見出し画像

コンプレックスを味方につける苦手克服のコツ

若い頃はコンプレックスの塊だった。
・コミュニケーションに自信がない。人前で話すのが苦手。
・要領が悪くて仕事が遅い。
・英語が苦手で外国人と議論するなんてもっての外。
こんな苦手意識を全て認めてしまったら、自分で自分に社会で生きてきいくのは無理と言い聞かせているようなものだ。だから、コンプレックスを持っていないふりをして強がった。しかし、コンプレックスから逃げて、真正面から向き合おうとしないと、つかみどころのない大きな影となって苦手意識がずっと消えずに潜在意識の中に残る。


コンプレックスが自分に大切なことを教えてくれる

苦手だったり、才能がないと自覚していても、自分にとって関心がないことにはコンプレックスは感じない。自分にとってどうでもよいことだったら上手くできなくたって腹も立たないはずだ。

コンプレックスを持つエリアには、気にしないようにしても、どうしても気になってしまう何かがある。何か自分にとって大切なことが関係している。何かワクワクする魅力が潜んでいる。そして、そのエリアに、あこがれの人がいる。嫉妬してしまう癪(しゃく)に障る嫌な奴がいる。なりたい自分の理想像がある。それらと現実の自分との間にギャップがあるから、コンプレックスを持つ。

コミュニケーションの達人になりたい。人前で堂々と話したい。
要領よくスラスラと仕事をこなす「できる人」になりたい。
自由に英語を操ってネイティブスピーカーと対等に活躍したい。
でも、それができないからコンプレックスを持つ。

他人と比較してしまうと、ますますコンプレックスは大きくなる。自分が苦手としていることを難なくこなしている人を見れば、自分の無能さを思い知る。

苦手意識が先行して、コンプレックスから逃げて、まともに向き合おうとしないと、漠然とした苦手の塊として、存在し続ける。その漠然とした苦手の塊に近づくこともできず、自尊心を減らす一方だ。

でも、コンプレックスと真正面から向き合ってみると違うものが見えてくる。どうして自分はコンプレックスを持つのだろう? それは自分が関心を持っていることだからだ。コンプレックスは、自分にとって大切なこと、気になって仕方がないことを教えてくれる。
僕にとって、
・人前で話す
・仕事をスムーズにこなす
・英語でグローバルに働く
は、いずれも超関心事だったのだ。


パターン分析で苦手の回りにある得意を見つける

コンプレックスを持つエリアが、自分が関心を持っていることだと考えを改めてみると、決して、全てが苦手で、大嫌いな訳ではない。まともに向き合わなかったから、近づこうともしなかったから、超巨大な苦手の塊に見えていた。ぼんやりと全てが苦手と見えていたのだ。しかし、超気になって仕方がない関心を持つエリアなのだから、苦手な部分はあるけど、実は好きなところ、得意なところがいっぱい隠れている。

人前で話すこと

僕は人前で話すのは苦手だと漠然と捉えていた。子供の頃は、普段はおしゃべりなくせに、学校の先生に、教室の前に立って皆の前で発表せよと指示されると、恥ずかしくて何も話せなくなった。まさに内弁慶だ。中学、高校、大学、社会人と進むにつれてマシにはなったが、ずっと人前で話すことすべてが苦手だと漠然としたコンプレックスを持ち続けた。

ところが、いつしか、それほど嫌ではない「人前で話す」があることに気づいた。それどころか、超気持ち良い大好きな「人前で話す」もあった。人前で話すと言っても、様々だ。自由に意見を言い合う議論から、あらかじめ話す人や内容が決まっているプレゼンまで様々だ。

トーストマスターズという自主運営の英語スピーチサークルに入ったことがある。ネイティブスピーカーから英語を母国語としない外国人までさまざまな人が英語のスピーチを向上させるために入っていた。毎週1回、1時間行われる。前半はスピーチプレゼンテーション。あらかじめ立候補した3~4人のスピーカーが、準備してきたスピーチを披露する。聞き手に回る他の参加者は、話し方、ゼスチャー、アイコンタクト、発音、文法などを評価して、スピーカーの中から1等賞を投票で決める。

後半は即興スピーチ。参加者の一人が出題者となり、どのようなことを、どのように話すかを考えてくる。他の参加者は、その場で課題を聞き、指名されたら、即興でスピーチしなければならない。日本語でさえ機転の利いたことが言えない僕にとって即興スピーチは超恐怖だった。出題されたゲームの意味さえ理解できないまま、何か話さなければならないこともあった。もちろん何度もしどろもどろになり、惨めな結末になった。ただし、サークルの精神にのっとり、うまくできなくても絶対にバカにされたりはしない。ただその場で恥ずかしい思いをするだけ。上手くいかなくたってハリツケになる訳でもないのに、いつも心臓はバクバクだった。

