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【維新】足立議員と【立憲】小西議員が共闘するワケは?

今回は、とても面白いコンテンツに立ち会うことができましたので、
そのご紹介と、雑感を述べていきたいと思います。

上記にリンクが貼ってある通り、3/11に日本維新の会の国会議員の足立康史氏がスペースを行いました。

足立議員がスペースを行うことは決して珍しくはなく、毎回ではないながらも、たまに覗くこともある私ですが、今回は特に、注目に値するスペースでしたので、食い入るように、楽しませていただきました。

「小西文書」が今回のトピック

細かな内容については、上記のリンクからスペースの録音をお聞きいただければと思いますが、今回のテーマは、いわゆる「小西文書」です。

盛んにテレビ報道などもなされ、今最もヒートアップしている政治話題であると言えます。
これに対して、ネットの反応としては、小西議員が悪いとか、高市大臣が悪いとか、さながら代理戦争のような形で様々な主張が私としても、政治に対して特別詳しいわけではございませんので、細かな見解をここで記載することは控えたいと思いますが、ネットの様々な反応を見ていると特に感じるのが、「党派性」というものです。

「党派性」によって論点が分かりにくくなっている

党派性とは、「主義・主張などが特定の党派かたよっていること」を意味する言葉で、砕けた言葉で言うと「ポジジョントーク」とも言って、仲間の政治家には甘く、敵対する政治家には厳しくというように、物事の是非を党派という尺度によって判断することです。

ネットで政治的な主張をなさる方は、それぞれ善意や想いがあって、主張をなさっているのだと思いますが、それが結果的に、議論の本質を分かりにくくするということは珍しくないと思います。

犬猿の仲の二人が共闘?

さて、本題に戻りますが、最初にご紹介したスペースはただのスペースではなく、まさに、党派性にまみれたネット空間においては革新的とも言える、素晴らしい営みであったのです。

記事のタイトルもあるように、維新の足立議員と、立憲の小西議員がコラボしたのです。
両議員は、今回の「小西文書」の問題についても、盛んに情報発信を行っていますが、足立議員と小西議員と言えば、党派という立場においては敵対状態にもあり、意見の相違が見られることもしばしばです。

しかし今回の問題においては、両議員は「共闘」関係にもあり、足立議員は小西議員に「がんばれ」とまでツイートをしています。

こういったツイートを見て驚いた方も多いようで、元々足立議員に親和的な人とすれば、敵対しているはずの小西議員に「がんばれ」と言うのは、タブーと言いますか、なんでそんなことをするのと考える方も多いようです。

そんな中で、冒頭でご紹介したスペースでのコラボレーションが、急遽行われることとなったようです。

論点は二つ

スペースの細かな内容は割愛しますが、両者は「共闘」をしているとはいっても、この問題の全てにおいて、考えが同じというわけではありませんでした。

話は実にシンプルで、まず論点が二つあり、その片方の論点については両氏の見解は一致しており、もう一つの論点については見解が異なっているというのが、最終的な私の認識です。

つまり、全てにおいては両者に一致は見られず、考えの違いがありますが、部分的には考えが共通している部分があるので、今回は一時的な共闘関係にあるということです。

公文書管理(プロセス論)については一致

まず、共通している部分についてですが、それは公文書管理についてです。
公文書管理といっても、そんな難しい話ではありません。

要は、今回の高市大臣の対応が、プロセス論としてはまずいという意味で、両者は一致しているということです。

公文書管理を民間の一般的な仕事になぞらえれば、会議の議事録であるとか、ドキュメントであるとかを、適切に管理するということです。
そのためには作成者であるとか、作成日時であるとかを、しっかり管理する必要があります。

ここでは、公文書管理について細かな言及は避けますが、かなり要約すれば、今回問題になっている「放送法の解釈」という「結論」が出るにあたっての「プロセス」について、両議員共に問題視しているということになります。

高市大臣が電話で話していた(とされる)内容の是非はさておき、それに関連する公文書の管理であるとか、結論が出るまでの「過程」の部分において問題があるということです。

ちなみに、両議員共に官僚経験者であり、まさに実務で公文書管理に付随することにも精通しているからこそ、「放送法の解釈」に関する政策論は異なりつつも、そのプロセスを問題視するという意味では一致が見られたということだと思います。

放送法の見解(政策論)については不一致

公文書管理というプロセス論については一致していると書きましたが、放送法に関する政策論については両者の見解は一致しないということが、なによりも重要です。

放送法についても、細かな政策論への言及を避けますが、
かなり要約すれば、仮に、公文書管理というプロセスについての問題認識が一致していたとしても、政策論については一致しているとは限らないということです。

公文書管理とは、政策づくりのための方法論です。
よりよい政策を作るためにも、適切な公文書管理が必要になるのです。
かなりざっくり言えば、会社の会議で議事録を取りましょう、という点においては両者は一致していると言えます。

しかし、会議の内容については、見解は異なるため、必ずしも立場は一致しないということです。

公文書管理とはすなわち、政策立案の「お作法」や「マナー」のようなもので、互いに、マナーを守って政策立案が進むことには考えの一致があるわけですが、政策の中身については、必ずしも考えが一致しないということは、決して珍しいことではないのです。

今回の「共闘」は「日常的な営み」である

なんなら、我々が日常において普通にやっている営みを、政治家という「職業」の人たちが、国会という「職場」において、淡々と進めているのみであって、今回の足立議員と小西議員の「共闘」ないしは、今回のコラボレーションで行われたやり取りは、ある意味では日常的なことなのです。

それを、有権者の我々とすれば「新鮮」であると感じるほどに、これまで我が国では、こういった「営み」が、有権者の目には届きにくかったということかと思います。
「政治家にとっての日常は、有権者にとっての非日常」ということに尽きると思います。

この「党派性」を超越したやり取りが「日常的」なのだとすれば、対話は難しいとされるツイッター上の言論空間においても、「対話は不可能ではない」と、私の見解を最後に添えまして、記事を終えたいと思います。

ありがとうございました。


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