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社会の二面モデルと多様な価値の包摂

小さな組織や集団よりも、それらを束ねているより大きな組織や集団に、高い価値があると私たちは考えてしまいがちです。また、思想や文化についても、より新しくて洗練されている方が、より良いものだと認識しがちです。

これが適切に当てはまる場合もありますが、それは特殊な状況かもしれません。

自分が関わっている組織や集団の各階層や、触れてきた思想や文化は、全てフラットに並んでおり、さらには自分自身の目標や欲求も、同列に並んでいるという見方をすることが、私たちにはできるはずです。それらの中から、何を優先するかは自分次第ですし、その優先度も状況に応じて変化させることができます。

こうした柔軟性は、個人のより良い生活や生き方にとって、重要であると私は考えています。そして、それが社会全体にもポジティブに作用するというメカニズムになっているとも考えています。

この記事では、こうした話題を掘り下げていきます。

■組織構造の誤解

多くの集団は、上位の集団の下に、複数の下位の集団が所属しているという組織構造を取っています。

例えば国の場合は、国の中に複数の県や州があり、その中に市や町があります。会社の場合は、例えば会社の中に複数の本部があり、各本部の中に複数の部があり、部の中に課が複数あります。多くの組織はこのような階層構造を取っています。

こうした組織の構造を意識し、より上位の組織に価値があり、下位の組織は価値が劣ると考えてしまう人がいます。しかし、それは誤解です。

上位の組織は、下位の組織を広く統括をしたり、より大きな方向性に組織全体を動かすため重要な役割を担う事は確かですし、通常は予算規模も上位の組織の方が大きくなります。しかし、それと価値の高低とは別の話です。

価値の高低とは、優先順位にもつながってきます。上位の組織から依頼されたことと、下位の組織から依頼されたことのどちらを優先するかという事を考えてみて下さい。組織構造を強く意識していると、上位の組織から依頼されたことの方を優先してしまうかもしれません。

しかし、本質的には依頼されたこと自体の優先度が重要です。上位の組織の立場から見ても、下位の組織の方の依頼の方が重要であれば、無理にそれよりも優先されることは望んでいないでしょう。

この事は、所属している組織の位置によって、人間の社会的な地位を計ってしまうという事にもつながります。組織構造を強く意識してしまう人は、必然的に人と人の価値にも高低があると考えてしまいがちです。

■個人から見た組織

この視点を元に、個人から見た組織について考えてみます。このイメージを図1に示します。同じ組織構造に対して、組織の上下関係が価値の高低を決めるという捉え方をする人もいますが、フラットに捉えることもできるという事を示しています。

図1 組織構造に対する価値構造の捉え方

組織構造を強く意識する人は、自分の上に所属組織があり、その上に上位組織があり、それが一番上の組織まで階層的になっているというイメージを持つでしょう。同様に、自分の家族という集団がいて、その上位に地域社会があり、さらにその上位に市町村、そして州や県があり、その上に国家があるという階層構造として捉えます。

この考えでは、会社の上層部の命令を絶対と考えたり、国家が最も重要な組織であるという考えを持ちます。

一方で、組織の価値には高低がないという視点からは、全ての組織はフラットです。直接所属している組織も、その上の組織も、最上位の組織も、個人から見ればフラットな関係です。家族、地域社会、市町村、州や県、国家も、それぞれ個人からフラットにつながっています。

そして、この視点からは、その本人自身という単位も、これらの組織や集団と並列なフラットな位置にいます。つまり、自分自身の目標や要望と、各集団や組織からの要請を、フラットに評価することができるという精神状態を持つことができます。

上位組織からの依頼を必ずしも優先する必要が無いように、自分自身の目標や要望をないがしろにして、組織の命令に服従する必要はありません。フラットな視点から、より重要と考えるものを優先すれば良いのです。

体調がとても悪いのに会社の仕事をするといったことや、逆に個人のちょっとした都合で重要な仕事を投げ出すといったバランスの悪い優先度のつけ方ではなく、フラットに評価して、重要な物事を優先することが、健全な姿です。

■権限と優先度

もちろん、組織やコミュニティにはある程度の権限が与えられており、人事的な評価や法律などで個人に制限をかけることができます。このため、フラットに捉えているとしても、その権限によって優先度をコントロールされる可能性はあります。

ただし、現代はそうした権限を必要最低限にしか行使しない運営が求められており、組織の権限に対する制限が課せられています。

政府であれば憲法や三権分立、政治家であれば選挙やマスメディアや市民団体による監視といった形で、理不尽な権力濫用が起こらないような仕組みが考えられてきました。大企業であっても労働基準法、同族経営からの脱却、社外取締役や外部監査、労働組合、マスメディアや消費者団体の監視といった形で一部の役員が不当に権力を行使できないようになってきています。

こうした状況にも関わらず、各個人が組織やコミュニティの階層構造を強く意識した価値構造を持ってしまうと、実質的な価値に関わらず上位組織からの要望を絶対視してしまう事になります。これは個人にとっても望ましくありませんが、実質的な価値を伴わない目標や価値を優先してしまう事による無駄や機会損失が生じるため、組織やコミュニティにとっても望ましくない状況です。

■社会の二面モデル

目標や要望を持つ個人も組織も、組織的な構造とは無関係に、価値の面からはフラットに捉えるという視点は、社会を二面モデルで捉えることができることを意味します。これを図2に示します。

図2 社会の二面モデル

一つの面は、目標や要望を持つ個人や集団が並んでいる面です。この中に会社や部署、家族や市町村や国、そして個人がフラットに並んでいます。こちらは本質面と呼ぶことにします。

