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ニュータウンという「まち」の「違和感」や「空虚感」の正体を考える。

ニュータウンは、たしかにこの世に実在している。しかし何故だか、この場所は本当に実在しているのだろうか、とふと街中で感じてしまう時があった。

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筆者はニュータウン生まれ、ニュータウン育ちである。ニュータウンという環境はとても便利で、近くにはスーパーやコンビニ、薬局、公園もあり、都心までは電車で1本、生活する上で特に不満も何もなかった。しかしながら、ふとニュータウンの街中を歩いていると、世界が停止してしまっているような雰囲気何やら現実感が希薄になるような気配を感じ取るようになったのはいつからだっただろうか。

このニュータウンという空間における「違和感」「空虚感」の正体は果たして何なのか。「コピペのような街並み」といった都市としての均質性や画一性などの、単純な理由だけで済ませて良いものなのだろうか。この文章は、その理由を篠原雅武(2015)の著作をもとにまとめた個人メモである。

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1. 日本におけるニュータウン開発とは

我が国では、戦後の急速な人口増加による住宅不足に呼応する形で、各都市圏での建設が急ピッチで進められた。日本の高度経済成長期において急増した中間所得層の受け皿として、ニュータウンは重要な役割を果たしてきた。中でも、北大阪に広がる広大な丘陵地域に整備された「千里ニュータウン」は、1958年にその開発が決定されており、日本最古のニュータウンとしても知られている。1962年に佐竹台地区が先駆けてまちびらきをしてから、既に60年弱もの年月が経過、いわゆる「オールドタウン化」が進行しているニュータウンでもある。

日本におけるニュータウンでは、かつて英国のEbenezer Howard (エベネザー・ハワード) が「明日の田園都市」で描いたような職住近接型の郊外開発はほとんどない。多くの場合、都心とニュータウンを結ぶ都市鉄道が同時期に整備され、いわゆるベッドタウンとしての地位を確立しているニュータウンがほとんどである。ニュータウンは大きく、新たに整備された鉄道駅周辺を開発するケース(TOD: 公共交通指向型開発)、鉄道駅からも離れた郊外部に造成するケースに区分される。千里ニュータウンは前者に該当し、1970年に開催された大阪万博を契機に整備された北大阪急行電鉄が千里ニュータウンと都心部を直結している。

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2. 「人工都市」としてのニュータウン

ニュータウンとは、郊外の山や丘陵を切り開き、機能性と効率性から構築された「人工都市」である。結果的に、ニュータウン内での住民の生活もまた機能的で効率的になることで、住民の効用の最大化が達成されるであろうという一貫した計画理念の下で設計された都市空間である。これは、長年の伝統と歴史によって形成された「自然都市」とは対極の存在と言える。自然都市と対比した際に、ニュータウンという人工都市の構成には下記の2点の特徴が挙げられる。

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第1に、ニュータウンの空間は階層序列的である。下記の画像に示す通り、大きく南地区、中央地区、北地区の3地区に区分されており、その下には計12の近隣住区が設定されている。各地区の中心地には「地区センター」としてデパートやショッピングモール等の商業ビル群が整備される。また各近隣地区の中心には公園や学校とともに「近隣センター」が計画的に配置されており、1-2階建ての建物に公民館、スーパーや薬局などの生活必需品を置く店舗、理髪店や病院などが軒を連ねる(時代のニーズが反映される傾向にはあり、高齢化に合わせた介護・リハビリ施設、団地の建て替えによる子育て世帯向けの保育施設や学習塾も散見される)。このような空間の階層性はニュータウン全体で一貫している。

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出典:市浦ハウジング&プランニング (N/D) 

ちなみに近隣センターの様子は、東南アジアの典型的な都市によく見られるショップハウスにも多少似たような雰囲気を感じる。しかし建物自体の大規模な改装は行われておらず、近隣住民の高齢化が進んでいることも相まり、あたかも建設された当時のまま時が止まっているような錯覚すら覚える空間を構成している。多くの住民は、より選択肢の多い駅前の地区センターや大型ショッピングモールにて、買い物を済ませてしまうのではなかろうか。

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第2に、ニュータウンの空間は幾何学的である。既存都市とニュータウン、自然とニュータウン、地区センターと団地、近隣センターと団地、団地と団地の間は、それぞれ道路によって空間的に区切られている。それぞれの要素を区切ることで共存する(共生)という信念に基づいており、お互いの浸食を拒むように明確な境界線が設けられている。各近隣住区は独立した閉鎖空間として設計されており、その集合体であるニュータウン全体も周辺の都市からは独立した閉鎖空間ということになる。そもそもニュータウンは、自然には都市が発生することのなかった(発生する必然性がなかった)空白地域に造成した人工都市であり、既存の都市との自然なつながりを見出すことは難しい。

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各団地には同じような形をした「箱」のような集合住宅群が機械的に配置されている。各建物はC46やC47...といったような番号付けがなされており、あたかも空間がコピペ+記号化されたような無機質な印象を憶える。団地の各部屋には様々な人たちが暮らしているはずであるにも関わらず、その多様性を頑な拒むような空間の平たさ(篠原は「のっぺらぼう」と称している)を感じる。団地内には、ラドバーン方式に基づいて整備された歩車分離された歩行者空間や公園などが整備されているが、集うための「空間」というよりは、駅へと向かうただの「通路」と化している光景はよく見られる。ちなみに地形を生かした歩車分離が徹底されており、各団地および近隣センター、地区センターは高架の歩道橋で接続されている場合が多い。都市の要素を「分離し、接続する」ことが、ニュータウンにおける基本的な空間設計になっている。

