう30年以上、会社員として生きてきた。会社に属さず、個人の力でやろうとしたら、到底できなかったであろう多くのことがある。会社に守られ、会社の力を借り、会社に乗っかったおかげで、それらを達成することができた。

会社員だったから達成できたこと

博士号

大学では6年制の獣医学科を卒業して最初の会社に入った。製薬会社で新薬の副作用を研究するトキシコロジストとなった。1浪したので、社会に出た時、すでに25歳だった。もし、大学院の博士課程まで進んだら、最低でもさらに4年を要する。社会に出る頃には、ほとんど20代が終わる。

恵まれた環境だった。時はバブル末期、大学で遊びほうけていた僕に、上司や先輩がゼロから仕事を叩きこんでくれた。上司や先輩も6年制の獣医大学や4年制大学+2年の大学院修士を経て、会社に入った人がほとんどだった。会社に入ってから博士号を取得したり、取得しようと頑張っている人がたくさんいた。そんな先輩や同僚にとても触発された。「僕も早く博士号を取って、夢の海外赴任を果たしたい!」

仕事を始めてから1年たった頃、上司に思い切って言ってみた。「僕も先輩たちのように博士号を取りたいので、応援してください」
言ってみたものの、僕はその後も具体的な行動をどう起こしてよいか分からなかった。そのままずるずる時だけが過ぎていきそうだった。

数か月経って、何も行動を起こせないまま、情熱も冷め始めた頃、突然上司から呼び出された。「明日、X大学のD教授のところに挨拶に行くから、スーツを着てくるように」
上司は研究所長に掛け合って、僕が博士号取得のための研究ができるように進めてくれていたのだ。

それから僕は職場で、会社の仕事と並行して、研究を進め、D教授の指導の下で論文博士号を取得することができた。給料をもらいながら、いっさい学費を払うことなく、博士号を取ることができたのだ。

会社に属し、会社・上司にサポートしてもらわずしては、到底不可能なことだった。会社そして上司を含めた周りで応援したくれた人たちにどんなに感謝をしてもし足りない。


アメリカへ赴任、そして永住

若い頃から、自分が生まれ育った環境とは異なった場所に身を置き、異なった人たちと働いてみたいという好奇心を強く持っていた。それでいて、怖がりで行動が起こせず、学生時代に自らで留学する勇気も根性もなかった。

そんな勇気も根性もない僕が夢を叶える手段が、会社にサポートしてもらって海外赴任することだった。若い頃から職場の希望調査では
「すぐにでも異動したい。第一希望:アメリカ、第二希望:ヨーロッパ」と書いて上司を困らせた。英語もまともに話せない時から。

37歳になってようやく夢がかなった。アメリカへ出向することになった。自力で留学するのとは異なり、会社がサポートしてくれる海外赴任は至れり尽くせりだ。海外への引越、家探し、ビザの手配、米国でのマイナンバー、運転免許証、銀行開設などの事務手続き、すべて会社が面倒を見てくれる。赴任直後に時差ボケの中、現地の日本人スタッフさんについて行ってもらい、マイナンバー登録や銀行開設手続きなどを、言われるがままにサインしたことを覚えている。会社のスタッフさんの助けを借りずにひとりで全てを行わなければならなかったら、ものすごい時間とエネルギーを消耗していただろう。

アメリカ赴任期間が終わりに近づく頃、アメリカにもっと居続けたい僕は別の会社に転職した。転職先で新たな就労ビザを発行してもらい、その間にグリーンカードのスポンサーにもなってもらい、夢のアメリカ永住を叶えたもらった。

アメリカに赴任し、その後、永住する夢は、会社員となり会社に属し、会社やそこで働く沢山の人にサポートしてもらえなかったら、到底実現できなかった。


アメリカ横断リロケーション

アメリカに移ってからもさまざまな場所に住むことができた。
ニュージャージー州プリンストン
イリノイ州シカゴ
マサチューセッツ州ボストン
カリフォルニア州ロスアンゼルス、そして来月サンフランシスコへ

