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常に若い感性に触れることのできる環境に感謝

時々感じること。っていうか、結構な頻度で感じること。
大学教員として20歳前後の若者たちの成長をサポートする仕事をしていると、当たり前だけど、日常的に接するのはその年代の若者たち。
しかも、毎春には送り出して迎え入れるの繰り返しだから、相手の年代は全く変わらない。だから、ついつい錯覚してしまうけど、自分だけは着実に歳を重ねているw

今の学部が開設されて16年目にもなるので、年代が同じとはいえ、雰囲気や傾向みたいなものの変化は当然ある。その一方で、当然ながら変わらない部分もある。だから僕らは、その変わらない部分を大事に育みながら、変化に対して試行錯誤を繰り返しながら対応していく必要があると思っている。

実践重視の学部だし、生きのいい元気な学生が多いので、大変なことも多々ある。
礼儀やマナーという面での当たり前を知らずにここまで来たケースやそれができないケース、若さゆえの何か勘違いした言動でトラブルを引き起こすケースをはじめ、ほんとに色々と。次から次に。設立当初はほんとにそんな感じだった。だから、本来の自分とはある意味違う自分を演じることを自分自身に強要していた部分もあったと思う。そして、テンションの上がった状態をキープすることに必死だったりもした。もはや、なにが自然なのかどうかも分からなくなるくらいに。
だけど、何年もかけて、ある程度のことを一通り経験したくらいのタイミングで、僕自身にもある種の余裕が生まれ、捉え方にも変化が。
そうなってくると、違う意味で楽しくなってくる感じ。
おそらく、30代中盤から40代中盤にかけて、新学部の設立から運営に至るドタバタ劇だけでなく、それと同時並行で様々な刺激的な経験ができたからこそ至った境地、みたいなものも影響していると思うけど。

その後さらなる変化が。
4-5年前、おそらく遠矢さんとの何気ない会話がきっかけで、スッと肩の力が抜けて、「あっ、自然体でいいや」って思えた瞬間があり、そこからは様々なものごとの捉え方も変わったし、何より学生に対する接し方というか、学生の言動に対する受け取り方みたいなものが変化した。
それは、意図的な部分もあるし、自然とそうなったっていう部分もある。

そんな今だからこそ、歳を重ねた今だからこそ、若い感性に触れる瞬間が楽しくてしょうがない。もちろん大事にしてもらいたい部分ができてないときは、イラっとすることも多少はあるけど、昔ほどの感情の起伏はないし、それよりも、日々のディスカッションにおける学生たちの反応や、活動をともにした際の言動などを興味深く観察するような感覚になってきている気がするから。
あーそんなふうに考えるんだ、そういうのが楽しいんだ、つらいんだ、そこが分からないのか、いまってそうなんだ、へーそんなのあるんだ、元気やなーとか、色々。そう思わせてくれるような反応や言動が随所に散りばめられているので、ほんとに面白い。いい刺激になる。

大事にしなければならない部分は伝えていく必要があるけど、それ以外の部分は、こっちが若者たちから学んでアップデートしていく必要があると思っているので、そういう意味でも、ほんとにありがたい環境だ。

見た目も老け込みたくはないけど、それ以上に考え方やスタンスみたいなものについては、いつまでも若々しくいたい。
そのためにも日常の様々なシーンから学び続ける必要があると思う。

それができる環境に感謝!


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