一方、事前準備できるスピーチは、とても得意だった。3~4人程度での競い合いだが、いつも一等賞に選ばれた。サークルを代表して地区大会にも挑戦させてもらった。あっけなく予選敗退したが。

仕事のプレゼンでもうれしいフィードバックをもらえることがあった。後輩の女性が、「Katsuのプレゼンは、複雑なことをとても分かりやすく説明してくれる。自分のためになるから、いつも聞くようにしているんだ」と言ってくれた。後輩の女性におだてられたから嬉しいというのも確かだが、自分の得意を気づかせてくれるフィードバックがそれ以上に嬉しかった。

人前で話すといってもさまざまなシチュエーションがある。それなのに全てを一緒くたにして人前で話すのは苦手と自分で自分にレッテルを張っていた。もったいないことだった。実は準備ができて、気持ちに余裕がありさえすれば、人前でプレゼンすることは大好きだったのだ。得意だったのだ。

それに対して即興スピーチや大勢でランダムに意見を出し合う議論などは未だ苦手だ。それでも自分の勝ちパターンが分かると手立てはたくさんあることに気づく。一見、即興のようなものでも、事前に予測して準備できることは結構ある。得意とまではならないが、苦手領域を少なくしていくことはできる。


苦手を逆手に取り、得意を作り上げる

仕事の進め方についても同じだ。しっかり向き合わないから仕事全体に漠然としたコンプレックスを持っていた。僕はアメリカで英語を使って働いている。大学までの教育はすべて日本で受け、留学経験もなく37歳になってようやくアメリカに渡った。英語は流ちょうに話せないし、読むのも遅い。アメリカで英語を使って仕事をしたら皆より遅いのは当たり前だと勝手なコンプレックスを抱いていた。

仕事の進め方

スポーツ競技のように英文を読むスピードだけを競ったら、アメリカ人には全然かなわない。でも、実際の仕事は、スポーツ競技とは違う。各々が自由に創意工夫して、目的とする成果を出せばよい。どこにどのように時間とエネルギーを使うかは自分次第だ。

英文をまともに読んでいくのは、アメリカ人にはかなわない。でも、英語を読むスピードと仕事をこなすスピードを一緒くたにする必要はない。英文資料をたくさん読めば読むほど、仕事の成果のクォリティが高まる訳でもない。

アメリカの大学を出た同僚と話すと、学生時代にものすごい量の専門書を読まされた苦労話を聞く。一方こちらは学生時代は大した勉強もしないまま、社会人になり大慌てで仕事を覚えた身だから、そんな話はバツが悪い。ところが、ものすごい量の英文書を読みまくり、知識を蓄えたはずのアメリカ人が、ピントのぼやけたアウトプットしかできなかったり、アウトプットまでに長い時間を要してしまうこともある。どうやら、読む量やスピードが劣るだけで、仕事全体にコンプレックスを持つ必要はなさそうだ。

英語が母国語でないからこそ、それを逆手にとって自分独自の得意を作ることができる。目の前に莫大な量の英文資料があり、それを参考にプロジェクトの成功戦略を立てるのが任務だとする。英文資料は、アメリカ人から見ても大変な量だ。でも彼らは何とか読み込むことができてしまう。一方、僕は、英文の量に簡単に圧倒される。だから、全体を読もうとする試みはあっけなく打ち砕かれる。代わりに核心に触れる最も重要な部分だけをピンポイントで見つけようとする「ズルい検索力」が磨かれる。莫大な量を処理することは簡単に諦め、核心に触れる部分だけをかいつまんで理解しようとする。核心に触れる部分だけに絞るため、雑多な情報がそぎ落とされて鮮明になる。すると、圧倒的な情報量を読み込み、情報の洪水に埋もれた挙句に作り上げられたピントのぼやけたアウトプットより、核心を突いたハイクオリティなアウトプットを作ることができる。しかし、それで調子に乗ってしまうと、失敗する。自分が核心部分だと思い込んで焦点を当てた部分以外に超重要な部分があり、それを見逃して痛い目に会う。また同じ痛い目に合うのはこりごりだから、次の機会には「ズルい検索力」をさらに磨く。そんなトライアンドエラーを繰り返しながら、「ズルい検索力」を自分の得意にしていくのだ。失敗のリスクはある。だが、自分には、莫大な量の英文を読み込んで根性で読むスピードを上げる鍛錬を積み重ねるより、ピンポイントで核心を突く重要部分を見つける「ズルい検索力」を身に着けることの方が合っていた。

ピンポイントで重要部分を見つける「ズルい検索力」を身に着けると更なる恩恵を受けることができる。核心だけをシンプルに持つことができるため、整理がしやすい。ひとつひとつの仕事・プロジェクトを飛び越えて、俯瞰して全体を見渡せる。一見、全く別の仕事と思われるものにも、核心同士に関連性があったりする。継続すれば、ひとつひとつの核心をバラバラに持つのではなく、体系化して、自分の超貴重な情報財産として保有することができる。構成のあいまいな長い長い文章から、要点を探すより、要点だけが整然と箇条書きにされている方が、より簡単に理解し、体系化できるイメージだ。

