イデアと無常のシステム:サイバネティクスの視点
私は生命や知能について個人的に思索を行っています。その中で、フィードバックループや自己組織化するシステムという視点も取り入れてきました。Neo-Cyberneticsというコミュニティに声をかけてもらったことをきっかけに、私の考えていることがサイバネティクスという分野に当てはまる事に気がつきました。
サイバネティクスは、複合的な概念で、人によって定義も異なっているようです。しかし、構造を持ち動的に変化するシステムを研究対象とするという共通性があります。
この記事では、私なりに考えたサイバネティクスという分野の、科学の中での位置づけを提示したいと思います。
まず、サイバネティクスが対象としている構造を持つ動的なシステムというものの位置づけを考えていきます。このために、西洋のイデア論と東洋の無常観の話から、私たちが世界を捉える際の視点として、時間と空間のスケールの重要性を説明します。このスケールが、構造を持つ動的なシステムの土台になるためです。
科学はこのスケールを広げたり狭めたりして、その裾野を広げてきましたが、サイバネティクスはそのアプローチを取りません。その点が、これまでの科学のアプローチとの違いです。人間スケールの世界に存在する本質を探究する科学であることが、私が考えるサイバネティクスの最も重要な特徴です。
では、以下詳しく説明していきます。
■イデア論と無常観
イデア論は、ギリシアの哲学者プラトンの理論で、アイデアの語源になった言葉です。現実に存在する物事の型のようなものが形而上に絶対不変のものとして存在するという考えです。例えば現実のリンゴは大きさも形も微妙に異なりますが、それをどれもリンゴだと私たちが認識できるのは、それらの型であるリンゴのイデアを認識しているためだ、という考え方です。
無常観は、物事に永遠はなく、全ては変化するという東洋的な思想を示しています。
イデア論と無常観は、一見、相容れない関係に見えるかもしれませんし、物事をとらえる時に使い分けるものに思えるかもしれません。しかし私は、無常として変化する物事が、イデアという型に収まったり、そこから出て行ったりするという様子を思い浮かべています。そう考えれば、どちらの考え方も採用することができます。
一見、変化せず止まっているように見える物でも、微視的に見れば熱振動していますし、さらに量子の世界まで微細化すれば、位置も状態も確率分布であり不確定です。また時間を巨視化すれば、風化しますし、さらに考えるとやがてはエントロピーの増大による均質化へと向かいます。
しかし、この事は逆に言えば、ある空間スケールと時間スケールで捉えれば、全ての物事は変化せず一定の状態や性質を持つという事です。
■システムの適切な空間と時間のスケール
様々な変化は、それぞれ、異なる空間と時間スケールを持ちます。その事に目を向けると、興味深いことに気が付きます。
前提とする空間スケールと時間スケールを誤れば、全てが変化する無常に見えるかもしれません。あるいは、全てが全く変化せず、動的な振る舞いを一切しないようなものに見えるでしょう。
けれど、適切な空間スケールと時間スケールの中では、物事に不変の部分と変化する部分が現れます。これは、構造を持つ動的なシステムです。このシステムは、不変の構造と、変化する動作を併せ持つ仕組みです。
静的な構造は、その空間スケールと時間スケールの中では変化しないものとして捉えることができます。同時に、動的に変化する部分も存在します。空間スケールと時間スケールを適切に設定することで、こうした構造を持つ動的なシステムを浮かび上がらせることができます。
例えば、太陽と地球は、構造を持つ動的なシステムです。太陽、地球、そしてその間の関係は、時間のスケールを極端に長くすれば、一瞬で現れて一瞬でなくなるように見えるかもしれません。しかし、私たちが観察するような時間のスケールでは、これらは不変です。一方で、地球が太陽の周りを回るという変化は、私たちは季節の移り変わりとして認識することができます。しかし、もしも私たちの寿命が1分しかなければ、地球の公転という変化に気がつかなかったかもしれません。
同じように、宇宙全体を外から眺めるようなマクロな視点からは、銀河を小さな粒として認識できる程度で、太陽系の仕組みには気づかないでしょう。原子単位のミクロな視点からは、他の変化が多すぎて、全体として地球の公転は認識できないでしょう。
■誤差と変質
あるスケールで不変の構造に見えるものでも、分子の熱振動や量子の確率分布のように常に僅かな変化をしています。また、同じ種類のもの、つまり同じイデアを持っているとみなすことができる物事でも、一つ一つのものは少しずつ差異があります。
では、どのくらいの変化、あるいは差異であれば、不変の構造や同じイデアを持っていると見なせるのでしょうか。0.1%くらいであれば誤差の範囲内で、10%であれば変質したと考えるべきでしょうか。
これを決める一つの観点は、構造を持つシステムの観点です。不変の構造を前提として認識されたシステムにおいて、その構造が変質するほどの変化や差異でなければ、それは誤差の範囲内です。しかし、変化や差異が大きく、システムにおける不変の構造の範囲を越えれば、それは誤差の範囲を超え、変質を意味します。
