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【初投稿】元・日テレ報道キャスターが教育にピボットするまでの歩み

訪問いただきありがとうございます、加藤聡と申します。

2008年にアナウンサーとして入社した日本テレビを、2023年10月に退社しました。今後は「教育」「公共(行政・NPOなど)」の領域で活動していきたいと考えています。

テレビ報道、教育NPO、個人としての活動・・・自分の歩みを、問題意識と取り組みの変遷=「問い・ストーリー」と名付けることにしました(笑)。

今回は、ファーストキャリアである日テレ時代にフォーカスします。


キャリア概観(日テレ、NPOカタリバ、個人活動)

まずは、これまでのキャリア全体像をかいつまんでご紹介します。

日テレでは、アナウンサー、番組リポーター、記者、ディレクター、番組プロデューサー、デジタル担当デスク、キャスターなど、様々な立場で報道に携わってきました。

3-4年のスパンで“社内ピボット”

日本最大の教育NPOカタリバでは、

  • 「全国高校生マイプロジェクトアワード」MC:探究に取り組む高校生たちが学び合う“学びの祭典”

  • 「ルールメイキング」動画教材の制作ディレクション:校則など身近なルールを対話を通じて見直す取り組み

  • 広報部にて動画制作(ビデオグラファー):事業紹介ムービー制作やハイブリッド型イベントの配信オペレーション

などに取り組んできました。

個人としては、「メディアリテラシー」講師や、キャリア教育・探究学習などのキーワードでの講演、成長著しいインドネシアの教育現場の視察などを行ってきました。

出会いの連鎖で多くのご縁に恵まれてきました

1つの問いに対するアクションが次の問いにつながり、さらに新たな問いやご縁が生まれる・・問いが連鎖する「問い・ストーリー」です。

では、どんな問いをたて、何に取り組み、それがどう変遷してきたのか。出発点である日テレでの歩みから振り返ります。

「好き・得意・問い」が重なった、アナウンサーという仕事

そもそも、なぜ日本テレビにアナウンサーとして入社したのか?
好き×得意×問い、3つの判断軸が交わる仕事として興味を持ったのが動機でした。

3つが交わる仕事としてアナウンサーに

様々なジャンルの番組で、その道のプロ・当事者と向き合う。新たな価値観や多くの現場を経験できる、自分の「好き」に合致しています。

また、塾講師アルバイトやサークル活動などの経験から、プレゼンテーション・ファシリテーションが「得意」な気がしていました。

と同時に、テレビ報道のあり方に違和感を抱いていました

自分が育った時代は「失われた20年(いまや30年)」「社会に閉塞感が充満している」などと言われ続けてきました。
その一方で、テレビの「報道番組」は、時間帯によってはグルメや動物など、エンタメ色が目立ちます。

“静かな有事”が進行している社会において、テレビ報道が果たせる役割は、もっとあるのではないか?

テレビが変われば、社会は良くなるのではないか?

そんな思いから、「テレビ報道の現場では、いったい何が起きているのだろうか」知りたくなりました。この「問い」が、スタートラインでした。

現場ではどんな取材をしているのか?(アナウンサー時代の新たな問い)

報道スタジオにて(2009年に撮影)

まず、アナウンサー時代。
記者が書いたニュース原稿を分かりやすく伝える役割を担う中で、
「スタジオに原稿が届くまでに、現場ではどんな取材活動が行われているのだろう?」との思いを強くし、「news every.」の現場リポーターに。

政治はどのように動いているのか?(リポーター時代の新たな問い)

たぶん桜の開花ニュースを取材中(2013年4月)

2010年の夏〜2014年末まで、4年半にわたる「news every.」リポーター時代。
東日本大震災を含め、災害や事件・事故などの“発生事案”を中心に現場を駆け回って取材する中で、「世の中で発生する森羅万象に対して、社会のルールはどのように形作られているのだろう?」との関心を強め、政治記者を志願しました。

デジタルに可能性があるのでは?(政治記者時代の新たな問い)

左:トランプ大統領の別荘マールアラーゴ、右:ホワイトハウス(2017年2月日米首脳会談)

2015年〜2019年7月、政治部の記者・ディレクター時代。
自民党・首相官邸・防衛省(自衛隊)の取材を通じて、遠い存在だった永田町の息遣いを感じる日々でした。そんな中で、社会に浮上したSDGsというキーワード。
「視聴者の関心がまだ大きくないテーマ、地上波で企画するのは難しくとも、デジタル領域なら取り組めるのではないか?」との思いで、デジタルにコンテンツを発信する部署へ異動しました。

ニュース専門チャンネル日テレNEWS24の番組「the SOCIAL」スタジオにて

2019年8月。社会起業家などをスタジオに招く「the SOCIAL」という番組の2代目プロデューサーに就任しました。CS放送と同時にインターネットにも生配信する、インターネット対応型番組です。

就任直後に取り組んだSDGsキャンペーン報道は、環境省「グッドライフアワード」で表彰いただきました。なお、着任時点で企画の実施は既定路線だったので、僕の手柄ではありません。

そんな中で、人類が直面したコロナ禍。
社会のあらゆる場面でデジタル化が加速する中で、「放送とデジタルを両輪としたテレビ報道」が、喫緊の課題となりました。人・モノ・予算が集まり、遅れていたデジタル施作を推進しました。

先輩の代打がきっかけでキャスターを担当

そして、チャンスが巡ってきた討論番組のキャスター業務。
BS日テレ「深層NEWS」で、安全保障やコロナ、経済や政治など様々なテーマで、地上波よりも深い議論を、専門家や当事者に対して生取材・ファシリテーションを担当しました。

「鶏と卵の関係」ゆえに、テレビから“越境”

このように、多様な立場でテレビ報道に携わる中で感じたのが、「テレビと視聴者は“鶏と卵”の関係」という構造です。

当たり前の現実を深く理解していきました

テレビがつくるから、視聴者が見る。
視聴者が見るから、テレビがつくる。

この相互依存関係の中で、テレビ放送のコンテンツは形作られていく。
皆さんも、思い当たる節があるのではないでしょうか。

であれば・・・出発点の“問い”「テレビが変われば、社会は良くなる」という仮説は、テレビ「だけ」では動かし難いことを痛感していきました。

そこで芽生えた、新たな思い。

「テレビと視聴者が共にアップデートすることで、社会は変わっていく」

そして、テレビを“越境”していくことになります。
その舞台は、教育NPOカタリバと、個人としての活動でした。

次回の“問いストーリー”へ続く・・↓


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