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山梨県大月市の低山ハイク🌸花咲山

石仏に会いに行きたいなぁと呟いたら、同居人がこちらの本を持ってきた。

田中英雄著『里山の石仏巡礼』


おお、これはいい♪
ふむふむふむ。


ということで、山梨県にある花咲山を選び、先日石仏に会いにいくトレッキングに行って参りました。


…と言っても花咲山山頂にあるのは祠のようです。


金精こんせいさまというのだそう。
道祖神の一種だそうな。


金の精とは、名前からしてサンリオキャラクターのキキララを思い出す。

キラキラだからかな?

ゆめ星雲の思いやり星でうまれた双子のきょうだい星。立派に輝く星になるために遠い星の国からやってきた。


がっつり、70年代キキララ初期世代なんです、ワタクシ。
かなり印象からハズレると思うのですが笑



それはいいとして…、


大月駅といえば岩殿山で有名ですが、そのすぐ隣が花咲山だ。

名前からしてお花がたくさんの山なのか?! 
期待大で大月駅に向かう。


大月駅構内は連休中の観光客、登山客、電車の乗り換え客で賑わっている。


…と、駅前で靴紐なんか縛ったりの支度をしていたらお巡りさん3人に囲まれた!汗

いや、何も怪しいものは持っておりませんが…、てか虚無僧じゃないけど今は。

そのお巡りさんたちの話によると今年に入ってから大月市では山岳事故、遭難が40件あったそうだ。その注意喚起に登山者に声をかけているそうだ。署内用に写真も撮らせて頂いたのでとアミノバイタル試供品を頂く。
ご苦労さまです🫡




あーびっくりしたということで…、


ようやく出発です。


T字路にある二十三夜塔。

ここの道標を道なりに行くと、


登山口。


見上げると、桐の花。


花が丸ごと落ちてます。

平安時代は高貴な色として紫色の花が愛されたそうな。「源氏物語」の桐壺は、宮中に植えられていたキリに由来し、清少納言は「枕草子」で美しい木の一つにあげています。(『樹木の事典600種』より)



最初の祠。

振り返ると富士山。


祠の脇に蘭のような花。



新緑が、最高すぎる。


四角い石が連なるピーク。 
不思議。


富士山、チラ見え。

ホントに、チラっ。



この山も、海底だったということだったのか、丸い小さな石が沢山埋まった岩がゴロゴロしています。

尾根にドドンとそんな岩。

 

散々登っては下りを繰り返します。


そういえば、花咲山、
花は咲いてるかと言えば…、


ツツジが咲いてます。



花咲峠


何とも素敵な観音さま🙏

馬頭観音さまでしょうか。
延享年間(1744-1748)



今度は山の向こう側に富士山。

急斜面登ってます。



頂上!


おお、あの本のままの祠。

祠前にある細長い石には何も刻まれておらず、後で何か分かるのですが…。


気持ちのよい木陰のある山頂でお昼をすませ、下山します。


この日は5月の連休日でしたが、会ったのはたった1名のトレランの人のみ。



胎内仏道?


岩と岩の間を抜けるところを胎内としているのかな。


西上州を思わせる岩場がひととき楽しめます。



「女幕岩」といわれる場所。



ミズキの花



ツクバネウツギ



足元に名前不明の小さな花。


頂上には桜の木があったのでやはりその頃来ると良いかもしれませんが、花咲山、まだまだ色々な花が咲いてますね。



そして、花咲山下山後、


大月市に選定された秀麗富嶽十二景の山、お伊勢山に行く事が出来ます。


お伊勢山には、大月市出身の写真家白籏史朗氏の顕彰碑と写真を施した石碑が建立されている。

おお、白籏史朗氏、お久しぶりだ。

恐れ多くて写真は撮れず。笑



以前、山岳雑誌に白籏史朗氏の相談コーナーのような連載があって、歯に衣着せぬ痛快な解答に楽しく読んでいた記憶があります。


悩み事が吹っ切れず登山に打ち込めない、というような相談に、

「荷物が軽すぎるのだ!」


の、一言。笑



うっすらと秀麗富嶽十二景の富士山。

お伊勢山は約3000本の桜の木が植えられているという大月市の桜の名所。写真の電球は、先月の桜まつりの名残でしょうか。

道中には、いくつか神社が続いており、麓の神社(登り口)が根神大権現(子之神社)。

なんと、花咲山頂上の金精さまと同じ石が大小いくつも鎮座しているではないか。

『里山の石仏巡礼』の花咲山をよくよく読めば、金精さまは子宝の神様。

そういうことでしたか。

金精さまの謎が解けました。


いやはや、キキララとはほど遠かった…。



花咲山も寺社巡りも堪能したところで、初狩駅まで1時間かけて歩いて帰ります。

日陰がないので真夏はお勧めしない。
早朝歩く逆コースがいいのかな。

甲州街道沿い
暑かった…。



橋を渡り、南側の旧甲州街道を歩いてみる。


やっぱりありました石仏さんたち。 

ひたすら歩いた甲斐がありました。



下初狩宿
聖護院道興せいごいんどうこう歌碑

聖護院道興歌碑

碑面に刻まれた「今はとてかすみを分けてかへるさにおぼつかなしやはつかりの里」の歌は、京都の聖護院門跡道興がこの地を訪れた際、詠んだ歌である。
 道興は、関白近衛房嗣このえふさつぐの子で、仏門に入り大僧正となり、本山派修験宗(天台宗)の総本山聖護院の門跡を勤めた。諸国を行脚し各地の霊場や名所を訪ね、その様子を『廻国雑記』に記している。それによると、この歌は文明十九年(1487)に、この地を通過する際に帰雁が鳴くのを地名にちなんで詠んだものである。
 碑は、文化三年(1806)『甲斐国志』の編者、森島基進が自筆し建立したもので、碑高138センチメートル、周囲76センチメートルの六角自然石柱である。

大月市教育委員会


自然石なんですね。
花咲山の途中のピークにも角柱の石が沢山ありました。

1487年のここの風景を見てみたい…。




そして駅近くにまた二十三夜塔。

右隣は馬頭観音さま。

月待ち講の塔が多い山梨県。
ステキです。



初狩駅到着♪



さて、今回は久々に白籏史朗氏にもお会いできて(!)モヤモヤしていたこともスッキリしたような。ただ疲れて忘れただけか?!笑



因みに、花咲山の由来は地名で…、

花咲の地名は両宿の間にあった花折と言う地に桜の古木があり、花咲く頃旅人が憩ったところから由来している。

やはり桜でしたか🌸


次回は、ここ初狩駅スタートでお伊勢山にお花見に来たいですね🍶



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