アメリカは広い。場所ごとに気候も風土も文化も違う。僕のような内向的で殻に閉じこもりやすい人間が、アメリカのさまざまな場所に住めたのは、まさに会社員だったから。

転職をするごとに、転職先の会社が、新しい家探し、引っ越しなどを手厚くサポートして、早く仕事に専念できるようにしてくれる。家の購入や引越しの際には、膨大なドキュメントに目を通し、サインする。本当にすべてにじっくり目を通し、内容を完全に理解するなんて不可能だ。かといって、自分ひとりで見つけたブローカーを全面的に信じて、内容も確認しないままサインするのは超危険だ。会社のリロケーションサポートの後ろ盾があって、ようやく安心して手を抜くことができる。慣れないアメリカで、家を購入したり、アメリカを横断する引っ越しを何度もするなんて、会社に属し、サポートしてもらわずしては、到底不可能なことだった。


壮大なプロジェクトに関われる

僕の仕事は、製薬会社で新薬の安全性を研究するトキシコロジスト。他の分野のたくさんの研究者が、新薬の種を見つけ、効果を実証した後、ようやく僕の仕事が価値を持つ。僕のような内向的で人と接するのが苦手な人間が、画期的な新薬を世に出す壮大なプロジェクトに関われたのは、まさに会社員として、会社に属し、周りの優秀な同僚たちと切磋琢磨できたからだった。


会社を自己実現のプラットフォームとする

作家の橘玲さんは、働き方を1.0から5.0まで5段階でとても分かりやすく分類している。数字が大きくなるほど進んだ働き方だが、数字が大きくなるほど良いとか幸せという訳ではなさそうだ。最も進んだ働き方5.0は、機械がすべての仕事をやってくれて、人間は働かなくてよい。それは理想郷のようだが、働く目標を失った人間は本当に幸せなのか? 何の目的もなく、生かされているだけの牢獄のような反理想郷にもなりかれないと。だから数字が高くなればなるほど良いという訳ではないが、より多くの自由を持つことができるのは確かそうだ。

働き方1.0:年功序列・終身雇用の日本的雇用慣行
働き方2.0:成果主義に基づいたグローバルスタンダード
働き方3.0:プロジェクト単位でスペシャリストが離合集散するシリコンバ
     レー型
働き方4.0:フリーエージェント(ギグエコノミー)
働き方5.0:機械がすべての仕事を行なうユートピア/ディストピア

橘 玲 (著) 働き方2.0vs4.0 不条理な会社人生から自由になれる

これを見て、僕は日本で会社員となり、その後、アメリカに移ったことで、自分でも意図しないまま、「会社員」の立場、考え方が本当にラッキーな方向に変わっていったと感じた。

最初、メンバーシップ型雇用で日本の大企業に就職した。上司や先輩にゼロから仕事を教わり、専門性を身につけさせてもらった。働き方1.0で入って、働き方2.0になりつつあった。

身につけた専門性を武器にジョブ型雇用でアメリカの企業に転職した。働き方2.0に完全に移行した。

会社の中で、たくさんのプロジェクトに関わり、経験を積み、成果を出し、専門性を磨く。自分の専門性が活き、最大限にパフォーマンスが発揮できるプロジェクトに関われたら、とてもハッピーだ。ひとつの会社の中で自分の専門性に合うプロジェクトを渡り歩いてもいいし、魅力的なプロジェクトを持つ別の会社に転職してもいい。働き方3.0の状態だ。

あるいは、もう会社に所属せず、会社が持つプロジェクトと個人として契約を交わせば、働き方4.0のフリーエージェントとなってもよいかもしれない。ただ、僕の生きる新薬開発の分野では、壮大なプロジェクトが必要だ。壮大なプロジェクトに関わりたいなら、会社員として会社の元で働いた方がよい。だから働き方3.0の方が僕には合っている。

どの働き方が良いとか正しいではなく、自分に一番合った働き方はどれか?意識することが大切だと思う。

僕の人生には、会社員でよかったこと会社員だったからこそ実現できたことがいっぱいある。でも、それは、日本従来の「会社員」ではない。会社を自己実現のプラットフォームとして、その中で「会社員」となっていたから、実現できたのだった。


#会社員でよかったこと

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