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3. 「完成された商品」としてのニュータウン

このようにニュータウンとは、人間が生活する上で必要であろうと考えられる都市の要素が体系的に区分され、階層的に構造化され、それらがよせ集められることで「まち」となるという前提において(仮定に基づいて)設計された都市空間である。ここでニュータウンとは、言わば都市を「パッケージ商品化 (Commoditization)」しようとした社会実験であると捉えることができる。言い換えると、資本主義経済下において、郊外部に都市の要素の秩序ある集合体を大量生産・大量消費したものこそがニュータウンの正体と言える。

したがって、ニュータウンという都市空間は「完成された商品」として設計され、世に送り出された空間であることが分かる。偶然性が入り込む余地のないほどに秩序化された定常的な「まち」の中で、人々もまた秩序化された定常的なライフスタイルを送る。つまり、彼らの日々の行動は事前に計画された範疇のものになり、基本的にその範疇を出る余地はない。

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言うまでもなく、自然都市ではここまでに秩序化されている例は少ない。1968年に施行された都市計画法に基づいて、用途地域などのゾーニングが設定されているものの、自然都市の場合はそれ以前に既に都市構造はざくっと出来上がっている場合が多く、言うなれば概ね「後付け」に近い。居酒屋や昔ながらのカフェが住宅エリアにだらっと浸食しているように、自然都市では要素の境界線(階層の境界線)は至ってあやふやで、その場所にしかない偶然性に富んだ雰囲気・気配を形成する。この状態を戦後の近代都市計画(ニュータウン)の理念では「無秩序」と捉えることもできるが、果たしてそのように言い切れるのだろうか。

4. ニュータウンという「まち」の「違和感」や「空虚感」の正体

この「完成された商品」としての特性こそ、ニュータウンという都市空間における「違和感」や「空虚感」の正体にあるのではなかろうか。

ニュータウンにおける「完成」という定常的な状態に人々は慣れ切ってしまい、その完成された状態があたかも永遠に続くような錯覚(期待)すら覚えることになる。ニュータウンは都市空間として「完成」した状態からさらに変化することを許さない程に秩序化されており、ニュータウンはその完成された状態で時間停止しているかのような意識化がなされる空間とも言える。

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しかし実際は、大量生産・大量消費された商品がいずれ大量廃棄されるように、ニュータウンもまた都市空間としての陳腐化(消費者離れ/老朽化)が進行する。実際に千里ニュータウンのみならず、神戸市の西神ニュータウンや京都市の洛西ニュータウンといった関西圏の主要なニュータウンにおいても、都心回帰の流れにより進行する高齢化・人口減少の中で、空き家が深刻な都市問題として挙げられ始めている。集合住宅という「箱」が文字通りの「空き箱」になりつつあるのである。

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商業施設も例外ではなく、中央地区センター(千里中央)に駅直上に整備された大規模ショッピングセンターのセルシーは、2019年に施設の老朽化にともない47年の歴史に幕をおろした。中央に位置するセルシー広場のステージはかつて“若手歌手の登竜門”とも呼ばれる程、ある種の「文化のようなもの」を築いていたが、今や見る影もない。

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もし土地ゆかりの文化や歴史といった人々の「根付き」のある自然都市であれば、都市の要素同士の根深い連関の中で、空き家という空間にも何かしらの意味合いが残るのかもしれない。他方、山や丘を切り開くことで空間的な脈略もなく造成されたニュータウンは、一貫してこのような「根付き」が希薄な空間である。したがって、ニュータウンにおいて大量廃棄を待つ集合住宅群の「空き箱」から成る空間は、何の意味合いも持たない単なるぽっかり空いた「空白な空間」となってしまうのではないか。よって、ニュータウンとは、生まれながらにして都市を構成する要素としての「老衰死(使い捨て)」を運命付けられた空間であると考えることができる。

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5. これからのニュータウンとは

千里ニュータウンでは、ここ10年における老朽化した団地の建て替え事業によって現在の人口は微増傾向にある。また、前述の商業施設セルシーにも大規模な再開発計画が上がっている。つまり、大量生産・大量消費・大量廃棄された「空白の空間」は、その空間に新たな建物を埋めることで空間として再生産されつつある。

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建て替えられた真新しい平成のマンション群には、数多くの子育て世代が入居している。現在の千里ニュータウンでは、昔の団地から暮らしているであろう高齢者の方々と、平成のマンションに暮らしているであろう子育て世代が交錯している。高齢化・都心回帰により歪になりつつあった世代間バランスが、さらに歪なものになってしまったように感じる。つまりニュータウンという空間は、要素(建物)と世代を総取り換えすることで、都市空間として延命治療(再生産)されているとも捉えることができる。しかしこれらの再生産された空間もいずれは必ず陳腐化すること(将来的な用途変更も一案)を見据えつつ、あらゆる世代にとって魅力的な「まち」であり続けるためには、長期的な視点に基づきつつも時代に敏感でフレキシブルなまちづくりが求められるのではなかろうか。

本日の参考文献:

篠原雅武(2015)「生きられたニュータウン -未来空間の哲学-」 青土社

市浦ハウジング&プランニング (N/D) 「千里ニュータウンの計画と建設」http://www.ichiura.co.jp/newtown/pdf/senri_nt/02.pdf (2020/5/16 閲覧)

三井住友トラスト不動産 (N/D)「大阪府 千里」http://smtrc.jp/town-archives/city/senri/index.html  (2020/5/16 閲覧)



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