もう一方の面は、これらの目標や要請を受けて実際に活動を行う個人が並んでいる面です。こちらの面の個人は、本質の面にいる自分自身とつながっていますが、その他に組織や手段ともつながっています。そして、本質面から目標や要望を受け、自分の時間や能力や価値観に応じて選択的に貢献をします。こちらを実存面と呼ぶことにします。

図をイメージすると、本質面には、個人や組織や集団が点のように並んでいます。そして、実存面には個人が点のように並んでいます。それぞれの点は、他方の面の上にある複数の点とつながっています。

本質面の組織や集団は、具体的な会社やコミュニティに限定されません。特定の文化や信念を持った人たちの集団も含まれます。

こうした集団は具体的に組織活動を行っているわけではないかもしれません。しかし、その文化や信念は目標や要望を個人へ提示し、個人はそれに応えて貢献するという、組織やコミュニティと同質の構図があります。

■個人の二面性

人間とは何か、私とは何か、幸福とは何かといった哲学的な事を考える時、人によって様々な見解の違いがあるでしょう。その違いの原因となる大きな要因が、社会の二面モデルから見えてきます。

社会の二面モデルにおいて、個人は本質の面にも、実存の面にも存在する二面的な存在です。

ここで、本質面の個人を重視する立場と、本質面の組織や集団を重視する立場、そして実存面の個人を重視する立場があります。

あるいは、それらの組み合わせとして捉える立場もあるでしょう。

本質面の個人を重視するのは、個人主義や無政府主義のような考え方になるでしょう。組織や集団の目標や要望は最小限しか受け入れず、本人の目標や要望を最大限重視すべきだという立場です。

本質面の集団や組織を重視するのは、コミュニズムや社会主義のような考え方になります。その中でも特定の組織として国家を重視すれば、国粋主義に近づくでしょう。

実存面の個人を重視するのは、その名の通り実存主義の考え方になるでしょう。個人は本質面の複数の集団や組織と関与していますが、その場面や状況に応じてどれを重視するかは個人の選択であり、その意思決定を重視する立場です。

■二人の事例

社会の二面モデルは、社会や組織の複雑さを理解することにも役立ちますが、より狭い範囲の人間関係においても上手く当てはまります。

例えば無人島でAさんとBさんの2人だけで暮らすことになれば、そこには最小の社会があると言えるでしょう。

二面モデルで捉えると、実存面にはAとBがいます。そして本質面にはAとBに加えて、AとBが所属するコミュニティCの3つがあります。

2人が個人主義であれば、コミュニティCには生存に必要な最低限の役割しかなく、目標や要請は最小限になります。

ただし、生存のために多くの協力が必要であれば、やむを得ずコミュニティCは多くの目標や要請を2人に出すことになります。

これは個人主義である2人にストレスを与えますが、生存のためにやむを得ないと判断せざるを得ないでしょう。

もし、Aは個人主義で、Bがコミュニティを重視する立場の場合、厄介なことになるでしょう。Bは生存に必要な最小限のことよりも多くの役割をCに持たせようとします。しかしそれはAの意思に反します。

この状況もお互いにストレスを与えますが、先程とは違って不満の矛先が無人島という状況ではなく、相手の性格や価値観に向かいます。

ここでAが実存主義的な考え方であれば、AはBの性格や考え方に応じて、個人AとコミュニティCの、バランスを取ろうとするでしょう。

BがコミュニティCに多くの役割を持たせようとするなら、それに合わせてコミュニティCを重視します。BがコミュニティCは最小限であるべきだと考えるなら、Aも特にはコミュニティCを重視しません。

このAの柔軟な考え方は、妥協や主体性のなさに見えるかもしれません。しかしAは自らのストレスや不満を最小化し、得られるものを最大化することを重視する確固とした立場を取っています。そのため、必要であれば喜んで個人的な欲求を我慢したり、コミュニティへ期待することを諦めたりすることができます。

このAの振る舞いは、A自身の不満やストレスを減らして満足度を高めると同時に、Bの不満やストレスを減らして満足度を高める事にもなります。Bが個人主義であってもコミュニティを重視していても、Aがこの立場から振る舞うことで、この二人の社会は最適な状態へと近づきます。

■さいごに:価値観の多様性の包摂

2人が本質面を重視する立場を取る場合、どの本質を重視するかにズレがあると、ストレスや不満が大きくなるという事です。

一方で、この事例分析で特に興味深い点は、2人のうち片方だけでも実存面を重視すれば、ストレスや不満が抑えられ、得られるものが大きくなるという事です。この、片方だけで良いという点が重要です。

片方が実存面を重視することの効果により、2人の価値観が一致しなくても、最適な社会を実現できるという事です。これは社会が多様な価値観を包摂できる余地があるという事を意味します。それと同時に、ある程度の割合で、実存面を重視することが必要であるという事も意味します。

先程の事例では、各自が完全に何れかの思想を重視しているという単純な前提を置いていましたが、通常は一人の個人の中でも複数の思想が濃淡を伴って内在しています。これらの中に、2人合わせて一定の割合の実存面を重視する考えがあれば、2人の社会は上手く調和を目指せるでしょう。

実存の重視は、本質面にある様々な組織や集団、そして自分自身の目標や要望の中から、個人が自分自身の最良の生活や人生を目指して選択をしていくことを意味します。

この個人の真摯な幸福の追求がある程度の割合で重視されると、同時に、個人毎に異なる多様な本質の追求を、社会が包摂できる事も意味します。


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