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【短編小説】父はピエロだった。

「人前でこの仮面を外してしまったんだ。それが多分、いけなかった。だから、お父さんはずっとこの仮面をつけてないといけなくなったんだ。」
 いつぞやの父の言葉を思い出した。あの時の父の顔は私の記憶の中で唯一、悲しそうにしている顔だった。父はあの時、何を私に伝えたかったのだろうか。その本意を確かめようにもその言葉の主はもう何も話さない。今、私たちの目の前で父は静かに目を閉じて横になっている。末期癌でお医者さんもどうしようもなかったらしい。それでも最後の最後まで、父は誰に対してもニコニコ笑いピエロの仮面をつけて、自分の役を貫き通していた。それだからだろうか、お坊さんの念仏に混じって啜り泣く声と小さな笑い声が聞こえてくる。本来なら非常識なのだろうが、父もその方が嬉しいだろうという周りの空気感のせいで誰もそれを止めることはしなかった。私がちっとも泣けなかったのは、きっと笑う大人達がまるでこの葬式が父にとって喜劇のフィナーレであるかのような雰囲気を醸し出していたからなのだろう。
 父は私が小さい頃からずっと、あの仮面をしていた。
プラスチックで出来た派手な装飾のピエロの仮面。風呂に入る時や寝るときはさすがに外していたけれど、それ以外の時は四六時中その仮面を被り誰にでもニコニコしていた。父が職務質問を受けるのを私は何度目にしただろうか。
 私はこの仮面を家に残しておくつもりなんかない。この仮面を形見になんかしない、したくない。私の父のピエロとしての役割は終わり、それは何処かに移りゆくのではなく、父と共に死んでしまったのだ。私は何としてでもこの仮面を壊さないといけなかった。
 父を入れた棺桶が霊柩車に乗せられ、出棺のクラクションがなった。母は大きな涙を流しながら父の茶碗を地面に叩きつけた。今しかない。そう思って私は父の仮面を真っ二つに割った。その瞬間、周りの人達は一斉に私の方を見てヒソヒソと何かを話し合っていた。
 ああ、しまった。火葬の時に一緒に入れた方がよかったかもしれない。これじゃあまるで
私が父の仕事を継ぐ決心をしたみたいじゃないか。

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