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岐阜柳ヶ瀬さんぽ★魅惑の窓巡りと美しきシャッター商店街。

窓の聖地といえば岐阜市柳ヶ瀬やながせ周辺。



友人に聞いたところによると、シャッター街日本一に岐阜の「スタープレイス柳ケ瀬商店街」が輝いたそうな。


この記事に、岐阜県柳ケ瀬市の「スタープレイス柳ケ瀬商店街」とありますが、柳ヶ瀬市は岐阜県に存在しない。岐阜市柳ヶ瀬通を中心に、岐阜市神室町、日の出町などという町が集まっている辺りを柳ヶ瀬やながせと称している。



シャッター街の光景はもう何十年も前からの話で、見慣れてはいるけど、そうやって聞くとやっぱり日本一を見てみたくなるので改めて行ってみた。


まずは、「スタープレイス柳ケ瀬商店街」の東側にある、普通に通称「柳ヶ瀬」と言われている商店街。

柳ヶ瀬商店街の詳しくはこちら↓
歴史が分かりやすい。





元長崎屋

何十年も前からこのままの気がする。



小柳町


松竹小道

お、いいですね。

奥に見える建物は高島屋でありますが、ここも来年撤退するらしい。4番目のデパートの無い県庁所在地となるそうな。



ともかく、


やたらとアーケード街に駐車場が出現している。

間取りが知りたい。


青空柳ヶ瀬商店街になりつある…。




そして、

ここ柳ヶ瀬の金華橋通りを挟んで西側にあるのが「スタープレイス柳ケ瀬商店街」、通称西柳ヶ瀬。地元民は「にしやな」と呼んでいた。実は西柳ヶ瀬が「スタープレイス柳ケ瀬商店街」という名前だったのはここで初めて知った。

西柳ヶ瀬といえば岐阜の歓楽街。



アーケードの天井の電飾がキラキラしていて、呼び込みの黒服のお兄さんがずらーっと立っていた、そんな時期もあった。



昼間の西柳ヶ瀬。


ぎふ初寿司のウィンドウ。

怖い…。


名物「起き上がり最中」の店だったところ。



路地もたくさんある。



こちらもすっぽり建物が無くなっている。



昔、私はその西柳ヶ瀬にある小さな焼き鳥屋でバイトをしていた。大道具と掛け持ちバイト。

狭い店内はカウンター席が10席くらい。カウンター内は二人しか入れないくらい狭かった。

店内も狭すぎて冷凍庫がトイレの中の扉の中。冷凍庫にある名物わらじコロッケの注文があっても誰かが入っていると取りに行けなかった。


雇われの店長は、元ヤンキー。シンナーの吸い過ぎで前歯が無く、バイトの男の子は借金の取り立ての仕事もしていてしょっちゅう取り立ての電話をしていた。


ある時、焼き鳥屋で仕事をしていると親に嘘をついて内緒でキャバクラで仕事をしている店長の女友達の親が、娘の様子を見に来る事になった。その女の子がバイトのフリをするから私はとりあえずどっか行ってろってことで、店長の飼い犬の散歩をその日はずっと夜の西柳ヶ瀬でしていた。

店長の彼女も勿論キャバクラ嬢。時々すごい喧嘩して、彼女がトイレに立て籠もったことがあった。


焼き鳥屋の客は、だいたいパチンコの台待ちか、キャバクラの目当ての女の子待ちのオッサンが常連。1杯注文するとお通しにキャベツが山盛り付くのだが、それで3時間くらいいるオジサンがいて、キャベツおじさんと呼ばれていた。ある日、帽子から靴まで全部新調してきたことがあって、パチンコで大当たりしたってことだった。


またある日、手首まで入墨の入った本物のヤクザが来て、店長はその時だけ真面目に働いたが、ほとんどの日は常連とチンチロばかりやって空のビール瓶が店先にずらりと並んでいた。賭けはビールだったようだ。


そのまたある日、とある客に

「あなた舞台の照明さんでしょ」

と言われ、その客は舞台関係の仕事の人で、同じ裏方の大道具であった私はかなり近い予想ってことで、とても親近感を持ってくれ、帰りに居酒屋でご馳走してくれて、コンビニで山程食べ物を買ってくれた事もあった。


そんな私は風呂なしアパートだったので、銭湯の時間がバイト終了時間だった。


2階にあった柳ヶ瀬銭湯。
今は無い。


歓楽街の中にある銭湯は、シャワーから出てくるお湯がやけにチョロチョロと細く、髪の毛が全然洗えなかった。そういうわけではないけど、この頃私は坊主頭だった。


この銭湯は、番台から更衣室が丸見えで、番台にいるのはオジちゃん。そのオジちゃんはいつもゲームをしているんだけど見られるのは嫌なので、見えない死角の三角地帯で着替えるしかなかった。

その女湯の銭湯内には何故か小さな扉があって、いつもそこの扉からタオルを巻いて洗面器を持って入ってくるオバチャンがいて、何処から入ってくるのかとても不思議だった。西柳ヶ瀬七不思議の一つだったと思う。


その焼き鳥屋は出前もやっていて、たった3本でもプラス幾らか忘れたが配達料とって、キャバクラや、怪しいパブやら、フィリピン、ロシア、東欧系パブやら色んな店に出前に行ったものだった。

キラキラしたお姉ちゃんたちに対し、坊主頭で焼き鳥屋のトレーナーを着た私は随分対照的だったと思う。しかも、その注文焼き鳥は、店からではなく個人で頼んでくるので、焼き鳥頼んだ人を店内中探さなければいけなかった。


ついでに私が住んでいたのは駅近くの西問屋町方面の一軒家の2階であったが(家賃2万2千円)、西柳ヶ瀬の仕事帰りの東欧系の女子たちのちょうど帰り道で、朝方めちゃくちゃデカイ声で話して帰る彼女等にいつも起こされたものだった。



そんな夜の西柳ヶ瀬は、今一体どうなっているのか散歩がてら見に行ったら…、


その日は火事が出たようで、西柳ヶ瀬を囲むように消防車が何台も停っており、規制線がはられていた…。

見物人はベトナム系の人たちばかり。
ここ一帯は、ベトナムの旗をよく見るようになった。



ここは問屋町。

いっそのこと、ベトナムタウンになって観光地になったらいいかもしれない。




とりあえず、西柳ヶ瀬最西端にあるストリップ劇場まさご座は健在だった。

この奥。
この辺りの建物も駐車場になった。

この看板の下には、昔は例えば流行りの女優の名前を真似て「宮沢えり」とかいう名前で、垂れ幕が貼られていたりした。


 

西柳ヶ瀬はすっかり廃れてしまった感じだが、最近は東側の健全な地域にキャバクラが進出し、黒服のお兄さんが立っていた。


そして日曜日。

柳ヶ瀬商店街のアーケード街が露店で賑わっていた。


これからは、デパートではなくこういうスタイルが良いのかもしれない。



そして私は、岐阜がいつまでも窓の聖地であることをひっそりと願っているのでした。




こちらは私の裏インスタ↓
ほぼ窓。


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