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「愛と性と幻」カタカムナを日常から 熟年離婚のわけ

アマウツシの男性はセックスは浄化だという。
確かに今回の体を絡めた出会いで過去を振り返り、今までの出来事が一掃された。
過去は変えられないけれど、過去の認識が変わり過去は変わった。

気づかないうちに創られていた多くの憎しみや怒りベースが、愛ベースに変わった。

いわゆる熟年離婚。
突然妻が離婚を言い出す。

私が離婚を言い出したけれど、私自身の中にも離婚は突然にやってきた。

「離婚」という文字が脳裏に浮かんで2ヶ月ほどで別居。世の男性は怖いと思うのかもしれないけれど、私は優しい人なのではと思う。

毎日毎日、旦那の悪口を子供たちに撒き散らし、早くあの世へ・・なんていう話を笑い飛ばしていたりもする現実より。

色々な離婚はあるのだろうけれど、熟年離婚は、仕方がないのではとも思う。

子孫を残すために、選んだ男性。元夫とは対極にいるようなタイプ。おかげで子育ては十分に楽をさせてもらった。我が子達を守ってくれた。

振り返れば、子供たちの未成年が終わる時、たったひとつ、最後の残された行事。夫婦の会話で、元夫への態度の苛立ちが珍しく収まらなかった。会話を終え一人で過ごす深夜、些細なことで人生初の骨折をした。歩けなくなった。苛立ちを自己表現できたことが痛さよりも嬉しくもあった。

もし当時、相似象学のカタカムナを知っていたなら、夫婦の形が歪んでしまっているメッセージにもっと早く気づけたかもしれない。

離婚を切り出した時、もしかすると離婚は幻となっていた可能性だってある。

が、距離を置いてはじめて、夫婦関係の異常に気付かされた。

ありがとう。
と事あるごとに繰り返してくれていた穏やかな日常が一変した。

「離婚」と口に出さなければ「離婚はしてはいけない」という私の中の常識と、これまでの子供のお父さんへの「感情」から、冷めた切った日常を今も選んでいた可能性はある。

とはいえ、感覚では気づいていた。
だからのセックスレスだった。
合わなくなった肌感覚。
触れることすらできなくなった関係。

婚姻用紙一枚が同じ屋根の下にとどまらせる。
思考が今の感覚をなかったことにする。
せっかく生きているのに、なんて厄介で哀しい生き方なんだろう。

でもそこにも愛はあった。
愛の広がりが、お互いいつの間にか変わってしまったのだと思う。

これまでの愛は子供たちを守る愛。

カラスは子育て中とても凶暴だ。
目の前の敵を監視している。

人間は守る愛を通し、家族としての役割からお互いに愛情が生まれる。それは武器ともなる。

オキシトシンのようなものなのかもしれない。

愛情という仲間意識が深まる良さ。が、逆に仲間はずれをも生み出してしまう。

今こうしてカタカムナと出会い魅力にはまっているのは、私自身が、目の前にあるものだけを見て守る愛から広がったように思う。

愛が広がると、関係性の名前がどうでも良くなる。

感情を越えた感覚は、誰のせいでもない自らの感覚を信じて行くしかない。
武器を持たない自由への冒険だ。

広がった愛の中での出会い、アマウツシの男性とは研ぎ澄ませた感覚でセックスを堪能し、情ではない深い愛、究極までひとつになる体験をしてみたい。

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