地球の大きさは厳密には膨張したり縮小したりするでしょう。公転の軌道も少しずつ変化しているはずです。しかし、地球が太陽の周りを公転しているという関係にあるシステムが崩れなければ、このシステムにおいてこれらの変化は誤差の範囲です。しかし、何かの衝撃で地球の軌道が太陽の周りを公転しなくなければ、それは誤差ではなく変質です。同時にその時に、火星や水星といった太陽系の惑星というイデアに、地球が当てはまらなくなります。その意味でも、変質です。
■本質を理解する時の姿勢
物事の本質を理解しようとして、人は思考します。この時に、例えば時間スケールを極大化して、全ては変化し、今存在しているものは何も残らないという点に焦点を当ててしまうと、全ての物事に意味がないという結論を導いてしまうかもしれません。
あるいは、時間をほとんど止めて、今ある物が変化なくすべて存在し続けるような、イデア論のような捉え方をすると、変化を見落とす危険もあります。
また、空間を巨視的に捉えて宇宙から見たら人間や地球などちっぽけなものだと考えたり、微視的に捉えて全ては単なる原子の集合であったり量子的な波動方程式の合成に過ぎないという冷めた見方をしたりすることもあります。
視点のスケールを超長期、静止、極大、極小といった極端に変化させるというアプローチを取る事は、科学的な意味はありますが、物事の本質を理解しようとする時には不適切かもしれません。
物事の本質を理解する時、その物事に適した時間と空間のスケールで思考するべきです。量子の本質を理解するなら量子のスケールで、宇宙の本質を理解するなら宇宙のスケールで思考するというのは、当たり前の事です。
従って、人生や社会に関わる物事を考える時に、私たちが立脚すべきは、あくまで人間スケールの時間と空間であるはずです。明確な理由や目的を持たずに、闇雲にスケールを変化させるアプローチは、物事の本質から目を背ける事と同じことです。
適切な時間と空間のスケールの上に立てば、そのスケールにおいて、構造を持つ動的なシステムが見つかるはずです。そのシステムを分析し、そこにある誤差を含んだ静的の構造と、動的な振る舞いといった要素に分解していくことが、適切なアプローチです。この時、要素を分解するために時間と空間のスケールを操作しては意味がありません。スケールを固定したままで分解できる要素を見つけていく必要があります。
これらの要素とシステムは、スケールを変えてしまうと消えてしまいます。このため、一見すると普遍的ではなく恣意的なものに思えるかもしれません。しかし、前提とするスケールを明確にした上であれば、他の人が観察したり検証を行っても再現可能です。従って、それは、間違いなく合理的であり、科学的なアプローチです。
■サイバネティクスの人間中心の視点
サイバネティクスの視点は、まさにこの構造を持つ動的なシステムに焦点を当てます。そして、出発点は人間スケールの時間と空間のスケールです。そのスケールを中心に、私たち自身や社会を構造を持つ動的なシステムとして捉えていきます。スケールを移動させるときも、人間や社会と同様の性質を持つシステムとして扱える範囲までに留めます。その範囲を超えたところに、探している本質は存在しないためです。
サイバネティクスがこうした姿勢を取っている事は、フィードバックループや自己組織化といったシステム的な概念を重視している事や、物理、化学、生物、知能、社会といったスケールと複雑度が異なるものを、並置して扱う学際的な視点を持っていることから明らかです。
そしてサイバネティクスの出発点が人間スケールであることは、道徳や倫理の話ではなく、科学的な意味において、人間中心の視点を持っているということを意味します。
科学的に本質を追求する時に、私たちはつい、スケールを極端に変化させることで、未知の領域を探ることに意識を向けてしまいます。私たちが直感的に認識や観察ができるスケールには、もうあまり科学的な探求の余地はなく、そして、そこには私たちが求めている本質、つまり生命や知性とは何か、あるいはその目的は何か、を見つけることができなかったという意識があるためではないかと思われます。
この意識があるため、ミクロの世界にその答えがあると考えてみたり、マクロな世界から見れば意味が見通せるのではないかと考えてしまったりするのかもしれません。もちろん、スケールを変える事は単なる探求心であったり、技術の発展のためという側面の方が大きいとは思います。一方で、一部にはそうした期待が込められていることも事実でしょう。
しかし、本当にそうした本質を見つけるためには、人間のスケールを中心に据える必要があります。ミクロやマクロなど、端の方に答えや意味を探しに行っても見つかりません。
サイバネティクスは視点を人間スケールに定めたまま、そこに本質を見つける科学です。少し詩的な表現をすれば、ミクロとマクロの中央、つまり、私たちが見慣れていて十分に探したと思い込んでいる人間中心のスケールにいるはずの、青い鳥を探す旅なのです。
