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【かんがえること】 第1回 三浦宗晃の語ることについて考えること 

廣木響平の考えること


初回からやばい人を呼んでしまった…、と思いながら話を聞いていた。三浦さんは僕らがやろうとしてることをすでに成し遂げているのだ。彼が手がけた今の下北沢を歩いてみれば、そこには僕らが目指していた、「本がフック」となる世界すらも拡がっている。

初回からいきなり答えを突きつけられてしまった。

あげく「図書館をリフレーミングする」なんて言い始めてしまい、リフレーミングの意味がわからない私はフレーミング・リップス?(*1)などと思いながら、何も答えられないでいた。
しかも、「妄想から実装」までやると言うではないか。あなたが夢をそのまま現実に出来たことはありますか?私は残念ながらありません。

でも、人々に愛されるまちをつくるとか、ちょっとそれよりも狭まるけれども図書館をつくるとか、一番理想なのは独りよがりではない誰かの夢が実装される、そういうことなのだと思う。

さて実は下北沢には図書館が無い。のだが、2022年3月末に図書館カウンターという予約受取のための区立図書館サテライト施設が出来る。実はこの開設準備に私も関わらせてもらった。そのために朝から晩まで下北沢を歩いていたのだが、そこかしこに三浦さんの痕跡があるように思えてならなかった。

図書館の必要が無いくらい文化が溢れるまちに図書館未満の施設が出来る。でも、そのきっかけにより、本の引力が生まれ、下北沢を歩く若者たちがちゃんとした図書館を利用してくれたら、なんて「妄想」を考えながら、三浦さんの話を思い出す。

*1
1983年結成のアメリカはオクラホマ州のロックバンドで初期はオルタナティブな割と激しい音づくりながらもポップなメロディも残しつつ、90年代後半からはどちらかというとサイケでドリーミングな楽曲により人気を博し、コロナ発生後も演者も観客も一人一人が等身大の風船の中に入るというライブをやってのけたバンド

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染谷拓郎の考えること


ハクモクレンが好きだ。

とりわけ、おおきな白い花びらを咲かす前、モフモフとした産毛に包まれた殻を割ってニョキニョキと這い出てくる時期がとにかく愛おしい。街路樹のハクモクレンにそのモフモフを見つけると春がきたと感じる。ああよかった、寒い冬はこれで終わりなのだ。

ハクモクレンはわかりやすい例だが、「ほら、今、咲いてますよ!」という状況よりも「あの、そろそろ花咲かせていいすか」という控えめな予感や「これから何かが始まりそうだ」という淡い期待に対して、僕は言いようもなくワクワクする。

そうした瞬間ばかりを求める人は「ローンチ中毒」という立派な病気にかかっているのだが、今回の「図書館について語るときに我々の語ること」のはじまりにもそれを感じていた。

その一回目のゲストはとても重要である。

まったく初対面ではないこと。企画・空間・設計といった事業領域の人。なにより、話を聞いてみたい人。という基準で考えて、三浦宗晃さんの顔がパッと浮かんできた。

三浦さんは株式会社UDSでプロデューサーをしている。UDSはマイクロ・コンプレックスを作らせたら天下一品な企業である。マイクロ・コンプレックスとは、小さなコミュニティや機能・サービスをひとつの施設のなかで提供すること。最小単位の複合施設。三浦さんが手がけているプロジェクトは必ず多面体になる。教育施設であり住居、商業施設であり溜まり場、といった具合に、一つの場所に多数の視点が宿ることを意識的に設置している。

対談中、三浦さんは「図書館をリフレーミングしてみるといい」とおっしゃっていた。これはこの企画の真ん中をついていて、もはやこの言葉だけで企画がクローズしてしまうのでは?くらいの発言だ。さすがに一回で終わるわけにはいかない。三浦さんにはちょっと謹んでもらいたい。

なぜ「リフレーミング」が大切なのかを考える前提として、「フレーミング」から考えてみる。フレームとは枠組みのことなので、フレーミングとはその対象のどこを切り取るかを決めることである。大自然を前にカメラで写真を撮るとき、このあたりかな?と手を動かして写真を撮っている。それがフレーミングである。

つまりこの企画は、カメラを首から下げた僕と廣木さんが、ゲストのお話を聞いたあとに「こっちの風景もいいですね」とか「この角度最高」とか言いながら図書館を見直すことなのだ。図書館とはこんな場所、こんな使い方、こんな役割という「当たり前」を、まっさらな視点で捉え直していく。

三浦さんのにこやかで落ち着いたトーンのお話に背を押されながら、プロジェクトがゆっくりと動き出した。