体系化できた情報財産を自分の中に持ち合わせていない人は、新しい仕事が来ると毎回ゼロからスタートすることになる。しかし、いくら新しい仕事と言っても、これまでの仕事の経験が全く利用できないケースはほとんどない。体系化された情報財産を持っていれば、新しい仕事が舞い込んできても、かなりの部分をハショることができる。10のステップが必要な仕事があるとすると、体系化できない人がステップ1から仕事をスタートするのに対して、ステップ5からスタートできるようなイメージだ。圧倒的に楽して早い仕事ができる。

英語をたくさん、早く読むことができないというだけで、アメリカ人より仕事が遅くて当然だとコンプレックスを持ってしまっていた。ところが、その苦手のおかげで、検索力、理解力、体系化力という別の能力を強めることができた。そして、英語を早くたくさん読むより、仕事の効率も質も上げることは十分可能なのだ。


得意と組み合わせて苦手克服

ずっと英語がうまくなりたかった。自由に英語を操り、外国人と議論できるようになりたかった。でも、自分には語学の才能がないとコンプレックスを持っていた。中学・高校の定期テストでの英語の点数はいつもよかった。決められた範囲内だけを勉強すればよいから何とかなった。でも、大学入試やTOEICテストでは、途端にもろさが明らかになった。実際に使える英語は何も身についてなかった。

英語の学習

語学の才能のない僕が、ちまたで王道とされているインプット中心の英語教材や英会話スクールを使っても期待できる効果は知れている。僕は、内向的で恥ずかしがり屋ながら、承認欲求は強く、どこかで目立ちたがり屋でもある、厄介な性格だ。この厄介な特性を逆手にとってアウトプット中心の英語力向上の戦略を考えた。

国語も苦手だとコンプレックスを持っていた。しかし、実は文章を書くのはかなり好きだと気づいた。だから、こうしてnoteの記事を楽しく書いている。仕事や研究で成果が出ると、承認欲求の強い僕は、それを一刻も早く形にしたい衝動に駆られる。形とは、報告書や論文にすることだ。それを英語で行えば、英語力向上の相乗効果が得られる。プライベートの時間を割いて英語教材を根性で学ぶのとは、モチベーションも効率も雲泥の差がある。仕事の一環として給料をもらいながら、しかも自分の承認欲求を満たしながら英文を書き、同時に英語力を向上できるのだ。

内向的でありながら、どこか目立ちたがり屋でもあるひねくれ者の僕は、前に書いたように実は人前でプレゼンすることは結構好きだ。しかも、日本で上手な英語のプレゼンをすれば、さらに目立つ。仕事では、グローバル会議で自分が英語でプレゼンする機会を積極的に作った。プライベートでは受け身で英会話を習うのではなく、プレゼンに特化した英語スクールで積極的にプレゼンして目立つ機会を作った。承認欲求の高い自分は、いったんプレゼンをする予定を作ってしまうと、何とかそれをうまくやり遂げて皆にチヤホヤされたい。だから、チヤホヤされることを目標として猛練習する。自分にはピッタリの英語力向上戦略だった。

僕にとって英語は、あくまで仕事をする上でのコミュニケーションのツールだ。英語の本質を突き詰める英語の先生や専門家になりたい訳ではない。自分のひねくれた性格を逆手に取ったアウトプット中心の英語学習で何とかコミュニケーションツールとしての英語を身に着け、20年以上アメリカで働いている。


コンプレックスは敵ではなく、味方だ

若い頃はコンプレックスを持ち、自分探しに苦しむが、年を取れば、悟りの境地に達するかのように誤解されそうだ。だが、実際はコンプレックスが消えることなどありえない。世の中の移り変わりが加速度的に早くなっている。ひとつのエリアでコンプレックスが消えても、新たなエリアでコンプレックスが現れる。自分の関心のあるエリアで理想と現実にギャップがある限り、コンプレックスはなくならない。逆に言うと、コンプレックスがまったくなくなったら、それは自分が熱くなれる関心事が全く無くなってしまったということもかもしれない。そう考えると、コンプレックスは、毛嫌いすべき敵ではなく、何が自分にとって大切なのかを教えてくれる味方だ。自分の中に潜むワクワクを教えてくれる仲間だ。

コンプレックスを味方につけ、しっかりと向き合えば、ぼんやりとしていた大きな苦手の塊が、実は少しの苦手とたくさんの得意やワクワクから構成されていたことに気づける。そこから得意とワクワクを広げていくことができると信じている。


#COMEMO ##苦手な仕事克服のコツ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?