■創発現象とパラダイムシフト
ここで、少し個人的な意見を述べます。
要素還元や創発現象という言葉がありますが、私はあまりこれらの話題を好みません。これらは、物事の本質が、小さなものが組み合わさって大きなものの本質が現れるはずだという認識に寄りかかりすぎています。創発現象は、それに当てはまらない現象がある、ということを言っていることになりますが、それはあくまで要素還元が基本にあり、それに当てはまらない例外のような扱いとして創発現象という話をしているように思えるためです。
空間と時間のスケールを適切に設定するというアプローチから言えば、スケールを変化させるような要素分解をすること自体がそもそも筋の悪いアプローチであり、その筋の悪い要素に分解したものが、組み立てた時に元のスケールの現象が説明できないことは、当たり前です。それを創発現象というのは、本末転倒です。
要素に分解して物事を理解しやすくするのであれば、スケールは固定したまま、アスペクトを変化させるべきです。太陽と地球を理解する時、時間や空間スケールは変えずに、幾何学的なアスペクト、ニュートン力学のアスペクト、エネルギーや熱力学のアスペクト、太陽風などの電磁波や物質のやり取りのアスペクトなど、多様な観点から眺めることで、そこに新しい要素が加わっていきます。
要素還元は、スケールを微細化することで要素の数を減らすアプローチですが、それはシンプルな物事であれば機能するかもしれません。しかし、良く考えて見れば知識の数を減らしているわけですから、複雑な物事を理解できないのは当然でしょう。それよりも、アスペクトを増やしていき、知識を広げることが、複雑な物事の本質に近づく道であるはずなのです。
アスペクトと似た言葉に、パラダイムという言葉があります。この言葉は個人的な好みで言えば好きな言葉です。しかし、パラダイムシフトという表現は、私は好みません。パラダイムシフトという表現は、新しいパラダイムが発見されると、既存のパラダイムよりも価値が高いというニュアンスを含んでいます。
実際には、パラダイムは道具に過ぎません。問題に対して適切なパラダイムを選択することが適切なアプローチです。ハンマーを発明したからと言って、ドライバーやノコギリからシフトすることはありませんし、顕微鏡を買っても虫眼鏡を捨てる必要はありません。新しいパラダイムも、そういったものだと思います。
ニュートン力学よりも、量子力学や相対性理論が、より真実に近いというような理解をしているような言説を見かけますが、それは大きな誤解であると私は考えます。量子のスケールで理解するためのパラダイムが量子力学であり、宇宙のスケールで理解するためのパラダイムが相対性理論であり、私たちの直観できるスケールで理解するための最適なパラダイムは、相変わらずニュートン力学です。また、ニュートン力学では難しい部分は、流体力学や熱力学や電磁気学などになりますが、これはスケールを変えずにアスペクトを変えて理解を増やすためのアプローチの好例です。
この意味で、それぞれの物理学のパラダイムに優劣はなく、それぞれが道具箱を充実させているに過ぎません。サイバネティクスはあまり普及している分野とは言えないかもしれませんが、ますます社会も技術も複雑化していく中で、多くの人がその道具箱に入れておくべき重要な道具になるべきだと私は信じています。
■さいごに
サイバネティクスの中身の話は、不勉強なため私にはできません。その代わりに、その底流を流れている視点について考えてみました。そこには、構造を持つ動的システムと人間中心のスケールという視点があります。
そうしたシステムの分析は、分析者によって恣意的にスケールや要素が選択されるため、普遍性と再現性を求める科学にはフィットしない部分もあります。しかし、それらのシステムに共通の性質や構造、法則やメカニズムはやはり存在し、それを取り出して議論することは間違いなく科学的です。
適切なスケールの視点から普遍に見える構造をイデアとして捉え、そこに現れる変化を無常として観察します。この時、対象を捉えるために十分なアスペクトからこれらを把握する必要があります。建築物を図面に描くとき、上から見た図だけではなく、横から見た図面も必要です。また、外観の図だけでなく輪切りにした断面図や、中の配管や配線に焦点を当てた図も必要です。これと同じように、様々な対象を把握する時、一つのアスペクトですべてを把握することはできません。また、対象を把握するために無関係なスケールで捉えることも、本質から目を逸らしてしまいます。その建物を建てる国の全土の地図は、建物の図面には適さないでしょう。
生命や知性や社会について把握する時にも、スケールを固定して、必要なアスペクトからの理解をそろえていく必要があるはずです。アスペクトを固定して、様々なスケールに共通する法則を理解する学問とは、対照的なアプローチが必要なのです。この意味で、サイバネティクスは人間中心のスケールと学際的な視点を特徴とするアプローチに、その特徴の本質があると私は考えているのです。
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